2019年07月16日

震災から8年、避難者のダキシメルオモイ

3.11 午後2時46分。
自宅のダイニングテーブルに4歳の娘の幼稚園の制服姿とおやつを支度した私。
その時、夢か現実か区別がつかなくなるような地球ごと大きく揺れ続ける地震に緊急停止ボタンはなかった。

すぐさまネットから原発情報を発信されてる方を探しあて携帯画面から知った空高く立ち上る黒く大きなキノコ雲、それは福島第一原発3号機からだった。

娘を放射能から逃すのはもう間に合わない。
国会もテレビも原発は『直ちに影響はない』の繰り返し。

娘の友だちのママたちから漏れる不安な声。
原発から出る初期の大量の放射性物質については主人も、身内も、友だちたちも、知人の有識者の人たちも、市役所の職員たちも、子どもの命が大切じゃないのかな?と思う娘の幼稚園の先生たちさえも、被ばくに対しては楽観する声が私の周りではほとんどだった。

私は一人『娘をどうにかして放射性物質のない場所に連れ出さなくてはいけない!』という思いが込み上げていた。

パパを一人ぼっちで関東に残して母子疎開することは胸が引きちぎられる思いだった。

西へと向う新幹線の中で、娘の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

食品、水、土、木などから次々に〇ベクレル検出と読むと直ぐには自宅に戻ることはできないな、とパパに移住を呼びかけるけれどパパの回答は絶対に不可能だと言われ続けてきた。

それでも私はいつかパパに転機が訪れるチャンスを心のどこかで希望をしていた。

移住先の県で、支援を受ける氣は更々なかったけれど、被災登録した上で編集委員メンバーとして加われば、月1回県庁の一角の部屋で開催している編集会議に出席することで、避難に至った自身のありのままを投稿し被災登録されてる方などに発信ができると電話の向こうのセンター長から登録を勧められてすぐ登録手続きをし編集委員となった。

それなのに実際に編集会議に出て原稿を提出すると原発関連など使ってはならない語句や文だらけで、私の投稿したいありのままの文とはかけ離れた文に変えられてしまうのでした。

私は主人を関東に残して、不安定な生活を強いられる貴重な時間の中で県に自費で来ているのに、誰の何のために編集会議に出向く意味があるのか?と。
編集会議に出る度に前向きな氣もちを忘れないでと自分に言い聞かせるも虚しく、県に対する不信な思いは積み上げられていき苦しむのでした。

あれから8年半という月日が過ぎ、体調を崩す人、病気が増えました。
特に子どもたちに癌や白血病や突然死なんて聞くと胸が痛くなる思いです。

私は震災が起こる数年前、自身の体験で体に不調が出て日夜激しい痛みによって数分と眠ることができず、心身とも追い詰められていく出来事があった。
その症状は身にしっかり覚えがあり、数年前から朝にだけたまに起る症状で、でも病院にはいかず放置してきたのでした。

地震と同じで激しい痛みに緊急停止ボタンはなかった。

もうこのまま死ぬこともあるかもしれないなぁと思ったとき、『まぁ、私一人世の中にいなくたってどうだっていい存在なんだからそれも悪くない』と一瞬思ったのでした。
だけれども、横で寝ているまだ赤ちゃんだった娘のことを見たときハッとさせられ『それじゃーこの娘はどうするの?ダメでしょ!』と、自分を愛し大事にすることへ意識を転換したのでした。

その意識の中で『絶対に大事なこの体は病院に授けてたまるか!』と熱い氣もちが不思議と沸き上がってきたのでした。

そして、自然治癒力に逆らわないことをして痛みは少しずつ薄れていき、病魔は去っていきました。

もしあの時持続してきた症状に対して、自然治癒力に逆らう逆療法を用いる現代医療の病院に行ってお任せしていたらどうなっていたかと思うと恐ろしいことだ、と今でも思っています。

この1つの体験だけでなく、自然治癒力にアプローチした療法で、今まで何度か不調和の改善ができてきて、娘や自分の体への感謝の氣もちでいっぱいです。

原発も医療も同じように、非合法と言われる療法に圧力があることをこの日本では感じます。

原発事故で増えた子どもの甲状腺がんを氣にかけ無料施術をおこなってる技術者の方がいたり、病院でおこなわれているアロパシー(逆療法)以外にも、オステオパシー(整骨療法)、サイコセラピー(心理療法)、ナチュロパシー(自然療法)、ホメオパシー(同種療法)があること。

医の旧字体は醫ですが、実は醫の下に更に『巫と艸』の漢字が付いていたのだとどこかのサイトで読みました。
醫は→肉体の治療50%
巫と艸は→心の治療50%
この2つの文字が合体して、初めて100%といえるなど色々書いてあり、風邪をひけばイコール医者のところへ行けという世間からの目がある通り『医』という漢字が常用されており、私は深く納得させられたのでした。

原発事故から8年半経った今も、放射線の線量が高くなったり、汚染土をまとめるどころか国は全国へばら蒔く動きがある。

政府は今でも原子力緊急事態宣言中を出してる中で止まった原発の再稼働をしてきている。

私たち全ての生き物は、大自然によって生かされてる命であることから、美しい自然をより美しくして未来へ手渡すことが一人ひとり全員の意識に根付くまであと何年かかるのだろうか・・・。
絶滅する前に間に合うのだろうか・・・。
全ての生き物、この子どもたちが生かされてほしい。

私はこの8年間活動することばかりに意識を向けてきたため、大切な家族のメンバーであるパパとの間に溝が出来ていた。
被災時は4歳だった幼く可愛い娘も、家族バラバラのまま12歳となっていた。
できてしまった家族の溝を埋められるかはまだわからないけれど、今まで社会に時間を費やした分、今度は家族のメンバーとして家族に貢献できたらいいなぁと思っているダキシメルオモイ。

埼玉県幸手市→愛知県名古屋市
一児の母親


  


2019年07月14日

新潟県、木揚場教会での展示、無事終了しました。

6月26日(水)
9時半からから15時まで
木揚場教会にて僧侶の方々による説教大会が開催されました。

愛知県の祖父江佳乃さんのお声がけに応えた有志の僧侶の方々による説教大会



京都にある東本願寺の御影堂(ごえいどう・本堂)
蛤御門の変で焼け落ちたあと、
再建のため、全国から木を切り出して運ぶことに
切り出した木を海路運ぶために全国に32ヶ所創られた木揚場教会、現存するのは新潟市内のこの場所だけになったそうです



御影堂の真ん中にある14メートルの大きな大虹梁(だいこうりょう)、この大木は福島県から新潟県に流れる阿賀野川という一級河川の川底に沈んでいると口伝されてきた大木、それを捜し当て引き揚げ木揚場教会からいかだにして京都まで運んだものだそう。
機械などない時代、全て人力での搬送、大変な苦労があったとお聞きしました。

当日の朝、会場に行く前に引き揚げたと思われる阿賀野川に行ってみました。


阿賀野川、
一級河川というだけあり、雄大な河の流れです
この河の川底からあの大虹梁になった大木を引き揚げたのかと、引き揚げ作業は難航して亡くなられた方も多かったと聞いています、先達の苦労を偲びました。 (うちの実家のすぐ近くだったのが驚きでした)


木揚場教会、快晴に恵まれました


萬代橋近く、お昼休みに抜け出して1枚


前日に搬入、飾り付け終わりまして
本堂横の間に、
新潟に暮らす家族のダキシメルオモイ


右隣に続く大広間には
約25家族のダキシメルオモイ


そして今回、登壇される、
左から祖父江佳乃さん(省念さまに抱かれる佳乃さん)、永寶晴香さん、小林智光さん、それぞれの家族のダキシメルオモイを並べさせていただきました。
昨年10月に柏崎で祖父江佳乃さんにお会いしてこの木揚場教会のご縁をいただいたとき、実はその前日に柏崎の永寶さん、小千谷の小林さん家族をそれぞれ取材していまして、チラシを見せてもらったときに、お2人が登壇されることを知って不思議なご縁に驚きました。

それぞれの子どもさんたちが持つ輝きが
描けたらいいなと思い描きました



当日は朝から続々と来ていただき
開始前に満堂(まんどう)になりました
バスが3台が出て330名?以上

朝9時半からお昼を挟んで午後3時まで
6名の僧侶による説教
こうしたお昼を挟む場合、お昼からは人が減るのはよく見聞きしていますが




今回はさらに増えまして、立ち見も出る盛会になりました

聞きながらメモしたことを羅列

◯今泉温資さま(新潟市)
逆竹、北枕
迷信について
わかったというときはわかっていないとき
お仏壇→お内仏(浄土真宗)

◯広瀬彰一さま(石川県 鳳珠群)

お内仏
如来さま→二ライさまが鈍り宮さまになった
二ライさま

富山県方言、1000年前から室町時代
竹取物語に出てくる
安部右大臣、火鼠の毛皮
あへない
あへない人だね

蓮如上人
『帖外御文(じょうがい おふみ)』
3番目の如浄という奥方、31歳で亡くなる、
蓮如上人が60代のとき
おへなさ、哀れさをせんじせきとして
命の尊さを身をもって知らせてくれた
阿弥陀さまから願われている身

◯一二三智生さま(石川県 かほく市)
『歎異抄』
燃え続けるとは形が崩れていく
形を留めていられない
そういった場所に身を置いている

宝の山にいるのだ
親鸞聖人
万(すべての)のことみなもってたわごとでなかった
いつかは無くなってゆく、移り変わってゆく
ただ念仏をみことにしていく

南無阿弥陀仏
・ただ念仏のみぞ宝であった
お呼び声、阿弥陀さまのお呼び声
たん、嘗胆、あかごをゆり起こすように
それが阿弥陀さまのお声、

我唱え我伝え
御文、蓮如上人からのお手紙
念仏を唱えることは、阿弥陀さまが往生を願ってくれたこと、それにお礼をすること

さだまさし
案山子(かかし)
元気でいるか、街には慣れたか、
岩手県、
たけしという上京した息子に宛てた手紙


◯小林智光さま(新潟県 小千谷市)
6月26日は、、、
カミナリ記念日、具志堅用高の誕生日
清涼殿落雷事故
菅原道真、
晴天だったのが雷雲が立ち上り
警備兵、お公家さん、たくさん亡くなられた
死、けがれ
そのときの天皇、病の後、3ヶ月後に亡くなられた
迷信について
友引、火葬場が休み、お塩、帰り道は違う道を通る、
迷信を信じるのは1年がもったいない
雑行を捨てて本願、お念仏とする、
44、幸せになれる
お迎えはいつでもいいけと今日はいや
凡夫、頓珍漢なことをしている

浄土真宗は
ー正しい人になれない自分に気がつく教えー

蓮如上人
ショホウショシュをあながちに批判してはいけない、他の仏像などを軽んじてはいけない
七夕、
願いごとをあてにしてはいけない

・否定せずあてにせず

◯永寶晴香さま(新潟県 柏崎市)
御伝承拝読
蓮如上人が書き残されたたくさんの御文から集めた直した御文を繋ぎ合わせてひとつの巻物に表具し直した巻物を拝読されました。

◯祖父江佳乃さま(愛知県 名古屋市)
木揚場教会にある親鸞聖人のお顔
優しさではなく覚悟のお顔
先達(せんだつ)のお導き
育てていただく
法然さまと親鸞さまの今生の別れの場面

◯梨本哲哉さま(新潟市 弥彦村)
摂取不捨 せっしゅふしゃ
仏教用語。『 観無量寿経』のなかの言葉。 阿弥陀如来の光明は,十方を照し,念仏を称えるものを救い収めて決して捨てないという意味。
左手の意味
念仏唱えれば、絡め取ってすくい取る
悪人である自分にきづいたら
煩悩で出来ている
炭団は洗っても黒い
悪人のままで念仏してよい

◯吉峰教範さま(石川県 白山市)
石川県白山、鳥越城近く、織田軍に攻められ
皆殺しにあった寺、
白川郷に避難して三、四年後に戻ってきた
蓮如上人、
御文、末法の時代、教、行、証のうち、正しく証する者(修行をして悟りを得る僧侶)があらず

日の沈む方が西、春分の日、秋分の日、
お浄土、西をこそ頼めよ
日の光に照らされることで我が身の足元が照らされている姿がわかる
我が身の都合を、
凡夫の願い、

東が産まれる方角
西が帰ってゆく方角

我が身で我が身を苦しめる
自業自得の苦しみ

北枕だけど顔を向ける為




今回、登壇者6名を撮影しに愛知県から駆けつけた写真家の中川幸作さん、佐渡出身で束の間の里帰り展示、作品も数十点飾ってあり、生前の節談説教師の祖父江省念さまを撮影されていました。


翌日、ふたたび小杉村近くの阿賀野川流域に行ってみました(小杉村のご門徒さんたちが引き揚げようと声を上げた)
実家はこのすぐ近く、このすぐ近くの北方博物館に小学生のころ自転車でよく来ていて、この近くの阿賀野川からあんな大きな木を引き揚げ運び出されたのかと、それに伴いたくさんの苦労と哀しみ、それにも負けずに引き揚げて運び出した人々の強いオモイを偲びました。



今回の木揚場教会での展示に参加のついでではありませんが、同じ新潟市内の実家へ両親の顔を見に帰省しました。
脳梗塞、心筋梗塞などなど病気がちで出不精な父親を母親と連れ出して学生のときから帰省すると行っていたラーメン屋に、近頃は仮眠に寄るだけとか、帰っても両親と食卓を囲むことがあまり無かったので、久しぶりの3人で水入らずでの食事。
いつかこのときのラーメンの味を思い出すときがくるのかなぁ、、、

私をこの世に産み落としてから1日も欠かすことなく私の身を案じ続けてくれている母親
阿弥陀さまの働きと似ているなぁ、
浄土真宗にふれるご縁が深まるにつれ感じています
私にとっての阿弥陀さまなのかな
帰るたびに小さくなっていく両親の背中を見ながら
そんなことを思い
愛知へと帰りました

今回もたくさんのご縁をいただき有り難うございました