2025年03月03日
3/9 NHK「Dearにっぽん」(全国放送)にて紹介していただきます。

【告知】来週3月9日(日)朝8時25分〜8時50分
NHK「Dearにっぽん」(全国放送)にて紹介していただきます。見ていただけたら幸いです

【おかえり 20歳の娘へ 〜宮城・石巻〜】
初回放送日:2025年3月9日
東日本大震災で当時6歳の娘を亡くした家族が、生きていれば20歳を迎える娘と1枚の絵を通じて再会する。描かれていたのは、成長し晴れ着姿となった娘。そのとき家族は… 最愛の家族を突然失った遺族にとって、その傷は決して癒えることがない。それでも、その痛みを乗り越えなければ、と言い聞かせるようにして生きてきた。あれから14年、石巻でわが子を亡くした2組の遺族が1人の画家に「成長した娘の姿を描いて欲しい」と依頼した。画家の小林憲明さんは、実際に被災した場所を訪ね遺族に話を聞きながら描き始めた。再会は成人式、絵は遺族に何をもたらすのか、画家と遺族たちの日々を見つめた。


DearにっぽんHP ↓
https://www.nhk.jp/p/ts/P71P7Q379L/
2024年10月07日
富山市トリエンナーレ出品しました。

富山市トリエンナーレ
無事搬出作業終了しました。。。
事後報告ですみません(;^_^A

展示風景はこんな感じ、、、
本当は体育館を全部使って100家族を並べてみたかったですが、体育館は管理が違うとのことで
ステージでの展示になりました。

23日(月祝)に日帰りで搬出に行きました。
現状復帰。

廃校になった旧小羽小学校

今回も会場近くの八幡神社、氏神さまへ無事展示が終わったお礼参り
昨年、小羽小学校との出会いを作ってくれた
富山に暮らす中川さんとユース丸でお会いして近況報告。

こんにゃくラーメン

唐揚げ美味しかったのでお土産に
ご馳走様でした
これにて富山県、石川県での長かった
展覧会月間を無事終了いたしました。
たくさんの方達に観ていただき、
ありがとうございました
また制作の日々に帰ります。
ミラノでの展示は10月12日まで。。。
2024年08月02日
田原市で黒田レオンさんのお話会
黒田レオンさんお話会
6歳で広島にて被爆
子どもたちやいろいろな人たちに
被爆体験を伝える活動をされています。
この機会に黒田さんのお話をぜひ

【お知らせ】
8/3(土) 16:00〜
戦争を語り継ぐ - ヒロシマ被爆体験のお話し会 -
今年で8/6に広島、8/9に長崎に原爆が落とされてから79年が経ちます。
こどものがっこうによく来てくれるRちゃんのお母さんのご紹介で、現在、新城市作手村に在住の黒田レオンさんにお越しいただき、戦争と被爆体験の話をお聞きする会を開催することになりました。
黒田レオンさんは、6歳の時に広島におり、原爆投下の直後から3日間、兄と慕う身内を探して爆心地を歩き回ったそうです。爆心地から近いところにあった家は幸い破壊を免れ、家が救護所になったために、傷ついた多くの人がやって来る様子を子どもの視点で見届けていたそうです。
皆様お誘い合わせの上、当時のお話を聞きに来ていただければ幸いです。
日時:8/3(土) 16:00~17:30頃
会費:無料
場所:豆若戸市民館
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
プロフィール(引用みかわこまちより)
昭和14年、神奈川県生まれ。20代の後半から、アメリカのシンクタンクに在職、20世紀が抱える世界的な共通課題である持続可能なエネルギーの需給の問題、環境汚染や貧困と不平等の拡大の問題、食糧需給の不均等な格差の問題、などを総括担当する副社長として、約20年在任。日本に帰国後、株式会社エコ・ワールドを鎌倉で設立、スローでナチュラルな暮らしを提案。自分自身と家族の暮らしを実験的に試みようと、1997年4月、家族とともに住み慣れた鎌倉を離れ、知人も友人もいない愛知県の高原の村作手に移住した。自立、自律、自給の暮らしをする「百姓」になろうと。それが、21世紀の日本人の暮らしを展望する社会モデルになりうると考えたからであった。
https://mikawa-komachi.jp/people/kurodatakenori.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今回、この会を開催することを快諾していただいたものの、聴者が集まるかどうかを気にしている私たちに対し、
「人数の多い少ないに関係なく、ひとりでも多くの方に、【戦争が、どんなものか?何が起きるか?】を知っていただきたいと思います。人数の多い少ないに関係なく、私たちは、皆さんのご都合に合わせます」
そうおっしゃった黒田さん。戦争と被爆体験の話を聞くだけでなく、その人となりに触れることができる貴重な機会だと思います。
参加人数把握のため、DM、電話かショートメール09015330413、LINEなどでお申し込みをいただけると助かります。
キャンセル、飛び入り参加も大丈夫です。
小さなお子様も遠慮なくどうぞ。こどものがっこうの後、そのまま参加していただいても結構です。遅刻しても大丈夫です。
色んな世代の方に話を聞いてもらい、進んではならない未来について考えてもらえたら嬉しいです。
#被爆体験
#原子爆弾
#講演会
#戦争を語り継ぐ
#たはら暮らし
#田原
#豊橋
#新城
#浜松
#蒲郡
6歳で広島にて被爆
子どもたちやいろいろな人たちに
被爆体験を伝える活動をされています。
この機会に黒田さんのお話をぜひ

【お知らせ】
8/3(土) 16:00〜
戦争を語り継ぐ - ヒロシマ被爆体験のお話し会 -
今年で8/6に広島、8/9に長崎に原爆が落とされてから79年が経ちます。
こどものがっこうによく来てくれるRちゃんのお母さんのご紹介で、現在、新城市作手村に在住の黒田レオンさんにお越しいただき、戦争と被爆体験の話をお聞きする会を開催することになりました。
黒田レオンさんは、6歳の時に広島におり、原爆投下の直後から3日間、兄と慕う身内を探して爆心地を歩き回ったそうです。爆心地から近いところにあった家は幸い破壊を免れ、家が救護所になったために、傷ついた多くの人がやって来る様子を子どもの視点で見届けていたそうです。
皆様お誘い合わせの上、当時のお話を聞きに来ていただければ幸いです。
日時:8/3(土) 16:00~17:30頃
会費:無料
場所:豆若戸市民館
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プロフィール(引用みかわこまちより)
昭和14年、神奈川県生まれ。20代の後半から、アメリカのシンクタンクに在職、20世紀が抱える世界的な共通課題である持続可能なエネルギーの需給の問題、環境汚染や貧困と不平等の拡大の問題、食糧需給の不均等な格差の問題、などを総括担当する副社長として、約20年在任。日本に帰国後、株式会社エコ・ワールドを鎌倉で設立、スローでナチュラルな暮らしを提案。自分自身と家族の暮らしを実験的に試みようと、1997年4月、家族とともに住み慣れた鎌倉を離れ、知人も友人もいない愛知県の高原の村作手に移住した。自立、自律、自給の暮らしをする「百姓」になろうと。それが、21世紀の日本人の暮らしを展望する社会モデルになりうると考えたからであった。
https://mikawa-komachi.jp/people/kurodatakenori.html
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今回、この会を開催することを快諾していただいたものの、聴者が集まるかどうかを気にしている私たちに対し、
「人数の多い少ないに関係なく、ひとりでも多くの方に、【戦争が、どんなものか?何が起きるか?】を知っていただきたいと思います。人数の多い少ないに関係なく、私たちは、皆さんのご都合に合わせます」
そうおっしゃった黒田さん。戦争と被爆体験の話を聞くだけでなく、その人となりに触れることができる貴重な機会だと思います。
参加人数把握のため、DM、電話かショートメール09015330413、LINEなどでお申し込みをいただけると助かります。
キャンセル、飛び入り参加も大丈夫です。
小さなお子様も遠慮なくどうぞ。こどものがっこうの後、そのまま参加していただいても結構です。遅刻しても大丈夫です。
色んな世代の方に話を聞いてもらい、進んではならない未来について考えてもらえたら嬉しいです。
#被爆体験
#原子爆弾
#講演会
#戦争を語り継ぐ
#たはら暮らし
#田原
#豊橋
#新城
#浜松
#蒲郡
2024年06月23日
4泊5日伊豆半島の旅

4泊5日、伊豆半島の旅
6月13日(木)
スタートはアトリエから、搬入日の出発直前まで徹夜で仕上げて車に乗せこんで
朝6時出発!


約5時間かけて伊豆半島下田のWith A Treeに到着
実行委員のスタッフと一緒に作品設営。
天井が非常に高いので一日、設営に時間をとりました。
みなさんの協力があって、3時間ほどで41家族のダキシメルオモイの設営が完了しました。

5日間お世話になるGest House KodoKodo
荷物を降ろして、


KodoKodo近くの
Cafe N Bar Rummyへ徒歩で移動
実行委員のスタッフの方達と展覧会前の会食
駆けつけ生ビール
美味しかったですが
寝ていなかったので数杯飲んで撃沈、、、
6月14日(金)

朝食前に南伊豆の弓ヶ浜にて写真撮影

初日のスタートが夕方17時からなので

伊豆半島最古の神社、
白濱神社へ参拝
展覧会で下田の場所をお借りすること
下田のモデルさんとご縁をいただいたこと
展覧会の無事をお祈りしました。

おみくじは大吉⭐︎

陸前高田の家族の絵も一緒に


今回チラシをデザインしてくださった川津神社の川津かおりさん、ぎゅっとフェスでタロット占いもしてくださいました。
河津町にある川津神社へお礼参りしてきました。
本殿後ろにあった巨木が素敵でした☆

そこからさらに足を伸ばして、河津町にある蛙(かわず)の博物館
KAWAZOO(かわずー)へ
かえるマニアの聖地☆
前から気になっていたのでようやく行けた感じ

カエルの交尾


なかなかカエルが見つけられなかった、、、
お土産のラインナップが充実していました☆

子どもらのお土産にかえるの晴雨予報グラス

5年前の南伊豆町でのダキシメルオモイから実行委員で力添えくださっています⭐︎
「しいの木やま」さんのパスタランチへ
ようやくお店に来れました。

サクラエビのペペロンチーノ☆☆☆

店内にダキシメルオモイの冊子と募金箱を置いて応援くださいました涙

食後に下田市内のシンジ理容室へ
展覧会直前の恒例の散髪
2月の取材のときに来店以来2回目
覚えていてもらいました嬉
下田市に多い苗字、進士(しんじ)さん
元武士の家系だそうです。


初日は17時から20時まで
ライトアップが綺麗に見えました☆
いただいた月下美人が美しかった。。。
6月15日(土)


2日目のお昼は会場の近くの「志のぎ食堂」の
肉野菜炒め定食☆
安定の美味しさ。。。数10年、地元の人たちに愛されるお店
近所に欲しい一軒☆

2日目は10時~夕方16時まで

ちょっと疲れてきたので
コドコドに帰る前、スーパー青木に寄って食材を買って
コバヤシスペシャルを作って、実行委員のみなさんに振舞いました。
自分が一番食べたかったのかも笑
美味しくいただきました。明日の最終日も頑張れます☆

デザートも美味しかった☆
6月16日(日)

伊豆新聞の一面に載せていただきました☆
紹介文もいい感じです。

この朝食が1日の活力をいただけます☆


手作りの駐車場案内のマーク

30分ほどで搬出完了!片付けはスタッフもいるので早い!
有難いです。。。


帰りにスーパー青木で買い出しして
コドコドにて打ち上げ☆
滞りなく無事終わって良かった☆
おかげさまです。。。
お疲れさまでした。
6月17日㈪
名残惜しいですが渥美半島へ帰る日
帰りは駿河湾フェリーに乗ってかえることにしました。
出発は14時50分、どこまでも予定を入れ込む癖があるので
お尻が決まっているのは、いいことかもしれません。

展覧会に来てくださったShimoda One Cafeさんへ
かみさんのお土産のコーヒー豆を買いに寄りました

お客さんの源二さんと意気投合

白濱でサーファーをはじめた地元のはしりの人だそう
サーフィンしながら、白浜でペンションとサーフィンショップをされていたそうです。
白濱神社の敷地内にある干物屋さんを紹介していただいて買いに行きました。

白濱神社に無事に展覧会が終わったことのお礼参り

泉魚店にて干物購入☆

下田市の白浜から南伊豆へ駆け足で移動
ずっと気になっていた「ラーメン栄吉丸」へ
亡くなった義理の弟さんの使っていた事務所をそのまま使って
ラーメン店を2015年にはじめたお店。

弟さんの名前の一字を使ったラーメン
矢沢永吉の曲が流れる店内で優しい味のラーメンをいただきました。
弟さんの写真も飾ってあって、亡くなった弟さんへのオモイに溢れていて
お腹と心が一杯になりました。
生きる活力ももらえたような。ご馳走様でした☆
また来たいお店☆☆☆

フェリー乗り場までの途中にある
あいあう岬
展望台のお店は、定休日でした。




北条氏が統治していたあたりから伊豆半島の金脈は掘られていて
フェリー乗り場のある土肥(とい)には土肥金山があるというので
フェリー出発まで一時間あったので見学してきました。
土肥港は伊豆半島から採掘される金の搬出港としても栄えてきた歴史を感じました。
ガイドさんのお話が良かった。

ギリギリで出航に間に合って乗船
土肥港から清水港まで乗用車とドライバーで片道4000円

富士山が見えるかなと思っていましたが
浮世絵みたいな富士山が見えました☆
ご褒美☆

清水港から渥美半島まで今少しあります
船内で少し休めたかな?

三方ヶ原PAで肉野菜炒め定食☆
いままで移動中は眠たくなるのでがっつり食べなかったのですが
しっかり食べることに
食べると移動も心なしかしっかり走れることに気づきました(いまさら)
その日のうちに、無事渥美半島に到着しました。

4泊5日
伊豆半島の旅、お付き合いいただきありがとうございます!
楽しかった☆
2024年06月21日
ダキシメルオモイ展in下田 無事終わりました。
6月14日(金)~16日(日) 3日間で来場者244人
とても優しい素敵な空間になりました。

ダキシメルオモイ、下田に暮らす8家族、南伊豆に暮らす3家族を含む42家族が下田のWith A Treeに集いました。

搬入当日の朝6時まで徹夜して描いていた下田7家族も何とか持ってこれました(;^_^A

・ 6月14日(金) 3日間の初日金曜日のオープニング 17時~20時

5年前に南伊豆で展示したときにfacebookで繋がらせていただいたウクレレ奏者の近藤エリさんとのコラボが叶いました。
アジサイの花飾りが歌姫に引き立てます。
会場のライティングが綺麗に見えるのは夜、昼間の明かりが消えて会場内が現像的に輝く瞬間。
金曜の夜が一番見頃だったかも、、、

5年前、南伊豆で会場を貸していただいた熱帯植物園の安藤さんが今夜咲くという月下美人を差し入れに持ってきてくれました☆
もうひとつの会場だった金剛院さまからは甘茶の差し入れ、有難いです。。。
月下美人は帰ってから咲きました。
・ 6月15日(土) 2日目 10時~16時

一枚だけアトリエに忘れてきた作品、急遽かみさんに頼んで宅急便で送ってもらいました。早朝会場にて受け取り。
最悪、渥美半島のアトリエまで取りに行こうかと思っていたので助かりました。

静岡テレビの佐藤さんが朝から会場で追跡取材していただいています。
5年前の南伊豆のときから取材していただいていて、今回は土曜日に宣伝で一回、展覧会終わってから特集で7分放送していただけることになりました。4月に能登半島の被災地へ取材に行った時も、同列局で金沢テレビさんにお願いして取材に同行していただきました。
丁寧な取材をしてくださいましたので、今から特集が楽しみです。

5年前、南伊豆での展示会場で、福島県南相馬市から下田へ避難、移住された大内さん家族も観にきてくださいました。

15時からの朗読会、下田に暮らす家族、南伊豆に暮らす家族から寄せていただいた10家族ぶんのメッセージを実行委員の東さんと萩原さんで朗読してくださいました。大内さんだけはご本人に朗読されました。
大内仁美さまのオモイ
2011年3月11日、あの日も私達家族は別々に過ごしていました。伊豆下田にある実家に2人の娘を連れて帰省中、主人は南相馬市で仕事中でした。まさかそのまま13年間ここで暮らすことになるとは思いもしません。
地震、津波の混乱の中始まった見えない敵との戦い、住む場所、仕事を失い、9人で住んでいた家族はそれぞれ別々に生活をすることになりました。
この13年間本当にあっという間でしたが、色々な葛藤がある中で必死に駆け抜けてこられたのは子ども達がいてくれたおかげです。この笑顔を守ろうと必死になれたのだと感じています。私達家族は普通の家族の形とは違うかもしれませんが、この完成した絵を見た時に目に見えない家族の絆がはっきりと見えました。今はこの笑顔がずっと続く事を願っています。
いろいろな
朗読会で読ませていただいたメッセージ
大切なことが散りばめられていました。

モデルさん家族にも来場いただきました。





翌朝の伊豆新聞にも掲載いただきました。
紹介文章が秀逸でした。
・6月16日㈰ 10時~16時





14時から会場内でお話会

15時からフラダンスも



最終日はモデルさんのオモイの朗読も加速


駐車場係をかって出てくださった実行委員のお二人☆
暑い中、お疲れさまでした。。。

With A Tree の外観

搬出終わって、もとのスペースに戻った会場

5年前に描かせていただいた南風公房のけいさんとりんちゃん(実行委員)

まさえさん(実行委員)との出会いは、5年前の南伊豆展の搬入日、そのとき息子さんのお話をしていただきました。
それから昨年、まさえさんのご実家、栃木での展示に繋がって

79年前のダキシメルオモイを描かせていただけることに
唯一生きている三女のカツ子さんも栃木から下田の会場に来ていただきました。

6年まえに埼玉県の和光でのダキシメルオモイ展の会場ではじめて出逢ったよしえさん(実行委員)とその家族
和光の会場で娘さんとお孫さんの取材をさせていただきました。
そのご縁が南伊豆から下田まで繋がっていたとは、、、


娘さんの不登校から、そうした子どもたちの居場所づくりがしたいと、埼玉から
自然の多い南伊豆にGest House KodoKodoをオープン

今回も大変お世話になりました。
朝食、美味しかった☆

来場いただいたみなさま、ありがとうございました!
気にかけていただけたみなさま、開催までの”ぎゅっとふぇす”で協力いただいたみなさま、
ダキシメルオモイ展in下田実行委員ともども感謝いたします。
伊豆半島最高☆
とても優しい素敵な空間になりました。

ダキシメルオモイ、下田に暮らす8家族、南伊豆に暮らす3家族を含む42家族が下田のWith A Treeに集いました。

搬入当日の朝6時まで徹夜して描いていた下田7家族も何とか持ってこれました(;^_^A

・ 6月14日(金) 3日間の初日金曜日のオープニング 17時~20時

5年前に南伊豆で展示したときにfacebookで繋がらせていただいたウクレレ奏者の近藤エリさんとのコラボが叶いました。
アジサイの花飾りが歌姫に引き立てます。
会場のライティングが綺麗に見えるのは夜、昼間の明かりが消えて会場内が現像的に輝く瞬間。
金曜の夜が一番見頃だったかも、、、

5年前、南伊豆で会場を貸していただいた熱帯植物園の安藤さんが今夜咲くという月下美人を差し入れに持ってきてくれました☆
もうひとつの会場だった金剛院さまからは甘茶の差し入れ、有難いです。。。
月下美人は帰ってから咲きました。
・ 6月15日(土) 2日目 10時~16時

一枚だけアトリエに忘れてきた作品、急遽かみさんに頼んで宅急便で送ってもらいました。早朝会場にて受け取り。
最悪、渥美半島のアトリエまで取りに行こうかと思っていたので助かりました。

静岡テレビの佐藤さんが朝から会場で追跡取材していただいています。
5年前の南伊豆のときから取材していただいていて、今回は土曜日に宣伝で一回、展覧会終わってから特集で7分放送していただけることになりました。4月に能登半島の被災地へ取材に行った時も、同列局で金沢テレビさんにお願いして取材に同行していただきました。
丁寧な取材をしてくださいましたので、今から特集が楽しみです。

5年前、南伊豆での展示会場で、福島県南相馬市から下田へ避難、移住された大内さん家族も観にきてくださいました。

15時からの朗読会、下田に暮らす家族、南伊豆に暮らす家族から寄せていただいた10家族ぶんのメッセージを実行委員の東さんと萩原さんで朗読してくださいました。大内さんだけはご本人に朗読されました。
大内仁美さまのオモイ
2011年3月11日、あの日も私達家族は別々に過ごしていました。伊豆下田にある実家に2人の娘を連れて帰省中、主人は南相馬市で仕事中でした。まさかそのまま13年間ここで暮らすことになるとは思いもしません。
地震、津波の混乱の中始まった見えない敵との戦い、住む場所、仕事を失い、9人で住んでいた家族はそれぞれ別々に生活をすることになりました。
この13年間本当にあっという間でしたが、色々な葛藤がある中で必死に駆け抜けてこられたのは子ども達がいてくれたおかげです。この笑顔を守ろうと必死になれたのだと感じています。私達家族は普通の家族の形とは違うかもしれませんが、この完成した絵を見た時に目に見えない家族の絆がはっきりと見えました。今はこの笑顔がずっと続く事を願っています。
いろいろな
朗読会で読ませていただいたメッセージ
大切なことが散りばめられていました。

モデルさん家族にも来場いただきました。





翌朝の伊豆新聞にも掲載いただきました。
紹介文章が秀逸でした。
・6月16日㈰ 10時~16時





14時から会場内でお話会

15時からフラダンスも



最終日はモデルさんのオモイの朗読も加速


駐車場係をかって出てくださった実行委員のお二人☆
暑い中、お疲れさまでした。。。

With A Tree の外観

搬出終わって、もとのスペースに戻った会場

5年前に描かせていただいた南風公房のけいさんとりんちゃん(実行委員)

まさえさん(実行委員)との出会いは、5年前の南伊豆展の搬入日、そのとき息子さんのお話をしていただきました。
それから昨年、まさえさんのご実家、栃木での展示に繋がって

79年前のダキシメルオモイを描かせていただけることに
唯一生きている三女のカツ子さんも栃木から下田の会場に来ていただきました。

6年まえに埼玉県の和光でのダキシメルオモイ展の会場ではじめて出逢ったよしえさん(実行委員)とその家族
和光の会場で娘さんとお孫さんの取材をさせていただきました。
そのご縁が南伊豆から下田まで繋がっていたとは、、、


娘さんの不登校から、そうした子どもたちの居場所づくりがしたいと、埼玉から
自然の多い南伊豆にGest House KodoKodoをオープン

今回も大変お世話になりました。
朝食、美味しかった☆

来場いただいたみなさま、ありがとうございました!
気にかけていただけたみなさま、開催までの”ぎゅっとふぇす”で協力いただいたみなさま、
ダキシメルオモイ展in下田実行委員ともども感謝いたします。
伊豆半島最高☆
2024年05月31日
79年前のダキシメルオモイ ~三女、カツ子さんからのメッセージ~

『1945年8月、私は3歳5か月。記憶はありません。それだけに嬉しいような恥ずかしいような気持ちです。
父/佐一郎は、馬をとても大切に、そして可愛がっていました。それが馬にも伝わっているのか、父が家に帰ってくるとこの馬は決まって「ヒヒーン」と鳴いていました。私は、幼い頃銃器を手に軍服姿の若い人が写っている写真を見たことがあります。その時、「この人は誰だろう?」と思ったものでした。今、思い返すと父の出征時の記念写真だったのだろうと想像されます。昨年ダキシメルオモイを描いていただくにあたり、兵籍簿を取り寄せて読む機会がありました。中国で戦闘に参加した記録を初めて読みドキドキしました。また終戦記念日に寄せられた戦争にまつわる新聞記事に出会うと、戦争の悲惨さや父の苦労・心の傷などを身近なものとして感じるようになりました。
母/りは、働く姿しか思い出せません。ゆっくりしているところなんか見たこともありません。農家の長男の嫁になり、舅・姑・小姑たちに囲まれて、朝から晩まで仕事をしていました。盆や正月だって実家に帰ることもできず、さらに父は49歳で他界し一人で苦労ばかりの人生。母は何のために生まれてきたのだろう?と思ったことあります。
この父この母に育てられた私と姉たち。どんな思いで私たち姉妹を育てたのだろう?と両親に想い寄せるこの頃です。そして、3歳だった私は今年82歳になりました。この絵は79年前の絵となります。』
昨年、栃木県栃木市でひとり暮らしていた母親(長女)が亡くなったことで実家を片付ける前にダキシメルオモイ展がしたいと、築100年の自宅でダキシメルオモイ展をさせていただいたとき、79年前にこの家に暮らしていた家族の姿を、遺影や生き残っている三女のカツ子さん、父親の兵籍簿などから、家族の姿をイメージして描かせていただきました。今回、カツ子さんからメッセージをいただきましたので紹介させていただきます。
母親に抱きしめられているのが三女のカツ子、次女の肩をうしろから抱きしめているのが昨年亡くなった長女、次女の手には代々この家で受け継がれていた「かき菜」、父親、佐一郎さんと家族同然に大切にしていた馬、昨年から何回か取材に行った際に、依頼者になついていた白猫を描かせていただきました。遺影や半身像などの写真はあるのですが、こうした家族の写真がなくて、イメージをするのが少し難しかったです。

昨年の栃木での展示の際には、家族の表情がうまくまとまらなくて、半年かかってみんなの表情が自然な笑顔にまとまりました。
2024年01月16日
【チーム渥美半島】始動しました。

【チーム渥美半島】始動
能登半島地震を受けて被災した方々への支援をするため、渥美半島の有志の方々と支援チームを立ち上げました。渥美半島で作られた野菜などを能登半島へ届けられたら、能登半島から渥美半島へ
日本海側へ太平洋側から支援をしていきたいと思います。第一便は来週22日に石川県金沢市のメロメロポッチさん、富山県砺波市のボランティアグループ Silbern23 シルバーンさんへ、集められた支援物資をお届けする予定です。
立ち上げに参加したオモイとして
ダキシメルオモイの展示や活動、モデルなどで出会った北陸や石川県の人々から受けたたくさんのご恩を
お返し出来たらと思っています。
【チーム渥美半島】Instagramを開設しました!
活動報告も兼ねてメンバーで投稿して行こうと思います。
以下からInstagramフォローしていただけたら励みになります!よろしくお願いいたします。
https://www.instagram.com/team.atsumihanto...
2023年11月04日
不思議なことがあった 富山にて
不思議なことがあった
富山県、旧小羽小学校での「こば文化祭」
なんとか無事終了しました。

先月から続いた、栃木県、愛知県、富山県、埼玉県での大切な展示、ここ数年で一番険しかった山場をなんとか越えることが出来ました。富山で泊まって翌朝、持病の帯状疱疹後神経痛が痛むかなぁと身構えていましたが痛みも無く、毎晩飲んでる痛み止めも飲み忘れていたことに気づきました。
ハードな遠征を重ねて数週間、痛みが常態化していたので不思議で、これは何かなぁと思い返したら、こば文化祭でいただいた発酵甘糀ドリンクなのかなぁと

昔から飲む点滴と愛されてきたそうで、免疫力を上げる飲み物だそうです。
大量の痛み止めを飲み続けていた西洋医学ではなくて、東洋医学に切り替えるポイントなのかなぁと思いました。
創業90年以上続く八尾のこうじ店が無くなることからこうじ作りを引き継いだ方々(そこで産まれたこうじを使ったドリンク)と今回出会って、


八尾の観音寺さまと利賀村にある瞑想の森を強く勧められて、行くことに^ ^
翌朝6時に八尾の観音寺さまで座禅と読経に参加させていたたいて2時間、
変わらないものは無い、過去も未来も無い、あるのはただこの今だけ、現在の連続である、曹洞宗を開いた道元の爾今(にこん)の教えにも出会わせていただきました。
そのあと利賀村にある瞑想の郷へ、ネパールの絵師を利賀村に招いて5年かけて描いてもらった巨大な曼荼羅の数々を観て回りました。
ネパールの仏教、回転させるとお経を一度唱えたことになると言うマニ車や、複雑な教えを一枚に現した曼荼羅の絵も、ひろく沢山の民衆、文字が読み書き出来ない人々でももらさず救いたいと言うオモイから出来たのかなと感じました。
瞑想の郷、最後の部屋にたくさんある曼荼羅の形の中から、空海がピックアップした金剛曼荼羅(ダイヤモンド、揺るがない知恵)と胎蔵曼荼羅(母親の胎内、大いなる愛、慈愛、慈悲)のふたつの曼荼羅のある部屋に案内していただいて、
“知恵と愛で悟りが開かれる”
と言う仏教の真理を教えていただきました。

<目指す物によって見つかるものが変わってくる>
空海は“悟り”を目指して中国へ渡り密教をいただき、たくさんある曼荼羅のなかからこのふたつをピックアップして日本に伝えた、
親鸞は“たくさんの民を救いたい”を目指して仏教のなかから阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が立てた48の願いのなかにある18願『全ての人びとを救いたい、救えなければ私は仏にならない』に出会い、自らも民衆の世界に妻帯となることで入って共に道を歩んだ。
施設を案内していただいた方が、浄土真宗本願寺派のお寺の次男の方で、自身も細かくなった宗派を超えて仏教の本質を学びたいと全国を旅してまわっている方で、興味深く案内していただきました。自身のことを遊行僧みたいだと話していたのが面白かった。
今回出会った人たちから聞いた話のなかで
不思議に共通していた話があって
「願ったり、思い描いたことは叶う」
と言うことでした。
叶わない、ではなくて、そうした自分になると思う、自分のなかにあるリミッター、ブロックを外しなさい、と言う段階に来ているのかなと感じました。
ダキシメルオモイプロジェクト
お釈迦さまの一生を寓話化した、普通に暮らしている人たち、つまらなそうに見えても何かひとつ良いものがある、53人の善知識を訪ね歩いて悟りを開いた善財童子を見習って、毎年53の家族を訪ね歩いてオモイを絵にして行こうとスタートしたプロジェクト
善財童子は悟りを開いて自由自在神になったそうで、
リミッターを外すことはそれに近づくことなのかもしれないと感じました。
この世の中に暮らすさまざまな人たちの愛の姿を訪ね歩いて絵にしていきたい
人生は一度しか生きれないけれど
たくさんの悩み苦しみながらも
愛を生きる姿を
たくさんの人たちと共有して
現在をより良く生きる手掛かりにして欲しい
今回の旅で、私の本願も固まってきました。
長文読んでいただきありがとうございました
駆け足で見聞きしたことを書き出したので
間違えていたら教えてください
#富山県
#旧小羽小学校
#こば文化祭
#発酵甘糀ドリンク
#こうじを守る会
#こうじの守人
#こーじーズ
#八尾
#観音寺
#利賀村
#瞑想の郷
#曼荼羅
#新そば
富山県、旧小羽小学校での「こば文化祭」
なんとか無事終了しました。

先月から続いた、栃木県、愛知県、富山県、埼玉県での大切な展示、ここ数年で一番険しかった山場をなんとか越えることが出来ました。富山で泊まって翌朝、持病の帯状疱疹後神経痛が痛むかなぁと身構えていましたが痛みも無く、毎晩飲んでる痛み止めも飲み忘れていたことに気づきました。
ハードな遠征を重ねて数週間、痛みが常態化していたので不思議で、これは何かなぁと思い返したら、こば文化祭でいただいた発酵甘糀ドリンクなのかなぁと

昔から飲む点滴と愛されてきたそうで、免疫力を上げる飲み物だそうです。
大量の痛み止めを飲み続けていた西洋医学ではなくて、東洋医学に切り替えるポイントなのかなぁと思いました。
創業90年以上続く八尾のこうじ店が無くなることからこうじ作りを引き継いだ方々(そこで産まれたこうじを使ったドリンク)と今回出会って、


八尾の観音寺さまと利賀村にある瞑想の森を強く勧められて、行くことに^ ^
翌朝6時に八尾の観音寺さまで座禅と読経に参加させていたたいて2時間、
変わらないものは無い、過去も未来も無い、あるのはただこの今だけ、現在の連続である、曹洞宗を開いた道元の爾今(にこん)の教えにも出会わせていただきました。
そのあと利賀村にある瞑想の郷へ、ネパールの絵師を利賀村に招いて5年かけて描いてもらった巨大な曼荼羅の数々を観て回りました。
ネパールの仏教、回転させるとお経を一度唱えたことになると言うマニ車や、複雑な教えを一枚に現した曼荼羅の絵も、ひろく沢山の民衆、文字が読み書き出来ない人々でももらさず救いたいと言うオモイから出来たのかなと感じました。
瞑想の郷、最後の部屋にたくさんある曼荼羅の形の中から、空海がピックアップした金剛曼荼羅(ダイヤモンド、揺るがない知恵)と胎蔵曼荼羅(母親の胎内、大いなる愛、慈愛、慈悲)のふたつの曼荼羅のある部屋に案内していただいて、
“知恵と愛で悟りが開かれる”
と言う仏教の真理を教えていただきました。

<目指す物によって見つかるものが変わってくる>
空海は“悟り”を目指して中国へ渡り密教をいただき、たくさんある曼荼羅のなかからこのふたつをピックアップして日本に伝えた、
親鸞は“たくさんの民を救いたい”を目指して仏教のなかから阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が立てた48の願いのなかにある18願『全ての人びとを救いたい、救えなければ私は仏にならない』に出会い、自らも民衆の世界に妻帯となることで入って共に道を歩んだ。
施設を案内していただいた方が、浄土真宗本願寺派のお寺の次男の方で、自身も細かくなった宗派を超えて仏教の本質を学びたいと全国を旅してまわっている方で、興味深く案内していただきました。自身のことを遊行僧みたいだと話していたのが面白かった。
今回出会った人たちから聞いた話のなかで
不思議に共通していた話があって
「願ったり、思い描いたことは叶う」
と言うことでした。
叶わない、ではなくて、そうした自分になると思う、自分のなかにあるリミッター、ブロックを外しなさい、と言う段階に来ているのかなと感じました。
ダキシメルオモイプロジェクト
お釈迦さまの一生を寓話化した、普通に暮らしている人たち、つまらなそうに見えても何かひとつ良いものがある、53人の善知識を訪ね歩いて悟りを開いた善財童子を見習って、毎年53の家族を訪ね歩いてオモイを絵にして行こうとスタートしたプロジェクト
善財童子は悟りを開いて自由自在神になったそうで、
リミッターを外すことはそれに近づくことなのかもしれないと感じました。
この世の中に暮らすさまざまな人たちの愛の姿を訪ね歩いて絵にしていきたい
人生は一度しか生きれないけれど
たくさんの悩み苦しみながらも
愛を生きる姿を
たくさんの人たちと共有して
現在をより良く生きる手掛かりにして欲しい
今回の旅で、私の本願も固まってきました。
長文読んでいただきありがとうございました
駆け足で見聞きしたことを書き出したので
間違えていたら教えてください
#富山県
#旧小羽小学校
#こば文化祭
#発酵甘糀ドリンク
#こうじを守る会
#こうじの守人
#こーじーズ
#八尾
#観音寺
#利賀村
#瞑想の郷
#曼荼羅
#新そば
2023年09月06日
福田村事件、映画を観てきました。

100年前の日本、関東大震災という大きな地震のあと、四国から薬の行商として関東に来ていた15人のうち胎児を含む10人が、朝鮮人と間違われ村の自警団200人に殺された福田村事件
映画を観てきました。
日露戦争から19年目に起きた事件
戦って勝ったロシアから賠償金や土地をろくに勝ち取れなかった日本、臥薪嘗胆と重い税金に耐えに耐えてきた国民の不満が爆発、暴徒化した国民による日比谷焼き討ち事件に発展、その後、朝鮮半島併合、朝鮮の人たちの土地や人を日本化する政策が進められ、日本に安い労働力として連れて来られた朝鮮の人たち、彼らに対する差別や迫害が、同じだけの恐怖や不安を作り上げ、その緊張が大地震を受けて弾けた、地震直後から朝鮮人が襲ってくる、井戸に毒を投げ入れる、などの噂が広まり朝鮮人を含む6000もの人が殺されていくことに
国や新聞によって作られていくイメージ
何より民衆の過熱した負のエネルギーの暴走、
100年前とは思えない、現在の日本でも起こりうることだと感じながら観てきました。
東出昌大やピエール瀧といった大衆から叩かれた経験を持つ俳優が出演しているのも、ひとつのポイントで、社会悪に対して集団で吊し上げる構造、命を奪わなくとも社会的に抹殺するやり方、似てるなぁと、、
コロナのとき、アメリカで中国人が差別されて迫害されたとき、現地にいた日本人も巻き込まれた話も思い出しました。
なかったことにされそうだったこの事件を、こうして形にして伝えてくれた方々に感謝します。
2度とこうしたことが起きないように、どうしたらいいか、これから考え続けて生きることが何よりの供養になるかなと思います。
地震後に迫害で命を奪われた朝鮮人を含む6000人の方々のご冥福をお祈り致します。
奇しくも本日9月6日は福田村事件の日、亡くなられた方々の命日
2023年08月16日
78年目の夏

【終戦記念日】
台風が少し逸れた午後
長男と一緒に近くの渥美町護国神社へ
78年前、日本とアメリカとの戦争で命を落とした旧渥美町の戦没者の方々へ手を合わせてきました。
宇都宮から中国へ出兵された佐一郎さん
気仙沼から満州、シベリア抑留を経て帰国した梅吉さん
愛知から中国へ出兵されたお父さん
ウクライナから愛知へ避難された夫婦
今年はいつになく戦争を身近に感じる夏になっている、、、
佐一郎さん家族のダキシメルオモイ
梅吉さんのお孫さん家族のダキシメルオモイ
ウクライナから避難された夫婦のダキシメルオモイ
向き合って描いて行きます。
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渥美護国神社は 渥美郷土資料館 の西隣にあり、昔、この地に福江町の忠魂碑を建てて町内の戦没者を祀ったのが始まりとされている。 そして、昭和25年1月15日、社殿を造営して福江神社とし、更に、昭和30年4月15日 合併により渥美町の誕生と同時に渥美護国神社となる。 祭神は旧渥美町内の戦没者の霊で、例祭日は4月10日。