2016年07月27日

『長谷川純、半世紀の軌跡』

名古屋市千種区、千種駅、河合塾近くにある5/Rギャラリーへ長谷川純先生の個展を観に行ってきました。


表現するとは?

自分の内なる声と真摯に向き合い

常に社会的な軌跡の枠に捉われずに

作品を造り続けてこられました。




2011年、東日本大震災を受けて現した作品



奥さまも画家で、それぞれお互いの横顔を描かれて
向き合わせで額装した作品(額も手作り)





キリスト教、聖書の中に現れる聖人を題材にして
アトリビュート
西洋美術の中で
神や聖人のエピソードに登場する物や持ち物(それがアトリビュートだそうです)
アトリビュートをそれぞれの人物と構成して描いている。

聖書に詳しかったら数倍楽しめるのに…

昔から何か惹かれる作品を創られているなと思っていましたがお話も伺えて嬉しかったです。

高校時代から大学時代の作品、
教員をされているそうで
修学旅行先でのスケッチ、自作のタロットも展示してありました。



来週の月曜日まで5/Rギャラリーにて開催中
http://www.five-r.jp/gallery/view/130

  


Posted by 小林憲明 at 11:31日記

2016年07月24日

オモイは受け継がれる〜岡山県 取材の旅〜

「はぐくみHGU-me!プロジェクト」
8月6.7.8日 百華蔵 (茨城県ひたちなか市)
に参加させていただくにあたり

ご一緒させていただく椎木透子(しいいき とうこ)監督作品
「福島のつぶやき」に福島県から岡山県に避難されたご家族が登場していました。
映像から感じる、その人柄や暮らしぶりに惹かれまして、
この家族、同じく福島県から京都に避難されたご家族に一年前に紹介されていたのですが、この機会に、思い切って岡山県に取材に行くことにしました。

さすがに日帰りで行ける距離では無いので
どうしようかと思案していましたが
愛知県から岡山県に移住して民宿を開いた知り合いがいた!


ということで訪ねてきました☆
岡山県、美作市(みまさか)、宮本武蔵の生まれ故郷だそうで、お土産に買った素麺(産地)家族に大好評、
農家民宿もなかなか泊まり心地良かった
写真は一泊夕食つきのプラン(呑んでご飯まで辿り着けませんでしたが、美味しかった)
皆さまどうかご贔屓に

里山デイズ、こぶし庵
http://satoyama.link/

岡山県に来たら、どうしてもどうしても行きたい場所がありまして…

司馬遼太郎「峠」の主人公

越後、長岡藩家老、河井継之助
彼が江戸から訪ね、一年あまり滞在した山田方谷(ほうこく)先生の庵跡、現在は方谷駅(人名での駅名は日本初)

河井継之助フリークとしては
もはや聖地のような場所

山田方谷(やまだほうこく)
幕末、破綻寸前の備中松山藩の財政、借金10万両(現在の価値で100億円)をわずか8年で返済、尚且つ10万両の余剰金を作った備中聖人のひとり

取材までの時間、山田方谷先生ゆかりの地をめぐることにしました。

朝5時出立、土砂降りの中、備中路を一路、西へ西へと走ります


岡山県新見市(母親の生まれ故郷、晩年暮らした場所)にある記念館

開館まで時間があったので近所にある方谷庵へ
母方の菩提寺に祖父母の慰霊を兼ねて建てた庵だそう

奇しくも地元商工会?婦人部の「山田方谷先生を勉強する会?」に遭遇、ご一緒させていただきました。
学芸員の方が「小さな記念館でして」と挨拶していました(地元の公民館ほどの大きさ)
方谷先生の残した物は目で見るのではなく、心で感じる物だと思います!(と胸の内で秘かにエールを送ったり)来賓の挨拶の間、学芸員の方?が一つ一つ丁寧に解説いただき、地元の人々に愛されているなぁ、そのオモイに触れることが出来て嬉しかったです。
ありがとうございました。

再び土砂降りの中、高梁川(たかはし)に沿って180号線を南下
車で走ること約1時間



ついにやってきました方谷駅。
人名(名前)の駅名は前例が無く、地元住民の熱意(西方の谷という方便)により特別に許されます

財政を立て直した後、願い出て藩の北街道筋にあたる西方村に家塾を開校しました。
高梁川を挟んで対岸の小さな土地、
備中松山藩、北側の守備を兼ねての居住だとも聞きました。

わずか数年で財政改革を成し遂げた(当時としては異例、藩主、板倉勝静(いたくらかつきよ)は、これを機に幕政に取り立てられます)
方谷先生に学びたいと全国各地から生徒が集まり、常に数百人ほどが読書や対岸の丘陵地(急斜面)を開墾したりして生活していたそうです。

この時、江戸からはるばる河井継之助も教えを聞きにやってきます。入門が許され約1年ちかくこちらに滞在しました。
周りの山河は当時とほぼ変わってないんでしょうね、とても感情深いです。

継之助ははじめ、農民から武士になった方谷先生を軽んじていましたが、最後、こちらを旅立つ時に、目の前の高梁川を舟で渡り対岸の榎の元で、土下座をして、3度礼を尽くしたそうです。〜見返りの榎〜

方谷駅から見た榎

榎から見た方谷駅

別れに際し、方谷先生は河井継之助に「至誠惻怛(しせいそくだつ)」という言葉を贈っています。

方谷先生のこのオモイ、様々な方面に受け継がることになります。この後、伏線で繋がることに。

河井継之助も目にしたであろう山河を見ながら、帰路につく胸中を想像しながら、高梁川沿いを南下、
次の目的地、備中松山城へと急ぎます

現存する天守のある山城の中では1番高い場所(標高430m)に建っています。
五合目あたりまでは車で、そこからシャトルバスを乗り継ぎ、ターミナルから山道を歩くこと30分

ほぼ登山ですね(汗)雲海が出ていました。
周りの山々から眺めたら、雲に浮かぶ幻想的なお城の姿が見れたと思います。

真田丸のオープニングで使われた石垣
各地にある城を組み合わせて作成されたようです。

本丸(山頂)に着く頃には汗だくになりまして、ここまで攻めるのは至難の技なのではと痛感しました。

見晴らしは最高ですね、などと和む間もなく、
今回の旅のメインイベント、岡山県に避難されたご家族の取材です。(少し時間がおしています)


土砂降りの中、峠を走り抜けつつ約1時間

岡山市北区にある取材するご家族の元へ到着
(福島県川内村から岡山県に避難)
奥さまと旦那さま、ご夫婦で迎えて下さりました

奥さまは大工をされています。旦那さまは新しいソーラーシステムのエンジニア。
川内村での暮らしぶり、詳しくは冒頭に紹介した「福島のつぶやき」を観て下さい。
避難前から、原子力発電所に近い場所ということで、ガイガーカウンタやヨウ素剤をネットで取り寄せていたり(旦那さま)、反対運動にも参加したり(奥さま)、今回話を伺ってみて感じたのは、奥さまもそうですが、旦那さまのオモイも相当強いなぁと思いました。
同性だから尚のこと、家族に対してのオモイの強さを感じました(泣けるほどじわじわと)
原発事故に直面して、父親がいろいろ動く、数十組の避難家族を取材しましたが、良い悪いではなくとてもレアケースだと思いました。
旦那さまも描かせてもらいますのでお楽しみに。


取材も無事終わり、もうひとり、訪ねたい人がいまして(この時点で夕方)

3年前、愛知県新城市で展示した時に知り合った
児童養護施設で働く友人、
今は岡山市内の児童養護施設で働いていて、
そこは児童福祉の父といわれた石井十次ゆかりの新天地育児院という施設を訪ねました。


石井十次(いしいじゅうじ)
明治時代、身寄りの無い子どもたちを引き取り、手に職をつけて社会に還す児童養護施設の先駆けの活動をされていたそうです。
東北地震、その後の飢饉で家族を失った孤児1000人をここ岡山の地に呼び寄せ、共に暮らしながら育てた

全く知りませんでした、スケールの大きさに驚かされるというか…
ここでまた「至誠惻怛」という言葉に出逢い驚きます。
受け継がれているんですね。

「至誠惻怛(しせいそくだつ)」
「至誠」は極めて誠実なことで真心を意味し
「惻怛」というのは痛み悲しむ心の意味です。
即ち、この熟語は、まごころ(至誠)と痛み悲しむ心(惻怛)があればやさしく(仁)なれる。

やさしさを無くしかけた世の中にあって
大切な言葉だなと思いました。


オモイは受け継がれる


今回の茨城県での展覧会を通して
先人の大切な問いかけ、オモイをたくさん感じました。
様々な学びから、それを還元する試みをしていきたいなと思います。


  


Posted by 小林憲明 at 07:37展覧会「ダキシメルオモイ」日記歴史

2016年07月21日

8月ひたちなか市での展示に向けて 〜茨城県編〜

「はぐくみHUG-me!プロジェクト」
8月6.7.8日 百華蔵(びゃっかぐら)
http://noriakikobayashi.dosugoi.net/e869107.html
に参加するにあたり

地元の方々のダキシメルオモイを描いて
当日、展示したいと思いまして
事前にモデルを募集していただき
応募していただいた9家族(実際には11家族、ありがとうございます。)
会場での打ち合わせも兼ねて
7月頭に3日間、茨城県に取材に行ってきました。


会場になる『百華蔵(びゃっかくら)』
ひたちなか市、那珂湊(なかみなと)にありまして
江戸時代、北前船の大きな港であり
ここで米を陸揚げし、利根川、荒川、を使い江戸の人々が食べる米を運んでいた
河川舟運(かせんしゅううん)の拠点地として

西の大阪、東の那珂湊

と呼ばれるほど栄えたそうです


その時代の名残である那珂湊駅前の米蔵が壊されるのを偲びなく思ったオーナーさんがここを引き取り、何か地域との繋がりがある施設に出来ないかと
3年前にギャラリースペースを開いたのがはじまり

ダキシメルオモイ プロジェクトをはじめてから
いつか蔵で展示したいとイメージにぴったりの場所でした
リハーサルと打ち合わせを兼ねて
わくわくしました


取材場所を提供していただいた
ひたちなか市の正安寺さま

茨城県は東日本大震災で被災した場所でもあり
忘れられた被災地でもあるそうです

震災当時のお話もお聞きしたり

ひたちなか市や水戸市に暮らす
11の家族の取材をさせていただきました

今回、茨城県に来れたのは親鸞上人のご縁も感じていたので
取材の合間、午前中にゆかりの場所を訪ねてきました

『鹿島神宮』
親鸞上人が書物を書くときに、経典からの引用などをするときなど確認を兼ねて、鹿島神宮に奉納されている経典を読みに、たびたび訪れたそうです。
当時、鹿島神宮に仕えていた神官や関係者も親鸞上人の人柄や教えにふれ、従った人々が多かったそうです



『稲田禅房 西念寺(さいねんじ)』(北関東で20年の布教活動の拠点といわれている場所)
親鸞上人と恵信尼(えしんに)ご夫妻で阿弥陀さまの両脇に掛軸が飾られている配置は、こちら西念寺だけだそう
親鸞上人は北関東20年滞在の間に様々な場所で活動していたそうですが、恵信尼さまと子どもたちは、この稲田禅房(当時はお寺ではなく庵だけという佇まい)から移らなかったようで、子育てに専念した場所だったのではないかと言われています


『上宮寺(山吹の弁円(べんねん)、明法房(みょうほうぼう)が開基のお寺さん)』
御住職とお話出来ました、代々、明の一字を名前に受け継いでおられるそうです
ガッチリした体格で山吹の弁円さんを彷彿させる感じでしたが、庭の手入れに心を砕き、生けられた仏花(仏前に供える生花)は見事でした

今回、取材する予定のご家族で
ひと家族だけ偶然屋外で取材することになりまして
指定されたのが水戸市内にある保和苑(ほわえん)
水戸光圀とのゆかりが深い場所で
約100種類の紫陽花の花が咲き乱れる綺麗な中、取材することが出来ました。
小高い丘にある保和苑、中央に大悲山保和院(だいひざんほわいん)桂岸寺というお寺がありまして
お詣りすると運が強くなるようで

夜逃げする前でも(時間を割いて)詣れ

と言われるくらい御利益があるそうです。(写真撮り忘れました)
ひととおり案内していただき
最後、苑内にある回天神社を案内していただきました
水戸藩、藩士が桜田門外の変を起こしたのは知っていたのですが、それ以外に天狗党の乱などを起こしたり、常に藩内は保守派と改革派の争いが絶えなく、明治政府が樹立するまでに命を落とした藩士やその家族が1000人を越えるそうで、他藩から比べても甚大な人数なんだそうです
亡くなられた藩士の方々が眠るお墓

お参りさせていただきました

そうした歴史、人々の願いやオモイが詰まった茨城県で展示させていただきます


『恋歌(れんか)』
最後に水戸の方に紹介していただいた本
こちらも茨城県と関わりが深い本、
まだ読み終わっていないので感想が書けませんが
展覧会がはじまるまでに読み終わりたいと思います

『オモイは受け継がれる』

ご縁に従い、流れ着くようにやってきた茨城
今回の展覧会、関わっていただく方々とのご縁
地縁、様々なオモイ、何か学びがあるようです。
とりあえず帰ってから取材した家族を描き上げたいと思います。

いつになく長文、読んでいただきありがとうございました
制作に移ります

  


Posted by 小林憲明 at 12:09展覧会「ダキシメルオモイ」日記

2016年07月06日

御坊夏まつり

阿弥陀さまへと続く、長い長い道のり

そんなふうに見えたりする
気にもなります

名古屋東別院(真宗大谷派)さまにご縁を繋いでいただき
400畳の本堂をお借りすることが出来ました。
ダキシメルオモイを展示いたします。

我が子を抱く親子の姿が
それぞれ打ち消し合わず
共鳴し、オモイを増幅する空間、

この機会に是非お越し下さい。

『御坊夏まつり』
8月20日(土).21日(日)
16:00〜21:00
名古屋、東別院にて
  


Posted by 小林憲明 at 10:18展覧会「ダキシメルオモイ」