2024年05月31日

79年前のダキシメルオモイ ~三女、カツ子さんからのメッセージ~

79年前のダキシメルオモイ ~三女、カツ子さんからのメッセージ~



『1945年8月、私は3歳5か月。記憶はありません。それだけに嬉しいような恥ずかしいような気持ちです。

父/佐一郎は、馬をとても大切に、そして可愛がっていました。それが馬にも伝わっているのか、父が家に帰ってくるとこの馬は決まって「ヒヒーン」と鳴いていました。私は、幼い頃銃器を手に軍服姿の若い人が写っている写真を見たことがあります。その時、「この人は誰だろう?」と思ったものでした。今、思い返すと父の出征時の記念写真だったのだろうと想像されます。昨年ダキシメルオモイを描いていただくにあたり、兵籍簿を取り寄せて読む機会がありました。中国で戦闘に参加した記録を初めて読みドキドキしました。また終戦記念日に寄せられた戦争にまつわる新聞記事に出会うと、戦争の悲惨さや父の苦労・心の傷などを身近なものとして感じるようになりました。

母/りは、働く姿しか思い出せません。ゆっくりしているところなんか見たこともありません。農家の長男の嫁になり、舅・姑・小姑たちに囲まれて、朝から晩まで仕事をしていました。盆や正月だって実家に帰ることもできず、さらに父は49歳で他界し一人で苦労ばかりの人生。母は何のために生まれてきたのだろう?と思ったことあります。

この父この母に育てられた私と姉たち。どんな思いで私たち姉妹を育てたのだろう?と両親に想い寄せるこの頃です。そして、3歳だった私は今年82歳になりました。この絵は79年前の絵となります。』

昨年、栃木県栃木市でひとり暮らしていた母親(長女)が亡くなったことで実家を片付ける前にダキシメルオモイ展がしたいと、築100年の自宅でダキシメルオモイ展をさせていただいたとき、79年前にこの家に暮らしていた家族の姿を、遺影や生き残っている三女のカツ子さん、父親の兵籍簿などから、家族の姿をイメージして描かせていただきました。今回、カツ子さんからメッセージをいただきましたので紹介させていただきます。
母親に抱きしめられているのが三女のカツ子、次女の肩をうしろから抱きしめているのが昨年亡くなった長女、次女の手には代々この家で受け継がれていた「かき菜」、父親、佐一郎さんと家族同然に大切にしていた馬、昨年から何回か取材に行った際に、依頼者になついていた白猫を描かせていただきました。遺影や半身像などの写真はあるのですが、こうした家族の写真がなくて、イメージをするのが少し難しかったです。
79年前のダキシメルオモイ ~三女、カツ子さんからのメッセージ~
昨年の栃木での展示の際には、家族の表情がうまくまとまらなくて、半年かかってみんなの表情が自然な笑顔にまとまりました。




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