2025年03月03日

3/9 NHK「Dearにっぽん」(全国放送)にて紹介していただきます。


【告知】来週3月9日(日)朝8時25分〜8時50分
NHK「Dearにっぽん」(全国放送)にて紹介していただきます。見ていただけたら幸いです


【おかえり 20歳の娘へ 〜宮城・石巻〜】
初回放送日:2025年3月9日
東日本大震災で当時6歳の娘を亡くした家族が、生きていれば20歳を迎える娘と1枚の絵を通じて再会する。描かれていたのは、成長し晴れ着姿となった娘。そのとき家族は… 最愛の家族を突然失った遺族にとって、その傷は決して癒えることがない。それでも、その痛みを乗り越えなければ、と言い聞かせるようにして生きてきた。あれから14年、石巻でわが子を亡くした2組の遺族が1人の画家に「成長した娘の姿を描いて欲しい」と依頼した。画家の小林憲明さんは、実際に被災した場所を訪ね遺族に話を聞きながら描き始めた。再会は成人式、絵は遺族に何をもたらすのか、画家と遺族たちの日々を見つめた。



DearにっぽんHP ↓
https://www.nhk.jp/p/ts/P71P7Q379L/
  


2025年01月19日

石巻市の春音ちゃんと愛梨ちゃんの成人式に絵をお届けしました。

【成人式おめでとうございます】

前に向いて歩いて行けるキッカケのひとつになりますように
石巻市の成人式会場、午前中の準備時間に市の許可を得て、立て看板横にて写真撮影させていただきました

そのあと佐藤愛梨ちゃんのお母さまに作品の引き渡し、

午後から、西城春音ちゃんの作品を西城家の自宅へお届けしてきました。
喜んでくださりホッとしています



【作品の解説】
6歳で亡くなられた女の子たちを20歳に成人した姿で描いて成人式の形にしてあげたい、立て看板の横で写真撮影とか、彼女たちやそれを見る家族の方達のオモイを軽くして浮かび上がって行くような感じが出せたらと、軽やかに足先は少し浮かんだような感じ、


春音ちゃん(緑色)は力を抜いてリラックスして、ノーメイクで、ただそこにいるだけ、飾らなくていい、ただそのままの自分でいいんだよね、そう言っているようで、こうした構図にしました。


ご縁を繋いでくださり描かせていただきました
残されたご家族の心が軽くなり、前を向いて進んで行くキッカケのひとつになればと願います。
昨年11月19日に取材に行って2か月弱で20歳の姿を描く、なかなか20歳なった彼女たちに出会えなくて苦しみました、こんなに向き合うのが辛いのは大学受験以来じゃないかと、、、
ギリギリまで決まらなくて、最後は近くの神社に神頼みしていました
成人式はこの日しか無くて、間に合って良かった、ご家族の喜ぶ姿を見ることが出来てホッとしています。ありがとうございました

中日新聞、一面で載せていただきました。
記者さん、年末から何回もアトリエに通ってくれて、愛知県から石巻市にも着てくれて、心強かったです。
ありがとうございました。

  


Posted by 小林憲明 at 12:05Comments(0)「ダキシメルオモイ」日記歴史

2024年10月07日

「能登半島地震とダキシメルオモイ展」無事終わりました。


こちらも事後報告になりますが(;^_^A
石川県かほく市で開催された「能登半島地震とダキシメルオモイ」展、無事完了しました。

石川県高松町に生まれた歌人、鶴彰(つるあきら)
能登半島の根本に位置する高松町(合併して、かほく市)に生まれて反戦や虐げられた市民の歌を多く残しました。

鶴彰(つるあきら)、彼の命日9月14日に合わせて毎年、高松歴史フェスティバルが開催されます。
写真は鶴彰の墓石前での法要(石川県かほく市、淨専寺境内にて)


反戦を歌った鶴彰の川柳から、子どもから大人の川柳の発表会があります。

今年の入選作品

法要のあと、鶴彰の川柳の石碑前に移動して入選作の発表


翌日、15日16日の2日間、かほく市産業文化センターにて作品を飾らせていただきました。

能登半島地震を受けて、鶴彰が生きていたら、能登半島をどんなふうに感じただろうか、、
という問いを受けて「能登半島地震とダキシメルオモイ」という企画を立てていただきました。
4月に能登半島で被災された3家族のもとへ取材に伺って、
今回、それぞれのダキシメルオモイを制作して会場に並べさせていただきました。

能登町に暮らす脊戸さんご家族、

能登島に暮らす森さんご家族(震災前に取材させていただきました)
会場に来てくださりました。ありがとうございます。

北陸中日新聞にも掲載いただきました。

会場でお話も少し、、、
今回、能登半島地震を受けて、あまりにボランティア頼みの運営、国が大きく手を出さないところが
鶴彰の時代となんらかわっていないのではないのか?
と思いました。

展覧会が終わった翌日の17日、能登半島で描かせていただいた家族へ作品をお届けにまわりました。


震災から毎月通っている、輪島市門前町にあるボランティアの活動拠点、SunRizeへ

自宅避難者とボランティアへのお弁当を150個作るというので一緒に参加してきました。
10時から炊き出しするよと宣伝したら、わらわらと地元の人たちが集まってきました。
自宅避難者の7割が高齢者、お昼の炊き出し支援も喜んでもらえました。

輪島市三井に暮らす山本さんご家族へ作品のお届け
避難所生活なので、作品を持っていっていろいろな場所で展示して欲しいと
預かりました。

山本さんなどが運営しているボランティア活動拠点となっている「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井」

山本さんが守りたかった三井の自然

そこから車で30分走って、門前町に暮らす杉本さん家族のもとへ

稲の収穫してハサ木へ掛け作業をしている最中とのこと
今日中に終わる量じゃなかったので
コメリホームセンターで長靴と軍手を買ってお手伝いすることに

はじめての稲刈り、なかなか難しかったけれど楽しかった。。。


杉本さんは一年前に東京からの移住者

クラウドファンディングして復活した木工工房

この滞在から一週間後、ようやく見えてきた復興のさなか
能登を集中豪雨が襲います。

引き続き能登半島に通いたいと思います。

蘇れ能登



  


Posted by 小林憲明 at 23:15Comments(0)「ダキシメルオモイ」日記歴史

2024年08月02日

田原市で黒田レオンさんのお話会

黒田レオンさんお話会

6歳で広島にて被爆
子どもたちやいろいろな人たちに
被爆体験を伝える活動をされています。
この機会に黒田さんのお話をぜひ




【お知らせ】
8/3(土) 16:00〜 
戦争を語り継ぐ - ヒロシマ被爆体験のお話し会 -

今年で8/6に広島、8/9に長崎に原爆が落とされてから79年が経ちます。
こどものがっこうによく来てくれるRちゃんのお母さんのご紹介で、現在、新城市作手村に在住の黒田レオンさんにお越しいただき、戦争と被爆体験の話をお聞きする会を開催することになりました。

黒田レオンさんは、6歳の時に広島におり、原爆投下の直後から3日間、兄と慕う身内を探して爆心地を歩き回ったそうです。爆心地から近いところにあった家は幸い破壊を免れ、家が救護所になったために、傷ついた多くの人がやって来る様子を子どもの視点で見届けていたそうです。

皆様お誘い合わせの上、当時のお話を聞きに来ていただければ幸いです。

日時:8/3(土) 16:00~17:30頃
会費:無料
場所:豆若戸市民館
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プロフィール(引用みかわこまちより)
 昭和14年、神奈川県生まれ。20代の後半から、アメリカのシンクタンクに在職、20世紀が抱える世界的な共通課題である持続可能なエネルギーの需給の問題、環境汚染や貧困と不平等の拡大の問題、食糧需給の不均等な格差の問題、などを総括担当する副社長として、約20年在任。日本に帰国後、株式会社エコ・ワールドを鎌倉で設立、スローでナチュラルな暮らしを提案。自分自身と家族の暮らしを実験的に試みようと、1997年4月、家族とともに住み慣れた鎌倉を離れ、知人も友人もいない愛知県の高原の村作手に移住した。自立、自律、自給の暮らしをする「百姓」になろうと。それが、21世紀の日本人の暮らしを展望する社会モデルになりうると考えたからであった。
https://mikawa-komachi.jp/people/kurodatakenori.html
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今回、この会を開催することを快諾していただいたものの、聴者が集まるかどうかを気にしている私たちに対し、

「人数の多い少ないに関係なく、ひとりでも多くの方に、【戦争が、どんなものか?何が起きるか?】を知っていただきたいと思います。人数の多い少ないに関係なく、私たちは、皆さんのご都合に合わせます」

そうおっしゃった黒田さん。戦争と被爆体験の話を聞くだけでなく、その人となりに触れることができる貴重な機会だと思います。

参加人数把握のため、DM、電話かショートメール09015330413、LINEなどでお申し込みをいただけると助かります。
キャンセル、飛び入り参加も大丈夫です。

小さなお子様も遠慮なくどうぞ。こどものがっこうの後、そのまま参加していただいても結構です。遅刻しても大丈夫です。
色んな世代の方に話を聞いてもらい、進んではならない未来について考えてもらえたら嬉しいです。

#被爆体験
#原子爆弾
#講演会
#戦争を語り継ぐ
#たはら暮らし
#田原
#豊橋
#新城
#浜松
#蒲郡
  


Posted by 小林憲明 at 16:05Comments(0)日記ふるさと歴史原発

2024年06月21日

ダキシメルオモイ展in下田 無事終わりました。

6月14日(金)~16日(日) 3日間で来場者244人
とても優しい素敵な空間になりました。

ダキシメルオモイ、下田に暮らす8家族、南伊豆に暮らす3家族を含む42家族が下田のWith A Treeに集いました。


搬入当日の朝6時まで徹夜して描いていた下田7家族も何とか持ってこれました(;^_^A


・ 6月14日(金) 3日間の初日金曜日のオープニング 17時~20時

5年前に南伊豆で展示したときにfacebookで繋がらせていただいたウクレレ奏者の近藤エリさんとのコラボが叶いました。
アジサイの花飾りが歌姫に引き立てます。
会場のライティングが綺麗に見えるのは夜、昼間の明かりが消えて会場内が現像的に輝く瞬間。
金曜の夜が一番見頃だったかも、、、

5年前、南伊豆で会場を貸していただいた熱帯植物園の安藤さんが今夜咲くという月下美人を差し入れに持ってきてくれました☆
もうひとつの会場だった金剛院さまからは甘茶の差し入れ、有難いです。。。
月下美人は帰ってから咲きました。

・ 6月15日(土) 2日目 10時~16時

一枚だけアトリエに忘れてきた作品、急遽かみさんに頼んで宅急便で送ってもらいました。早朝会場にて受け取り。
最悪、渥美半島のアトリエまで取りに行こうかと思っていたので助かりました。

静岡テレビの佐藤さんが朝から会場で追跡取材していただいています。
5年前の南伊豆のときから取材していただいていて、今回は土曜日に宣伝で一回、展覧会終わってから特集で7分放送していただけることになりました。4月に能登半島の被災地へ取材に行った時も、同列局で金沢テレビさんにお願いして取材に同行していただきました。
丁寧な取材をしてくださいましたので、今から特集が楽しみです。

5年前、南伊豆での展示会場で、福島県南相馬市から下田へ避難、移住された大内さん家族も観にきてくださいました。

15時からの朗読会、下田に暮らす家族、南伊豆に暮らす家族から寄せていただいた10家族ぶんのメッセージを実行委員の東さんと萩原さんで朗読してくださいました。大内さんだけはご本人に朗読されました。

大内仁美さまのオモイ
2011年3月11日、あの日も私達家族は別々に過ごしていました。伊豆下田にある実家に2人の娘を連れて帰省中、主人は南相馬市で仕事中でした。まさかそのまま13年間ここで暮らすことになるとは思いもしません。
地震、津波の混乱の中始まった見えない敵との戦い、住む場所、仕事を失い、9人で住んでいた家族はそれぞれ別々に生活をすることになりました。
この13年間本当にあっという間でしたが、色々な葛藤がある中で必死に駆け抜けてこられたのは子ども達がいてくれたおかげです。この笑顔を守ろうと必死になれたのだと感じています。私達家族は普通の家族の形とは違うかもしれませんが、この完成した絵を見た時に目に見えない家族の絆がはっきりと見えました。今はこの笑顔がずっと続く事を願っています。

いろいろな
朗読会で読ませていただいたメッセージ
大切なことが散りばめられていました。

モデルさん家族にも来場いただきました。










翌朝の伊豆新聞にも掲載いただきました。
紹介文章が秀逸でした。

・6月16日㈰ 10時~16時






14時から会場内でお話会

15時からフラダンスも




最終日はモデルさんのオモイの朗読も加速



駐車場係をかって出てくださった実行委員のお二人☆
暑い中、お疲れさまでした。。。


With A Tree の外観

搬出終わって、もとのスペースに戻った会場


5年前に描かせていただいた南風公房のけいさんとりんちゃん(実行委員)

まさえさん(実行委員)との出会いは、5年前の南伊豆展の搬入日、そのとき息子さんのお話をしていただきました。
それから昨年、まさえさんのご実家、栃木での展示に繋がって

79年前のダキシメルオモイを描かせていただけることに
唯一生きている三女のカツ子さんも栃木から下田の会場に来ていただきました。

6年まえに埼玉県の和光でのダキシメルオモイ展の会場ではじめて出逢ったよしえさん(実行委員)とその家族
和光の会場で娘さんとお孫さんの取材をさせていただきました。
そのご縁が南伊豆から下田まで繋がっていたとは、、、


娘さんの不登校から、そうした子どもたちの居場所づくりがしたいと、埼玉から
自然の多い南伊豆にGest House KodoKodoをオープン

今回も大変お世話になりました。
朝食、美味しかった☆


来場いただいたみなさま、ありがとうございました!
気にかけていただけたみなさま、開催までの”ぎゅっとふぇす”で協力いただいたみなさま、
ダキシメルオモイ展in下田実行委員ともども感謝いたします。

伊豆半島最高☆


  


2024年05月31日

79年前のダキシメルオモイ ~三女、カツ子さんからのメッセージ~





『1945年8月、私は3歳5か月。記憶はありません。それだけに嬉しいような恥ずかしいような気持ちです。

父/佐一郎は、馬をとても大切に、そして可愛がっていました。それが馬にも伝わっているのか、父が家に帰ってくるとこの馬は決まって「ヒヒーン」と鳴いていました。私は、幼い頃銃器を手に軍服姿の若い人が写っている写真を見たことがあります。その時、「この人は誰だろう?」と思ったものでした。今、思い返すと父の出征時の記念写真だったのだろうと想像されます。昨年ダキシメルオモイを描いていただくにあたり、兵籍簿を取り寄せて読む機会がありました。中国で戦闘に参加した記録を初めて読みドキドキしました。また終戦記念日に寄せられた戦争にまつわる新聞記事に出会うと、戦争の悲惨さや父の苦労・心の傷などを身近なものとして感じるようになりました。

母/りは、働く姿しか思い出せません。ゆっくりしているところなんか見たこともありません。農家の長男の嫁になり、舅・姑・小姑たちに囲まれて、朝から晩まで仕事をしていました。盆や正月だって実家に帰ることもできず、さらに父は49歳で他界し一人で苦労ばかりの人生。母は何のために生まれてきたのだろう?と思ったことあります。

この父この母に育てられた私と姉たち。どんな思いで私たち姉妹を育てたのだろう?と両親に想い寄せるこの頃です。そして、3歳だった私は今年82歳になりました。この絵は79年前の絵となります。』

昨年、栃木県栃木市でひとり暮らしていた母親(長女)が亡くなったことで実家を片付ける前にダキシメルオモイ展がしたいと、築100年の自宅でダキシメルオモイ展をさせていただいたとき、79年前にこの家に暮らしていた家族の姿を、遺影や生き残っている三女のカツ子さん、父親の兵籍簿などから、家族の姿をイメージして描かせていただきました。今回、カツ子さんからメッセージをいただきましたので紹介させていただきます。
母親に抱きしめられているのが三女のカツ子、次女の肩をうしろから抱きしめているのが昨年亡くなった長女、次女の手には代々この家で受け継がれていた「かき菜」、父親、佐一郎さんと家族同然に大切にしていた馬、昨年から何回か取材に行った際に、依頼者になついていた白猫を描かせていただきました。遺影や半身像などの写真はあるのですが、こうした家族の写真がなくて、イメージをするのが少し難しかったです。

昨年の栃木での展示の際には、家族の表情がうまくまとまらなくて、半年かかってみんなの表情が自然な笑顔にまとまりました。


  


2023年11月04日

不思議なことがあった 富山にて

不思議なことがあった

富山県、旧小羽小学校での「こば文化祭」
なんとか無事終了しました。


先月から続いた、栃木県、愛知県、富山県、埼玉県での大切な展示、ここ数年で一番険しかった山場をなんとか越えることが出来ました。富山で泊まって翌朝、持病の帯状疱疹後神経痛が痛むかなぁと身構えていましたが痛みも無く、毎晩飲んでる痛み止めも飲み忘れていたことに気づきました。
ハードな遠征を重ねて数週間、痛みが常態化していたので不思議で、これは何かなぁと思い返したら、こば文化祭でいただいた発酵甘糀ドリンクなのかなぁと


昔から飲む点滴と愛されてきたそうで、免疫力を上げる飲み物だそうです。
大量の痛み止めを飲み続けていた西洋医学ではなくて、東洋医学に切り替えるポイントなのかなぁと思いました。


創業90年以上続く八尾のこうじ店が無くなることからこうじ作りを引き継いだ方々(そこで産まれたこうじを使ったドリンク)と今回出会って、



八尾の観音寺さまと利賀村にある瞑想の森を強く勧められて、行くことに^ ^
翌朝6時に八尾の観音寺さまで座禅と読経に参加させていたたいて2時間、
変わらないものは無い、過去も未来も無い、あるのはただこの今だけ、現在の連続である、曹洞宗を開いた道元の爾今(にこん)の教えにも出会わせていただきました。

そのあと利賀村にある瞑想の郷へ、ネパールの絵師を利賀村に招いて5年かけて描いてもらった巨大な曼荼羅の数々を観て回りました。
ネパールの仏教、回転させるとお経を一度唱えたことになると言うマニ車や、複雑な教えを一枚に現した曼荼羅の絵も、ひろく沢山の民衆、文字が読み書き出来ない人々でももらさず救いたいと言うオモイから出来たのかなと感じました。
瞑想の郷、最後の部屋にたくさんある曼荼羅の形の中から、空海がピックアップした金剛曼荼羅(ダイヤモンド、揺るがない知恵)と胎蔵曼荼羅(母親の胎内、大いなる愛、慈愛、慈悲)のふたつの曼荼羅のある部屋に案内していただいて、
“知恵と愛で悟りが開かれる”
と言う仏教の真理を教えていただきました。


<目指す物によって見つかるものが変わってくる>

 空海は“悟り”を目指して中国へ渡り密教をいただき、たくさんある曼荼羅のなかからこのふたつをピックアップして日本に伝えた、
 親鸞は“たくさんの民を救いたい”を目指して仏教のなかから阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が立てた48の願いのなかにある18願『全ての人びとを救いたい、救えなければ私は仏にならない』に出会い、自らも民衆の世界に妻帯となることで入って共に道を歩んだ。
施設を案内していただいた方が、浄土真宗本願寺派のお寺の次男の方で、自身も細かくなった宗派を超えて仏教の本質を学びたいと全国を旅してまわっている方で、興味深く案内していただきました。自身のことを遊行僧みたいだと話していたのが面白かった。
今回出会った人たちから聞いた話のなかで
不思議に共通していた話があって
「願ったり、思い描いたことは叶う」
と言うことでした。
叶わない、ではなくて、そうした自分になると思う、自分のなかにあるリミッター、ブロックを外しなさい、と言う段階に来ているのかなと感じました。

ダキシメルオモイプロジェクト
お釈迦さまの一生を寓話化した、普通に暮らしている人たち、つまらなそうに見えても何かひとつ良いものがある、53人の善知識を訪ね歩いて悟りを開いた善財童子を見習って、毎年53の家族を訪ね歩いてオモイを絵にして行こうとスタートしたプロジェクト
善財童子は悟りを開いて自由自在神になったそうで、
リミッターを外すことはそれに近づくことなのかもしれないと感じました。
この世の中に暮らすさまざまな人たちの愛の姿を訪ね歩いて絵にしていきたい
人生は一度しか生きれないけれど
たくさんの悩み苦しみながらも
愛を生きる姿を
たくさんの人たちと共有して
現在をより良く生きる手掛かりにして欲しい
今回の旅で、私の本願も固まってきました。
長文読んでいただきありがとうございました
駆け足で見聞きしたことを書き出したので
間違えていたら教えてください
#富山県
#旧小羽小学校
#こば文化祭
#発酵甘糀ドリンク
#こうじを守る会
#こうじの守人
#こーじーズ
#八尾
#観音寺
#利賀村
#瞑想の郷
#曼荼羅
#新そば
  


2023年10月10日

八竜リバティーバンドとのコラボコンサート 無事終了いたしました。9/24




八竜リバティーバンドとのコラボコンサート
おかげさまで大入となりました。







ありがとうございます

愛と平和を伝え続ける八竜リバティーバンドを
そのソウルが少しでも現せたらと思いながら
描かせていただきました。
見えないオモイを歌にして
伝える活動
これからも末長く
たくさんの方々へ届きますように



1階で見つけた“みかえり阿弥陀”像


  


Posted by 小林憲明 at 20:33Comments(0)「ダキシメルオモイ」日記歴史

2023年09月19日

富山日帰り搬入 9月15日(金)

アートイベント「旧北陸道アートin小杉」への搬入、飾り付けのため
日帰りで富山県に行ってきました。

30作品ぐらいかなと積載量は半分ぐらい

太平洋側から日本海側へ
日本列島縦断
歩くと3日かかるみたい、、、

高速乗る前に燃料補給、トリガー発動祈願

5時間かかって富山県射水市にある竹内源蔵記念館に到着

2時間ほどで飾り付け完了

折角なので富山県内で開催している展覧会を梯子することに
車で45分走って
氷見市芸術文化館「のまま展、がまま展」へ
アール•ブリッド展



以前、モデルになっていただいた家族の子どもさんの作品

実物が観れてよかった


これも気になった作品


かみさんからハード系のパンを買ってきてほしいとのミッション
から検索して隣の高岡市にあるパン工房 ブレッドさんへ

石釜パン

良寛さん好きの店主、良寛さんの言葉が額装されて店内に
これだけで美味しいんじゃないかと思ってしまう。


ブレッドさんのおかみさんに勧められた近くにある国泰寺
にも行ってみました。
臨済宗 国泰寺派の総本山、北陸路の禅道場は珍しいそうです。
参道の両サイドに竹林が広がっていて、精進料理のタケノコ料理が名物。
季節にまた訪ねたい。

知人に紹介された書道の展覧会を観に、
車で1時間走って富山市内のガラス美術館へ
金曜日、20時まで開いているので19時に会場入りしたら
ギャラリーは19時までと

ガラス越しに鑑賞
ガラス美術館の常設展を鑑賞しました。

せっかく富山市内に来たので富山駅までいって
70年の歴史を誇る立ち食いそば屋の立山そばへ

そばは売り切れで笑
月見うどんで、立山のかまぼこが嬉しい
お土産に鱒寿司を富山駅のお土産ブースに行くと
売り切れ、あらら、、、

東海北陸道が夜間通行止めのため、
米原経由で帰ることに
遠くなるなぁと思ったけれど、
北陸道の小矢部川SAに寄って鱒寿司が買える!と思い直して
祈るように立ち寄って無事にゲット。。。

関ケ原の戦いが9 月15日
一日遅れで関ケ原通過することに、
423年前の関ケ原はいったいどんな風景が広がっていたのだろうか

朝方4時に帰宅
総走行距離788キロ
お疲れ様でした。

富山に描かせていただいた南三陸の家族の絵、
富山の人たちに観てもらいたいです。

次回は24日に竹内源蔵記念館の会場に在廊予定
よろしくお願いいたします。








  


Posted by 小林憲明 at 18:10Comments(0)「ダキシメルオモイ」日記歴史

2023年09月06日

福田村事件、映画を観てきました。



100年前の日本、関東大震災という大きな地震のあと、四国から薬の行商として関東に来ていた15人のうち胎児を含む10人が、朝鮮人と間違われ村の自警団200人に殺された福田村事件
映画を観てきました。

日露戦争から19年目に起きた事件
戦って勝ったロシアから賠償金や土地をろくに勝ち取れなかった日本、臥薪嘗胆と重い税金に耐えに耐えてきた国民の不満が爆発、暴徒化した国民による日比谷焼き討ち事件に発展、その後、朝鮮半島併合、朝鮮の人たちの土地や人を日本化する政策が進められ、日本に安い労働力として連れて来られた朝鮮の人たち、彼らに対する差別や迫害が、同じだけの恐怖や不安を作り上げ、その緊張が大地震を受けて弾けた、地震直後から朝鮮人が襲ってくる、井戸に毒を投げ入れる、などの噂が広まり朝鮮人を含む6000もの人が殺されていくことに

国や新聞によって作られていくイメージ
何より民衆の過熱した負のエネルギーの暴走、
100年前とは思えない、現在の日本でも起こりうることだと感じながら観てきました。
東出昌大やピエール瀧といった大衆から叩かれた経験を持つ俳優が出演しているのも、ひとつのポイントで、社会悪に対して集団で吊し上げる構造、命を奪わなくとも社会的に抹殺するやり方、似てるなぁと、、
コロナのとき、アメリカで中国人が差別されて迫害されたとき、現地にいた日本人も巻き込まれた話も思い出しました。
なかったことにされそうだったこの事件を、こうして形にして伝えてくれた方々に感謝します。
2度とこうしたことが起きないように、どうしたらいいか、これから考え続けて生きることが何よりの供養になるかなと思います。
地震後に迫害で命を奪われた朝鮮人を含む6000人の方々のご冥福をお祈り致します。
奇しくも本日9月6日は福田村事件の日、亡くなられた方々の命日


  


Posted by 小林憲明 at 16:26Comments(0)日記ふるさと歴史