2017年04月29日
読売新聞に掲載していただきました。
「抱き合う親子」の絵画展…新城市で始まる
2017年04月28日

震災の被災者描く…田原市の画家、小林さん
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を機に、親子が抱き合う姿の絵を描き続ける田原市の画家、小林憲明さん(42)の絵画展「ダキシメルオモイ」が27日、新城市門谷の旧門谷小学校で始まった。 この5年ほどで描いた110以上の家族の姿のうち約30枚が展示されている。小林さんは「絵を通じて、家族の大切さを改めて考えてもらえれば」と話している。
2011年4月に次男が生まれた小林さんは、直前に起きた震災と原発事故に大きな衝撃を受けていた。「それぞれの家族のこれまでの系譜や営みなどが途切れてしまいかねない」と危機感を覚え、親子の姿を絵に描くことを決意したという。
時間が取れれば岩手、宮城、福島の3県を回り、被災者や避難者らの家族の絵を描いてきた。特に印象に残っているのは、2人の子供を津波で失った岩手県陸前高田市の女性。「抱き締められない親の思いを伝えてほしい」と娘が在りし日の写真を託され、何度も描き直しながら4年がかりで絵を完成させた。
全国各地の避難者や支援者らの間で評判になり、これまでに国内外で約100回の展示会を開いてきた。「災害はいつ自分の身に降りかかるかわからない。被災地や被災者に思いを寄せるきっかけになれば」と語る。
旧門谷小の展示会は、イベント「スーク緑の10日間」の一環として、5月6日までの午前10時から午後4時まで開かれる。入場無料。
2017年04月28日

震災の被災者描く…田原市の画家、小林さん
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を機に、親子が抱き合う姿の絵を描き続ける田原市の画家、小林憲明さん(42)の絵画展「ダキシメルオモイ」が27日、新城市門谷の旧門谷小学校で始まった。 この5年ほどで描いた110以上の家族の姿のうち約30枚が展示されている。小林さんは「絵を通じて、家族の大切さを改めて考えてもらえれば」と話している。
2011年4月に次男が生まれた小林さんは、直前に起きた震災と原発事故に大きな衝撃を受けていた。「それぞれの家族のこれまでの系譜や営みなどが途切れてしまいかねない」と危機感を覚え、親子の姿を絵に描くことを決意したという。
時間が取れれば岩手、宮城、福島の3県を回り、被災者や避難者らの家族の絵を描いてきた。特に印象に残っているのは、2人の子供を津波で失った岩手県陸前高田市の女性。「抱き締められない親の思いを伝えてほしい」と娘が在りし日の写真を託され、何度も描き直しながら4年がかりで絵を完成させた。
全国各地の避難者や支援者らの間で評判になり、これまでに国内外で約100回の展示会を開いてきた。「災害はいつ自分の身に降りかかるかわからない。被災地や被災者に思いを寄せるきっかけになれば」と語る。
旧門谷小の展示会は、イベント「スーク緑の10日間」の一環として、5月6日までの午前10時から午後4時まで開かれる。入場無料。
2017年04月28日
『スーク緑の10日間』始まりました。

2012年からスタートしたダキシメルオモイ プロジェクト
東日本大震災、原発事故を受けて
何かできないか?
地震や津波の被害にあった方々
放射能と向き合わざるえなくなった
普通の暮らしをしていた方々
そんな方々の
力添えがしたい
今まで、絵しか描いてこなかった
いい加減なことしてきた人間が
罪滅ぼしという訳じゃないけれど
気持ちを真っさらにして臨んだ活動でした
裕福な家庭に産まれ、何不自由なく育ち
大人になって
まわりから笑われていることに気づいた
善財童子
このままじゃいけないと
53の様々な人々を訪ね
話を聞いて歩き
悟りを開きます
善財童子の素直な心を見習おう
そうして出来上がったのが
五十三の宿場を泊まり歩く
東海道五十三次

ダキシメルオモイ プロジェクトも
善財童子にならい
毎年53の家族と向き合っていこうと
5年間で260以上の家族と出逢い
110の家族を描かせていただきました
取材から3年以上待たせてしまっているご家族の方々
今しばらくお待ちください

ダキシメルオモイ プロジェクトを始めて
1番最初に声をかけていただいたのが
Cafe爾今さん(スーク緑の10日間の主催者)
それに応えるように4年前のスークで
20家族を描き上げ、門谷小学校の講堂で
展示させていただいてスタートした
ダキシメルオモイ プロジェクト

(↑ 写真は4年前の展示風景)
あれから4年
有り難いことに
国内外合わせて90ヶ所以上で
展示をさせていただくなかで
様々な人々との出逢いや
様々な物や出来事との出逢いもありました
今回のスークでの展示
講堂に加え、3つの部屋と廊下のスペースをお借りして
この4年間
語り尽くせない出逢いやオモイを
しゃべりすぎず(ここが大事)
観せて行けたらなと思っています

あと残り9日間
会場でお待ちしています

2017年04月26日
海と山の交流 〜スーク緑の10日間〜

暖かい海に囲まれた渥美半島
そこのアトリエから産まれた
抱きしめあう親子の絵たちが


鳳来寺山に抱かれた
緑豊かな小学校に並びます



つかの間の
海と山との交流
『スーク緑の10日間』
4月27日〜5月6日
門谷小学校
https://www.facebook.com/events/149747518888523/?ti=icl
2017年04月24日
帯状疱疹(たいじょうほうしん)ダイエット
今月頭(4月1日)
帯状疱疹(たいじょうほうしん)になりました。
右肩背中から胸にかけて赤い斑点のような、皮膚が赤くなり、爬虫類のような水ぶくれが集まった皮膚に、まるでもののけ姫のアシタカの呪われた腕のシミ?のような物があらわれることに。
表面はヤケドの痛み、皮膚内部は激しくツル感じの神経痛(激痛)に見舞われ、寝返りも打てず、寝ることも出来ず、

前兆はあって、3月最終の展覧会直前、右肩の奥に痛みを感じて病院で精密検査(CT、レントゲン、血液検査)してもらったのですが発見出来ず(惜しい!)、東京、埼玉のW展覧会の最中に発病、2日間痛みに耐え、愛知県に戻ってそのまま渥美病院へ、帯状疱疹と診断され、薬を処方され帰宅
(帯状疱疹は抗ウイルス剤を飲み続ける方法で治るそうです)
痛みの場所に赤い斑点が出た時点ですぐに抗ウイルス剤を飲むと治りが早いそうです(症状が出たら悩む事無く即病院へ!)
帰宅後、痛みで眠れず、
2日間処置が遅れたことで症状が進み重症化。
背中から斑点のような物がたくさん周囲に飛び火のように散らばり、頭皮のしびれ、右手のしびれ(商売道具!)も出てきて、周囲へ水ぼうそうの感染の恐れがあると入院となりました。
人生初入院に感動する間もなく、隔離の為、個室へ
それから抗ウイルス剤の入った点滴を1日3回を1週間続け、退院。
退院してからも痛み止めを飲みながら自宅で療養、激痛と闘うことに。
もらった帯状疱疹ハンドブックによると、傷みが最長90日続くとありました(恐ろしい。)
入院中に看護婦さんによく、「今日の痛みは1から10までで何点ですか?」と聞かれるのだが返答に困りました、何故なら
この帯状疱疹の痛み、本当に微妙にしか痛みがひいていかないんです(個人差あり)
退院してから1週間、場所が悪かったのか寝返りが打てない、何か食べ物を飲み込んだりした時に痛みが走る、身体の中にも何か斑点が出来ているのかのような、声が出る痛さ、動きが固まる痛さ
発病から3週間目、痛み続けていたのがようやく波のある不定期な周期の痛みに変わり、少しずつ仕事が出来るようになってきました(←イマココ)
と言っても、痛み止めで痛みを和らげているので
薬が切れだすと再び痛みに襲われます。
振り返ると2月と3月の忙しい時期で無くて本当に良かった、
3週間、痛みと闘ってきて、つくづく健康の大切さを感じました、それに献身的に看病してくれる家族のありがたみも十二分に感じました。
毎日痛みに耐え下着が汗だくになるからなのか、この3週間で4キロ痩せました(汗)
帯状疱疹ダイエット、成功です。。。イェーイ☆
こんな状態で恐縮ですが今週の4月27日から5月6日まで
愛知県新城市、鳳来寺山のふもとにある門谷小学校で開催される「スーク緑の10日間」にダキシメルオモイで出品させていただきます。
ダキシメルオモイ プロジェクトを始めて1番最初に作品を展示したのが門谷小学校でした。
ふたたび作品を展示させていただきます。
この4年間の軌跡、出逢った家族やオモイを振り返る、優しい展示にしたいなと思います




また告知は改めてさせていただきたいと思います。
帯状疱疹(たいじょうほうしん)になりました。
右肩背中から胸にかけて赤い斑点のような、皮膚が赤くなり、爬虫類のような水ぶくれが集まった皮膚に、まるでもののけ姫のアシタカの呪われた腕のシミ?のような物があらわれることに。
表面はヤケドの痛み、皮膚内部は激しくツル感じの神経痛(激痛)に見舞われ、寝返りも打てず、寝ることも出来ず、

前兆はあって、3月最終の展覧会直前、右肩の奥に痛みを感じて病院で精密検査(CT、レントゲン、血液検査)してもらったのですが発見出来ず(惜しい!)、東京、埼玉のW展覧会の最中に発病、2日間痛みに耐え、愛知県に戻ってそのまま渥美病院へ、帯状疱疹と診断され、薬を処方され帰宅
(帯状疱疹は抗ウイルス剤を飲み続ける方法で治るそうです)
痛みの場所に赤い斑点が出た時点ですぐに抗ウイルス剤を飲むと治りが早いそうです(症状が出たら悩む事無く即病院へ!)
帰宅後、痛みで眠れず、
2日間処置が遅れたことで症状が進み重症化。
背中から斑点のような物がたくさん周囲に飛び火のように散らばり、頭皮のしびれ、右手のしびれ(商売道具!)も出てきて、周囲へ水ぼうそうの感染の恐れがあると入院となりました。
人生初入院に感動する間もなく、隔離の為、個室へ
それから抗ウイルス剤の入った点滴を1日3回を1週間続け、退院。
退院してからも痛み止めを飲みながら自宅で療養、激痛と闘うことに。
もらった帯状疱疹ハンドブックによると、傷みが最長90日続くとありました(恐ろしい。)
入院中に看護婦さんによく、「今日の痛みは1から10までで何点ですか?」と聞かれるのだが返答に困りました、何故なら
この帯状疱疹の痛み、本当に微妙にしか痛みがひいていかないんです(個人差あり)
退院してから1週間、場所が悪かったのか寝返りが打てない、何か食べ物を飲み込んだりした時に痛みが走る、身体の中にも何か斑点が出来ているのかのような、声が出る痛さ、動きが固まる痛さ
発病から3週間目、痛み続けていたのがようやく波のある不定期な周期の痛みに変わり、少しずつ仕事が出来るようになってきました(←イマココ)
と言っても、痛み止めで痛みを和らげているので
薬が切れだすと再び痛みに襲われます。
振り返ると2月と3月の忙しい時期で無くて本当に良かった、
3週間、痛みと闘ってきて、つくづく健康の大切さを感じました、それに献身的に看病してくれる家族のありがたみも十二分に感じました。
毎日痛みに耐え下着が汗だくになるからなのか、この3週間で4キロ痩せました(汗)
帯状疱疹ダイエット、成功です。。。イェーイ☆
こんな状態で恐縮ですが今週の4月27日から5月6日まで
愛知県新城市、鳳来寺山のふもとにある門谷小学校で開催される「スーク緑の10日間」にダキシメルオモイで出品させていただきます。
ダキシメルオモイ プロジェクトを始めて1番最初に作品を展示したのが門谷小学校でした。
ふたたび作品を展示させていただきます。
この4年間の軌跡、出逢った家族やオモイを振り返る、優しい展示にしたいなと思います




また告知は改めてさせていただきたいと思います。
2017年04月04日
悔しいオモイ、受け継がれるオモイ
4月になりました。
福島県から避難された方々の住宅支援が打ち切られました。
今から1年半前、政府から2017年3月一杯で住宅支援打ち切り、その方針が出てから
自分に何か出来ないか、少しでも多くの方々に避難した家族のオモイを届けたい、伝えたい、この問題を身近に感じて欲しい、そのオモイでこの1年間はダキシメルオモイの作品を携え全国を展示して周ってきました。
作品を観てもらったり、オモイを知ってもらっても
問題の根本的な解決にはならないだろ、
実践されている活動家や被害者家族からしたら
生ぬるい活動に見えたかもしれません。
自分でも常にベストな活動が出来ているのか
問い続ける日々でした。
そしてついに4月を迎えました。
この活動をしてきて、被災者がなかなか報われない、そんな悔しい場面はたくさん見聞きしてきたのですが、今回は特になんでしょうか
申し訳ないと思いました。
あの時もっとこうしていたら
ああしていたら
なんてことが次々と浮かんできて
自分の無力さと悔しさに襲われました。
僕の生まれたふるさとは新潟県新潟市(旧新津市)
第二次水俣病という公害病が起こった場所の近く、
熊本県水俣市で被害が出てから全国の工場を総点検していたら、
排水を止めて調査していたら、
新潟の水俣病、防げたともいいます。
水俣病の症状、ビニールの原料を作る過程で生まれる有機水銀を排水として河に流し続けた、我々の豊かさを優先して被害者を見捨ててきた。
何か今の原発事故と変わらない構図が見えてきたり、
国の対応がこの時から変わっていないんだなぁと思い知らされたり、
ダキシメルオモイ プロジェクト
2012年から活動を続けてきて5年目
今まで250家族と出会いお話をお聞きして
目に見えないオモイと向き合ってきて感じるのは
家(苗字)にもオモイが流れている
家に流れる河のような大きなオモイ、何代か前の先人が苦しい暮らしの中で、願いや強いオモイを立ててそれを形にしようと努力するのですが、その代では報われず、何代か後の代になって形になる。
オモイは知らず知らずに受け継がれ
形になろうとする
たとえ今がどんな状況であっても
願いやオモイは持ってください。
持ち続けてください。
あなたの代で叶わない願いやオモイであっても
それは家の中で知らず知らずに共有され
受け継がれ、生き続ける。
諦めないでください。
ダキシメルオモイ プロジェクト
私はこの悔しさを胸の奥深くに刻み込み
これからも引き続きさまざまなオモイに
向き合い
鈍くても重い(オモイ)ボディーブローを
急所目掛けて打ち続けていきます。

福島県から避難された方々の住宅支援が打ち切られました。
今から1年半前、政府から2017年3月一杯で住宅支援打ち切り、その方針が出てから
自分に何か出来ないか、少しでも多くの方々に避難した家族のオモイを届けたい、伝えたい、この問題を身近に感じて欲しい、そのオモイでこの1年間はダキシメルオモイの作品を携え全国を展示して周ってきました。
作品を観てもらったり、オモイを知ってもらっても
問題の根本的な解決にはならないだろ、
実践されている活動家や被害者家族からしたら
生ぬるい活動に見えたかもしれません。
自分でも常にベストな活動が出来ているのか
問い続ける日々でした。
そしてついに4月を迎えました。
この活動をしてきて、被災者がなかなか報われない、そんな悔しい場面はたくさん見聞きしてきたのですが、今回は特になんでしょうか
申し訳ないと思いました。
あの時もっとこうしていたら
ああしていたら
なんてことが次々と浮かんできて
自分の無力さと悔しさに襲われました。
僕の生まれたふるさとは新潟県新潟市(旧新津市)
第二次水俣病という公害病が起こった場所の近く、
熊本県水俣市で被害が出てから全国の工場を総点検していたら、
排水を止めて調査していたら、
新潟の水俣病、防げたともいいます。
水俣病の症状、ビニールの原料を作る過程で生まれる有機水銀を排水として河に流し続けた、我々の豊かさを優先して被害者を見捨ててきた。
何か今の原発事故と変わらない構図が見えてきたり、
国の対応がこの時から変わっていないんだなぁと思い知らされたり、
ダキシメルオモイ プロジェクト
2012年から活動を続けてきて5年目
今まで250家族と出会いお話をお聞きして
目に見えないオモイと向き合ってきて感じるのは
家(苗字)にもオモイが流れている
家に流れる河のような大きなオモイ、何代か前の先人が苦しい暮らしの中で、願いや強いオモイを立ててそれを形にしようと努力するのですが、その代では報われず、何代か後の代になって形になる。
オモイは知らず知らずに受け継がれ
形になろうとする
たとえ今がどんな状況であっても
願いやオモイは持ってください。
持ち続けてください。
あなたの代で叶わない願いやオモイであっても
それは家の中で知らず知らずに共有され
受け継がれ、生き続ける。
諦めないでください。
ダキシメルオモイ プロジェクト
私はこの悔しさを胸の奥深くに刻み込み
これからも引き続きさまざまなオモイに
向き合い
鈍くても重い(オモイ)ボディーブローを
急所目掛けて打ち続けていきます。
