2021年08月24日
北陸取材旅 ⑧~帰還~千秋楽
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。

〇7月29日(木)北陸取材旅⑩
願生寺の坊守さま(奥さま)が疲れが取れるという天然の温泉を教えてもらったので
長旅の疲れが取れるかなと寄り道していきます

妙高高原の登山道入り口にある「燕温泉 黄金の湯」へ
お寺から20分ぐらい峠道を走って山の麓へ到着

駐車場に止めてから徒歩5分

貸切の白濁の湯を独り占め、男湯と女湯それぞれに脱衣所もあって入り易かったです

10日間の長旅を振り返りながら入りました
ご褒美いただきました

のんびりしていられません
明るいうちに家に帰るために帰路に着きます

途中のPAで昼食
満腹になると長距離ドライブに影響があるので軽めに抑えます
今回も北陸のいろいろな家族の物語を聞かせていただき
家の底に流れるオモイと願いの大きな河を感じさせていただきました
石川、富山、新潟とそこに暮らす人々
今に至るまでにさまざまなオモイや願いが息づいている

愛知県にも緊急事態宣言が出されました(8月24日)
この北陸取材旅はオリンピック開幕直後の7月末
陽性者が今よりぐっと少なかったときにまわったものです
東日本大震災、原発事故を受けてスタートしたダキシメルオモイ プロジェクト
原発問題は福島だけの問題ではないと全国の親子を対象にはじめました
震災直後、福島や関東の親御さんが目に見えない放射性物質に悩み、子どもを屋外に出すことが出来ない
あの時の親御さんのオモイ
今コロナになってようやく全国の親子が我が事として感じられているのかなと感じます
〇旧北陸街道アートin小杉
とき9月25日(土) 26日(日)
・ダキシメルオモイ 展示期間(予定)
9月17日(金)~26日(日)
ところ 竹内源造記念館・一階ホール
※先行して展示させていただきますが予定が変更や延期になる場合もあります
いずれにしてもこちらで報告させていただきます
今回の旅で取材させていただいたご家族のダキシメルオモイを並べられたらと思います
2021年08月22日
北陸取材旅 ⑦〜夏空と願生寺〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)
◯7月28日(水)北陸取材旅9日目

取材旅、最後の取材は、
新潟県妙高市にある願生寺(がんしょうじ)さま

3年前の新潟県上越市の新井別院、御遠忌法要にて
新井別院の納骨堂をお借りして展示させていただいたとき
稚児行列に参加された願生寺の息子さんと坊守さん(奥さま)に出逢ったのがご縁のはじまり

家族の良い時期をダキシメルオモイに描かせていただきました
それから家族が増えたとお聞きして
今回、富山県への取材の際に
ふたたび取材に伺いました
男の子ふたり
弟が出来たお兄ちゃん
前回よりずっと立派にたくましく見えました

当初は下総国磯部にあったが、のち信濃国に移転。天正年間、上杉家の招きで越後国新井に移転。蒲原郡や頸城郡に多くの末寺を持った。子院として聞称寺と悲願寺があった。しかし、貞享年間、高田浄興寺との間で宗義論争が起こり、1685年(貞享2年)、願生寺栄誓は「異安心」として追放された。跡地には真宗大谷派新井別院が建てられた。追放された一族は近隣を転々としたが1691年(元禄4年)、栄誓赦免。長子栄賢は東本願寺所属を許され、須坂勝興寺の養子となる。栄空の時に越後帰還が許され、1759年(宝暦9年)現在地に復興し、「証念寺」と称した。1950年(昭和25年)、「願生寺」の名が復活した。(日本歴史地名大系)
1950年、願生寺の名前が復活したものの
その後、後継者不在で荒廃していく願生寺を、当時大阪で働いていたお孫さん(現住職)が
大阪で出会った奥さまと一緒に願生寺を復興するためお寺に入ります
はじめてお会いした新井別院の場所がもともと願生寺の跡地、
展示させていただいた納骨堂にある阿弥陀如来像が願生寺のご本尊だったというのも、
なにか不思議なご縁を感じました


お寺に泊めさせていただいて
翌朝、子どもたちと一緒に近くの小学校で行われているラジオ体操へ

お朝事も同席させていただきました(久しぶり)
子どもたちも一緒に座って、お経を聞く
一時期、追放され親族が離れ離れになるという悲しいことがあったけれど
願生寺の長い歴史で繰り返されてきたこうした親子の姿が
戻ってきたんだなと思ったらなんとも言えない想いになりました
つづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)
◯7月28日(水)北陸取材旅9日目

取材旅、最後の取材は、
新潟県妙高市にある願生寺(がんしょうじ)さま

3年前の新潟県上越市の新井別院、御遠忌法要にて
新井別院の納骨堂をお借りして展示させていただいたとき
稚児行列に参加された願生寺の息子さんと坊守さん(奥さま)に出逢ったのがご縁のはじまり

家族の良い時期をダキシメルオモイに描かせていただきました
それから家族が増えたとお聞きして
今回、富山県への取材の際に
ふたたび取材に伺いました
男の子ふたり
弟が出来たお兄ちゃん
前回よりずっと立派にたくましく見えました

当初は下総国磯部にあったが、のち信濃国に移転。天正年間、上杉家の招きで越後国新井に移転。蒲原郡や頸城郡に多くの末寺を持った。子院として聞称寺と悲願寺があった。しかし、貞享年間、高田浄興寺との間で宗義論争が起こり、1685年(貞享2年)、願生寺栄誓は「異安心」として追放された。跡地には真宗大谷派新井別院が建てられた。追放された一族は近隣を転々としたが1691年(元禄4年)、栄誓赦免。長子栄賢は東本願寺所属を許され、須坂勝興寺の養子となる。栄空の時に越後帰還が許され、1759年(宝暦9年)現在地に復興し、「証念寺」と称した。1950年(昭和25年)、「願生寺」の名が復活した。(日本歴史地名大系)
1950年、願生寺の名前が復活したものの
その後、後継者不在で荒廃していく願生寺を、当時大阪で働いていたお孫さん(現住職)が
大阪で出会った奥さまと一緒に願生寺を復興するためお寺に入ります
はじめてお会いした新井別院の場所がもともと願生寺の跡地、
展示させていただいた納骨堂にある阿弥陀如来像が願生寺のご本尊だったというのも、
なにか不思議なご縁を感じました


お寺に泊めさせていただいて
翌朝、子どもたちと一緒に近くの小学校で行われているラジオ体操へ

お朝事も同席させていただきました(久しぶり)
子どもたちも一緒に座って、お経を聞く
一時期、追放され親族が離れ離れになるという悲しいことがあったけれど
願生寺の長い歴史で繰り返されてきたこうした親子の姿が
戻ってきたんだなと思ったらなんとも言えない想いになりました
つづく
2021年08月20日
北陸取材旅 ⑥〜実家〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)
〇7月26日(月)北陸取材旅7日目

日が暮れてから新潟の実家に無事たどり着きました
高速とは言え新潟県は入ってからが長いですね汗
28日夕方に妙高市で最後の取材、それまでの1日半時間が出来たので実家で過ごします

母親が庭で採れた枝豆、きゅうり、ナスを食卓に並べて出迎えてくれました(感謝)
◯7月27日(火)北陸取材旅8日目

昨年はコロナでお墓参り出来なかったので
この機会に全て回ろうと、両親に付き合ってもらい
駆け足で回りました
父親の背中丸くなったなぁ、、、

小林家のお墓(曹洞宗)
おばあちゃんに手を合わせます

母方のおじいちゃんのお墓参り
(浄土真宗大谷派)

母方のおばあちゃんのお墓参り
(曹洞宗)
母方の家は、嫁いできたお嫁さんがお寺も連れてきた?女性が亡くなると曹洞宗のお寺のお墓に入り、男性は浄土真宗のお墓に入るという少し変わったしきたり?になっています

曹洞宗のお寺、お墓参りの最後に、江戸時代に村同士の水争いで堰を破って村を救う代わりに命を落としたご先祖さまのお墓にお参り、水で苦しんだご先祖さま、バケツに残った水を全て注ぎます


お昼を新津の美味しいお蕎麦屋さんでいただきました
両親とご飯を食べるたびに、あと何回一緒にご飯食べられるかなぁと思ってしまいます
大切な時間
#手打ち蕎麦処、善三郎

お蕎麦食べながら話に出てきたひいお爺さん(中学生のとき一度会ったことがある)
名前を携帯で調べたら、前橋市の広報に出ていたのが引っかかって思わず出逢い直すことが出来ました
☆
この年の2年後に93歳で亡くなります

午後から母方の実家に挨拶
御内仏(仏壇)にあった過去帳を見せていただきました
ご先祖さまの法名、戒名(浄土真宗と曹洞宗)と亡くなった命日が記してあった過去帳、おじいちゃんが40代の時にまとめた物を見せていただきました
父方の実家、本家や分家(絵描きをしていたおばあちゃんの弟さん)の仏壇もお参りさせていただきました
駆け足でバタバタと回って実家に帰ったら
母親が新津の銘菓、『三色だんご』を用意してくれていました☆

これめちゃくちゃ美味しいんですよね
帰ると食べたくなる

高校の後輩が東京で本を出したその本を母親にもらって読みました
コロナの一番最初の大変なとき、渦中で最善を尽くしていたのですね
まだまだ続くコロナ渦
最前線で働く方々には頭が下がります
ご自身の身体を大切に働いてください
◯7月28日(水)北陸取材旅9日目

たくさんの家族の物語を散々聞いてきて自分の家族の物語はどうなんだと、
自分のご先祖さまはどんな人がいたのか、家系図を作って先祖供養が出来たらと
秋葉区の区役所で戸籍謄本をさかのぼれるだけさかのぼってもらいました
ほとんど親族から伝え聞いていたことと同じでしたが、名前と誕生日、命日、暮らしていた住所がわかったのはよかったです、これについてはまた後で詳しく

ふるさとの氏神さま、堀出神社にもお参り
にいつ祭り、昨年に続き中止になったと聞いて
残念に思います

福島県から新潟県へ避難されて
なんと新津の商店街に雑貨屋を開いた吉村さん
雑貨SHOP Aimer(エメ)を訪ねます
取材もさせていただいていまして、作品の方は現在着手中、完成したら観てもらいたいです
写真右側のノチさんも福島県から家族で避難、移住された方、偶然お店でお会い出来ました
雑貨SHOP Aimer(エメ)

いろいろ会いたい人はいますが
バタバタと後ろ髪ひかれつつ
最後の取材先、妙高市へと向かいます
つづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)
〇7月26日(月)北陸取材旅7日目

日が暮れてから新潟の実家に無事たどり着きました
高速とは言え新潟県は入ってからが長いですね汗
28日夕方に妙高市で最後の取材、それまでの1日半時間が出来たので実家で過ごします

母親が庭で採れた枝豆、きゅうり、ナスを食卓に並べて出迎えてくれました(感謝)
◯7月27日(火)北陸取材旅8日目

昨年はコロナでお墓参り出来なかったので
この機会に全て回ろうと、両親に付き合ってもらい
駆け足で回りました
父親の背中丸くなったなぁ、、、

小林家のお墓(曹洞宗)
おばあちゃんに手を合わせます

母方のおじいちゃんのお墓参り
(浄土真宗大谷派)

母方のおばあちゃんのお墓参り
(曹洞宗)
母方の家は、嫁いできたお嫁さんがお寺も連れてきた?女性が亡くなると曹洞宗のお寺のお墓に入り、男性は浄土真宗のお墓に入るという少し変わったしきたり?になっています

曹洞宗のお寺、お墓参りの最後に、江戸時代に村同士の水争いで堰を破って村を救う代わりに命を落としたご先祖さまのお墓にお参り、水で苦しんだご先祖さま、バケツに残った水を全て注ぎます


お昼を新津の美味しいお蕎麦屋さんでいただきました
両親とご飯を食べるたびに、あと何回一緒にご飯食べられるかなぁと思ってしまいます
大切な時間
#手打ち蕎麦処、善三郎

お蕎麦食べながら話に出てきたひいお爺さん(中学生のとき一度会ったことがある)
名前を携帯で調べたら、前橋市の広報に出ていたのが引っかかって思わず出逢い直すことが出来ました
☆
この年の2年後に93歳で亡くなります

午後から母方の実家に挨拶
御内仏(仏壇)にあった過去帳を見せていただきました
ご先祖さまの法名、戒名(浄土真宗と曹洞宗)と亡くなった命日が記してあった過去帳、おじいちゃんが40代の時にまとめた物を見せていただきました
父方の実家、本家や分家(絵描きをしていたおばあちゃんの弟さん)の仏壇もお参りさせていただきました

駆け足でバタバタと回って実家に帰ったら
母親が新津の銘菓、『三色だんご』を用意してくれていました☆

これめちゃくちゃ美味しいんですよね
帰ると食べたくなる

高校の後輩が東京で本を出したその本を母親にもらって読みました
コロナの一番最初の大変なとき、渦中で最善を尽くしていたのですね
まだまだ続くコロナ渦
最前線で働く方々には頭が下がります
ご自身の身体を大切に働いてください
◯7月28日(水)北陸取材旅9日目

たくさんの家族の物語を散々聞いてきて自分の家族の物語はどうなんだと、
自分のご先祖さまはどんな人がいたのか、家系図を作って先祖供養が出来たらと
秋葉区の区役所で戸籍謄本をさかのぼれるだけさかのぼってもらいました
ほとんど親族から伝え聞いていたことと同じでしたが、名前と誕生日、命日、暮らしていた住所がわかったのはよかったです、これについてはまた後で詳しく

ふるさとの氏神さま、堀出神社にもお参り
にいつ祭り、昨年に続き中止になったと聞いて
残念に思います

福島県から新潟県へ避難されて
なんと新津の商店街に雑貨屋を開いた吉村さん
雑貨SHOP Aimer(エメ)を訪ねます
取材もさせていただいていまして、作品の方は現在着手中、完成したら観てもらいたいです
写真右側のノチさんも福島県から家族で避難、移住された方、偶然お店でお会い出来ました
雑貨SHOP Aimer(エメ)

いろいろ会いたい人はいますが
バタバタと後ろ髪ひかれつつ
最後の取材先、妙高市へと向かいます
つづく
2021年08月18日
北陸取材旅 ⑤〜富山にある伊勢神宮と上加茂神社〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)
〇7月26日(月) 北陸取材旅7日目
昨晩は笹川さん宅に宿泊させていただきました
午前中に富山市内に暮らす家族の取材
合間で笹川さんに展示場所の旧小杉町の氏神さまを案内してもらいました

笹川さん宅近くにある永森神社
そこにある力石?村々の若者たちで持ち上げたりして力比べをしていた歴史のある力石
今は固定されていて持ち上げられません

境内には明治時代に「大正もち」という品種を開発した竹内松蔵の石碑が

姉倉比瑪神社(あねくらひめじんじゃ)

十社の宮(じゅっしゃのみや) 伊勢神宮の末社

参道横にあった献穀田、伊勢神宮に献上されるのでしょうか

戸破加茂社(ひばりかもしゃ) 京都の上賀茂神社から勧請されたそうです
「旧北陸街道アートin小杉」
会場の旧小杉町(射水市)には伊勢神宮の末社や京都の上賀茂神社、とても神社が多いイメージ
十社神社は近隣の寺社、10社を一か所に集めたという(これも珍しい)
なにかこれだけの神社をひとつの地域に集めるのは何か理由があるのではと
スタッフの方に聞いてみたところ、、、

「 縄文・弥生のころは、水がなければ生活が出来ないため、下条川と切っても切れない関係だったそうです。
当時は海岸線がもっと近くまできていたため、今の下条の古い町並みの下条川流域あたりが、標高の面でも特に住みやすい場所だったと思われます。
ただ当時はたびたび川が氾濫し、そのたびに犠牲者が出て、避難を強いられ、しばらくするとまた川辺に戻って生活を再建する。そんな繰り返しだったようです。
ですから、自然をおそれ、一方でその恵みを敬い、また、犠牲者を悔やみ、その御霊に祈りながら暮らしたのかもしれません 」
(写真はネットから拝借)
だそうです。
暮らしやすい土地であると同時に、生き難い場所でもあるのかな
ここは良い土が摂れるということで小杉焼という焼き物も古くから発展、発達してきた豊かな場所
結局、神社をひとつに絞れなかったですが
それぞれの神社で九月の展示の報告参りさせていただきました

昨年も食べに来たお寿司屋さん
回転寿司なのにこのクオリティー、家族を連れてきたいお店です

最後の取材は28日(水)の夕方、新潟県の妙高市ということで
その間、新潟の実家に帰省することにします

途中の栄PAで三条ラーメン
本当は高速を下りてお店で食べたいですが、、、

新潟が誇る太鼓集団『鼓童(こどう)』のトラック発見
後を追いかけるように故郷へ歩を進めます
8日目につづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)
〇7月26日(月) 北陸取材旅7日目
昨晩は笹川さん宅に宿泊させていただきました
午前中に富山市内に暮らす家族の取材
合間で笹川さんに展示場所の旧小杉町の氏神さまを案内してもらいました

笹川さん宅近くにある永森神社
そこにある力石?村々の若者たちで持ち上げたりして力比べをしていた歴史のある力石
今は固定されていて持ち上げられません

境内には明治時代に「大正もち」という品種を開発した竹内松蔵の石碑が

姉倉比瑪神社(あねくらひめじんじゃ)

十社の宮(じゅっしゃのみや) 伊勢神宮の末社

参道横にあった献穀田、伊勢神宮に献上されるのでしょうか

戸破加茂社(ひばりかもしゃ) 京都の上賀茂神社から勧請されたそうです
「旧北陸街道アートin小杉」
会場の旧小杉町(射水市)には伊勢神宮の末社や京都の上賀茂神社、とても神社が多いイメージ
十社神社は近隣の寺社、10社を一か所に集めたという(これも珍しい)
なにかこれだけの神社をひとつの地域に集めるのは何か理由があるのではと
スタッフの方に聞いてみたところ、、、

「 縄文・弥生のころは、水がなければ生活が出来ないため、下条川と切っても切れない関係だったそうです。
当時は海岸線がもっと近くまできていたため、今の下条の古い町並みの下条川流域あたりが、標高の面でも特に住みやすい場所だったと思われます。
ただ当時はたびたび川が氾濫し、そのたびに犠牲者が出て、避難を強いられ、しばらくするとまた川辺に戻って生活を再建する。そんな繰り返しだったようです。
ですから、自然をおそれ、一方でその恵みを敬い、また、犠牲者を悔やみ、その御霊に祈りながら暮らしたのかもしれません 」
(写真はネットから拝借)
だそうです。
暮らしやすい土地であると同時に、生き難い場所でもあるのかな
ここは良い土が摂れるということで小杉焼という焼き物も古くから発展、発達してきた豊かな場所
結局、神社をひとつに絞れなかったですが
それぞれの神社で九月の展示の報告参りさせていただきました

昨年も食べに来たお寿司屋さん
回転寿司なのにこのクオリティー、家族を連れてきたいお店です

最後の取材は28日(水)の夕方、新潟県の妙高市ということで
その間、新潟の実家に帰省することにします

途中の栄PAで三条ラーメン
本当は高速を下りてお店で食べたいですが、、、

新潟が誇る太鼓集団『鼓童(こどう)』のトラック発見
後を追いかけるように故郷へ歩を進めます
8日目につづく
2021年08月17日
北陸取材旅 ④〜旧北陸街道と富山の人々〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)

〇7月24日(土) 北陸取材旅4日目
昨夜、能登保養キャンプに無事合流
午前中に元気な子どもたちと一緒に海へ
コロナ禍でキャンプ形式の保養はよいアイデアだなと思いました
東日本大震災から10年、原発事故によって大量の放射性物質が広がり、それによる福島県や周辺地域に暮らす子どもたちの健康被害を軽減させようと、全国の有志によって保養事業がはじまりました
いまだに活動を続けていてくれる、有り難いことだなと思いました
午後から富山県で取材と展示打ち合わせがあるので
お昼前に子どもたちとお別れして富山へ出発

能登半島を横断するように富山県へと向かいます

8年前の年末、大阪の阪大附属病院にて
心臓移植をひかえていたすみかちゃん
病院ですみかちゃんの看病につきっきりのお母さん、富山県のお母さんの実家に離れ離れに暮らすお兄ちゃん、お姉ちゃん、クリスマスに久しぶりに家族が集まるところを描いて欲しいと連絡をいただき描いたダキシメルオモイ、無事手術も終わって現在は離れ離れに暮らしていた兄弟とともに富山県に暮らしています
前回はすみかちゃんとお母さんだけしか描けなかったので
今回はお兄ちゃん、お姉ちゃんも入れて取材させていただきました。
九月の展示に間に合わせたいと思います

富山市内のホテルへ移動
夕食はお土産にいただいた鱒寿司を美味しくいただきました☆
北陸に仕事で来ると、家人へのお土産は必ず鱒寿司を買うぐらい家族で好きですが、久しぶりにひとつを丸々ひとりでいただきました(幸せ)
〇7月25日(日)北陸取材旅5日目

午前中は
以前、金沢で展示したときに富山から観に来ていただいたご家族を取材、
ご家族の物語を疑似体験しながらお聞きして自分の中に家族の物語を落とし込みます
静かに、しかし底力の強いオモイを感じました
富山に暮らす家族、家に収まらず外に出て行く、強い女性が多い印象です
こちらの家族のダキシメルオモイも九月の富山での展覧会に展示出来たらと思います
(写真はモデルさん家族から拝借)

午後から展示打ち合わせ場所の富山県射水市小杉にある竹内源造記念館
昔は役場として使われていた建物、鏝絵(こてえ)という鏝で形作る壁面の左官名人、竹内源造さん(1886~1942)の作品がたくさん展示してあります(旧小杉町出身)、旧小杉町は江戸時代から左官職人を多く輩出した土地だそうです

竹内源造さんの双頭の龍のある部屋で展示させていただきます

富山県高岡駅前にあるギャラリーVENERE(イタリア語でヴィーナス)のオーナー笹川さんと一緒に
今回の「旧北陸街道アートin小杉」の展示のご縁を繋いでいただきました

夕方、福島県双葉町から富山県に家族で避難して
高岡市に和食料理店「ふく富(とみ)」を開業した三瓶(さんぺい)さんのお店へ
(今年の3月に富山新聞に掲載されていた記事を頼りに)
お寿司御前を頼んで美味しくいただきました☆
娘さんが県外に進学していて、モデルはまたの機会にということに
いつか三瓶さん家族のダキシメルオモイが描けたら嬉しいです
富山県にも震災で避難している家族がいるのですね
ご縁が繋がると嬉しいです
6日目につづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)

〇7月24日(土) 北陸取材旅4日目
昨夜、能登保養キャンプに無事合流
午前中に元気な子どもたちと一緒に海へ
コロナ禍でキャンプ形式の保養はよいアイデアだなと思いました
東日本大震災から10年、原発事故によって大量の放射性物質が広がり、それによる福島県や周辺地域に暮らす子どもたちの健康被害を軽減させようと、全国の有志によって保養事業がはじまりました
いまだに活動を続けていてくれる、有り難いことだなと思いました
午後から富山県で取材と展示打ち合わせがあるので
お昼前に子どもたちとお別れして富山へ出発

能登半島を横断するように富山県へと向かいます

8年前の年末、大阪の阪大附属病院にて
心臓移植をひかえていたすみかちゃん
病院ですみかちゃんの看病につきっきりのお母さん、富山県のお母さんの実家に離れ離れに暮らすお兄ちゃん、お姉ちゃん、クリスマスに久しぶりに家族が集まるところを描いて欲しいと連絡をいただき描いたダキシメルオモイ、無事手術も終わって現在は離れ離れに暮らしていた兄弟とともに富山県に暮らしています
前回はすみかちゃんとお母さんだけしか描けなかったので
今回はお兄ちゃん、お姉ちゃんも入れて取材させていただきました。
九月の展示に間に合わせたいと思います

富山市内のホテルへ移動
夕食はお土産にいただいた鱒寿司を美味しくいただきました☆
北陸に仕事で来ると、家人へのお土産は必ず鱒寿司を買うぐらい家族で好きですが、久しぶりにひとつを丸々ひとりでいただきました(幸せ)
〇7月25日(日)北陸取材旅5日目

午前中は
以前、金沢で展示したときに富山から観に来ていただいたご家族を取材、
ご家族の物語を疑似体験しながらお聞きして自分の中に家族の物語を落とし込みます
静かに、しかし底力の強いオモイを感じました
富山に暮らす家族、家に収まらず外に出て行く、強い女性が多い印象です
こちらの家族のダキシメルオモイも九月の富山での展覧会に展示出来たらと思います
(写真はモデルさん家族から拝借)

午後から展示打ち合わせ場所の富山県射水市小杉にある竹内源造記念館
昔は役場として使われていた建物、鏝絵(こてえ)という鏝で形作る壁面の左官名人、竹内源造さん(1886~1942)の作品がたくさん展示してあります(旧小杉町出身)、旧小杉町は江戸時代から左官職人を多く輩出した土地だそうです

竹内源造さんの双頭の龍のある部屋で展示させていただきます

富山県高岡駅前にあるギャラリーVENERE(イタリア語でヴィーナス)のオーナー笹川さんと一緒に
今回の「旧北陸街道アートin小杉」の展示のご縁を繋いでいただきました

夕方、福島県双葉町から富山県に家族で避難して
高岡市に和食料理店「ふく富(とみ)」を開業した三瓶(さんぺい)さんのお店へ
(今年の3月に富山新聞に掲載されていた記事を頼りに)
お寿司御前を頼んで美味しくいただきました☆
娘さんが県外に進学していて、モデルはまたの機会にということに
いつか三瓶さん家族のダキシメルオモイが描けたら嬉しいです
富山県にも震災で避難している家族がいるのですね
ご縁が繋がると嬉しいです
6日目につづく
2021年08月16日
北陸取材旅 ③〜一向一揆で亡くなった者と守られたモノ〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)

7月23日(金) 北陸取材旅3日目
田谷さん、朝五時から網の補修作業、現場を見学させていただきました

暑くて作業できない日中は保養で福島から来ている子どもたちを海へ連れて行って思い切り遊ばせます

今日は9時から能登半島の右側にある能登島(のとじま)に暮らす家族から取材スタート

京都から和歌山
和歌山から石川県の能登島へ移り住んだ家族の取材
よい笑顔をいただきました

2軒目は金沢市に暮らす家族
数年前に小松市のお寺さんでの展示でご一緒させていただいたウクレレ奏者のRIKUYAさんのご家族の取材
お父さんが四国でもらってきたウクレレがたまたま家に置いてあって、それを弾きはじめたのがRIKUYAさんがウクレレ
との出会いだったというのが印象深かいお話でした
両親、子どもたち、それぞれの繋がりと響き合いが強い家族だと感じ入りました

3軒目は白山市に暮らす家族のところへ移動

道中、金沢市内のコンビニで売っていた南無阿弥陀仏のキリコを発見
金沢の浄土真宗は七月がお盆の時期だそうです、このキリコをお墓参りのときに持参してお墓の前にかけるそう、誰がお参りに来たかわかるように(コンビニのお姉さん談)

白山の取材家族との待ち合わせ時間が思わず出来たので、目の前にある加賀一向一揆終焉の地、鳥越城跡に足を運びました
「戦に勝つためになんとしても勝たねばならない
足手まといになってしまう子を
親の手で殺し
血の涙を流して戦ったという
かつてこの地には
それを後世に伝えるために
『子殺し』
という地名が点在していた」
(You Tobe鳥越城より拝借)


どんな思いで鳥越城に立て籠り命を落としたのか
金沢浄土真宗のお盆の時期に訪ねられるのは奇遇です
本丸跡で南無阿弥陀仏と手を合わせました


最後に見たであろう景色
美しい山河が広がっていました
白山で取材させていただくのは
数年前、金沢芸術村での展示でご一緒させていただいたフルート奏者の上野賢治さん家族
岩手県(北上市)出身のお父さんと新潟県(津川町)出身のお母さんの間に生まれた上野さん
尺八をされていたお父さんからの影響でフルートを学びはじめます
娘さんたちと猫たちが賑やかな家族でした

夜に取材が終わり、ふたたび能登半島の保養キャンプに向かいます
キャンプ中に取材出来たらと思っていましたが
後日福島に伺って取材することになりました

途中、道に迷って汗、道中で見つけた来来亭(好きなお店)で遅めの夕ご飯
金沢に来て京都ラーメン笑
今日一日取材に運転に頑張った自分へのご褒美にいただきました☆
北陸取材旅、いよいよ明日から富山入りします
4日目につづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。
北陸取材旅(7月20日~)

7月23日(金) 北陸取材旅3日目
田谷さん、朝五時から網の補修作業、現場を見学させていただきました

暑くて作業できない日中は保養で福島から来ている子どもたちを海へ連れて行って思い切り遊ばせます

今日は9時から能登半島の右側にある能登島(のとじま)に暮らす家族から取材スタート

京都から和歌山
和歌山から石川県の能登島へ移り住んだ家族の取材
よい笑顔をいただきました

2軒目は金沢市に暮らす家族
数年前に小松市のお寺さんでの展示でご一緒させていただいたウクレレ奏者のRIKUYAさんのご家族の取材
お父さんが四国でもらってきたウクレレがたまたま家に置いてあって、それを弾きはじめたのがRIKUYAさんがウクレレ
との出会いだったというのが印象深かいお話でした
両親、子どもたち、それぞれの繋がりと響き合いが強い家族だと感じ入りました

3軒目は白山市に暮らす家族のところへ移動

道中、金沢市内のコンビニで売っていた南無阿弥陀仏のキリコを発見
金沢の浄土真宗は七月がお盆の時期だそうです、このキリコをお墓参りのときに持参してお墓の前にかけるそう、誰がお参りに来たかわかるように(コンビニのお姉さん談)

白山の取材家族との待ち合わせ時間が思わず出来たので、目の前にある加賀一向一揆終焉の地、鳥越城跡に足を運びました
「戦に勝つためになんとしても勝たねばならない
足手まといになってしまう子を
親の手で殺し
血の涙を流して戦ったという
かつてこの地には
それを後世に伝えるために
『子殺し』
という地名が点在していた」
(You Tobe鳥越城より拝借)


どんな思いで鳥越城に立て籠り命を落としたのか
金沢浄土真宗のお盆の時期に訪ねられるのは奇遇です
本丸跡で南無阿弥陀仏と手を合わせました


最後に見たであろう景色
美しい山河が広がっていました
白山で取材させていただくのは
数年前、金沢芸術村での展示でご一緒させていただいたフルート奏者の上野賢治さん家族
岩手県(北上市)出身のお父さんと新潟県(津川町)出身のお母さんの間に生まれた上野さん
尺八をされていたお父さんからの影響でフルートを学びはじめます
娘さんたちと猫たちが賑やかな家族でした

夜に取材が終わり、ふたたび能登半島の保養キャンプに向かいます
キャンプ中に取材出来たらと思っていましたが
後日福島に伺って取材することになりました

途中、道に迷って汗、道中で見つけた来来亭(好きなお店)で遅めの夕ご飯
金沢に来て京都ラーメン笑
今日一日取材に運転に頑張った自分へのご褒美にいただきました☆
北陸取材旅、いよいよ明日から富山入りします
4日目につづく
2021年08月12日
北陸取材旅 ②〜加賀に残る浄土真宗と能登の保養〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。7月20日~
3日目は小松市からスタート

小松市、浄土真宗大谷派(東本願寺)、称名寺(しょうみょうじ)
朝一番に訪ねました
石川県ではじめて展示のご縁を繋いでいただいたお寺
昨年3月に亡くなった佐々木五六住職は今でもお寺にいるような気がします

昨日に続けて小松市の西照寺(さいしょうじ)に今度は日野文(ひのふみ)さん(昨日のすなおさんの妹さん、ダキシメルオモイのモデルにもなっていただいています)に会いに訪れました
ふみさんは小松市でこども食堂を開いて3年、こども食堂の認知は広がったが、こどもの貧困問題がなかなか解決しないという点に心を砕いていました

そのほか、昨日一向一揆記念館に行ってきたと話したら、ぜひ目の前の鳥越城に登って本丸から平野を眺めてみることを勧められました
当時の一向一揆に立ち上がり最後まで闘った民のオモイを感じることが出来るかもしれません

今日の小松市で取材するご家族
3年前に金沢市芸術村で展示したとき、観に来てくれた親子
それからなかなかご縁が繋がらず、今回ようやく取材に漕ぎ着けました
奥さまがこどもたちと一緒に地域のゴミ拾いをするようになって、それから地域の人びとの活動やオモイに触れて気になり
そうした人々を取材してまわって不定期の手作り新聞を作るようになります
何事も自分で体験してからでないと記事に出来ないと、まずは体験してみる
そうして人と人、地域と人を繋ぐ活動をされていました
旦那さまも同席していただき旦那さまのお話もお聞き出来ました
写真は出していただいたアイスとお茶

取材が終わったのが夕方
それから能登半島の先の方にある志賀町で福島県のこどもたちや親御さんを呼んで
保養をされている保養キャンプの現場へと向かいました
ちょうど20日からはじまった保養
行かない訳には行きません

漁師の田谷さん
2012年、福島県二本松市の眞行寺へ取材に行った日に能登から住所を書かないで送られてくる甘エビが届いて
そうした支援をしている能登の田谷さんという漁師の人とオモイが気になり、後日、能登の西海漁港に訪ねて行きました、それから能登で保養を続けてきて、今回コロナを受けて屋外で保養するにはと
自宅の庭をテラスや平地に整地してテントがたくさん張れるキャンプ場に
福島からのこどもや親たちを保養で受け入れる出来る保養の場所づくりをされていました
この日は福島県から4家族が保養に訪れていて
いわき市で取材した家族もいて、久しぶりの再会(まだ描けていません汗)
旦那さまとはじめまして、またいわきに行った時に旦那さまを取材して
家族一緒に描かせてもらうことになりました
今晩は車中泊
明日は能登半島から金沢、白山と石川県を取材でまわります
4日目につづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。7月20日~
3日目は小松市からスタート

小松市、浄土真宗大谷派(東本願寺)、称名寺(しょうみょうじ)
朝一番に訪ねました
石川県ではじめて展示のご縁を繋いでいただいたお寺
昨年3月に亡くなった佐々木五六住職は今でもお寺にいるような気がします

昨日に続けて小松市の西照寺(さいしょうじ)に今度は日野文(ひのふみ)さん(昨日のすなおさんの妹さん、ダキシメルオモイのモデルにもなっていただいています)に会いに訪れました
ふみさんは小松市でこども食堂を開いて3年、こども食堂の認知は広がったが、こどもの貧困問題がなかなか解決しないという点に心を砕いていました

そのほか、昨日一向一揆記念館に行ってきたと話したら、ぜひ目の前の鳥越城に登って本丸から平野を眺めてみることを勧められました
当時の一向一揆に立ち上がり最後まで闘った民のオモイを感じることが出来るかもしれません

今日の小松市で取材するご家族
3年前に金沢市芸術村で展示したとき、観に来てくれた親子
それからなかなかご縁が繋がらず、今回ようやく取材に漕ぎ着けました
奥さまがこどもたちと一緒に地域のゴミ拾いをするようになって、それから地域の人びとの活動やオモイに触れて気になり
そうした人々を取材してまわって不定期の手作り新聞を作るようになります
何事も自分で体験してからでないと記事に出来ないと、まずは体験してみる
そうして人と人、地域と人を繋ぐ活動をされていました
旦那さまも同席していただき旦那さまのお話もお聞き出来ました
写真は出していただいたアイスとお茶

取材が終わったのが夕方
それから能登半島の先の方にある志賀町で福島県のこどもたちや親御さんを呼んで
保養をされている保養キャンプの現場へと向かいました
ちょうど20日からはじまった保養
行かない訳には行きません

漁師の田谷さん
2012年、福島県二本松市の眞行寺へ取材に行った日に能登から住所を書かないで送られてくる甘エビが届いて
そうした支援をしている能登の田谷さんという漁師の人とオモイが気になり、後日、能登の西海漁港に訪ねて行きました、それから能登で保養を続けてきて、今回コロナを受けて屋外で保養するにはと
自宅の庭をテラスや平地に整地してテントがたくさん張れるキャンプ場に
福島からのこどもや親たちを保養で受け入れる出来る保養の場所づくりをされていました
この日は福島県から4家族が保養に訪れていて
いわき市で取材した家族もいて、久しぶりの再会(まだ描けていません汗)
旦那さまとはじめまして、またいわきに行った時に旦那さまを取材して
家族一緒に描かせてもらうことになりました
今晩は車中泊
明日は能登半島から金沢、白山と石川県を取材でまわります
4日目につづく
2021年08月04日
北陸取材旅 ①〜家族の歴史を巡る旅スタート〜
9月に富山県で開催される『 旧北陸街道アートin小杉 』というアートイベントでの展示が決まり
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。7月20日~
この機会に石川県、新潟県の家族も訪ねて取材することに、北陸取材旅を決行

渥美半島から石川県まで、歩くと2日と15時間かかるんですね

女形谷PA車内から見えた夕陽
片道一車線工事中、混雑していてなかなか思うように走らせられませんでした汗

尼御前SAレストランから見えた夕陽
久しぶりに海に沈む夕陽を見ました(太平洋側では見れない)
日が暮れるころに北陸に到着
初日の金沢市内の宿へ

2日目、白山比咩神社へ(しらやまひめじんじゃ)
いままで白山をハクサンと読んでましたが正しくはシラヤマヒメジンジャだそうです(母親に教えてもらった)

前回は、21世紀美術館でのもやい展のときだから
もやい展の御礼と、今回の石川、富山、新潟の北陸取材旅の無事を祈りました

同じく白山市にある加賀一向一揆記念館へ
数年前に寄ったときには閉まっていたので再チャレンジ
約100年続いた民衆の治めた国
その歴史に触れることが出来ました
7年も続けて展示のご縁をいただいている石川県
浄土真宗のお寺が多いので歴史が気になっています

お昼は隣接する道の駅にておろし蕎麦を

白山から山を降りて小松市の西照寺の日野直(ひのすなお)ご住職のもとへ
滋賀県のお寺の時報に頼まれて描いた『蓮ちゃんといっしょに。』が書籍化したというので
お寺まで買いに行きました

浄土真宗の教えなどがわかりやすく描かれています

サインしていただきました☆

小松市から金沢市内にある金沢芸術村へ移動して
ダキシメルオモイを応援してくれていた亡くなられたお母さまと5人兄弟のダキシメルオモイの取材の打ち合わせ
石川県での展示のご縁をたくさんいただ鎌仲ひとみ監督のマネージャー小原美由紀さま
そのオモイも描かせていただきます
どうやって作品にするのか、お話を伺っているとお父さまのオモイも強いということがわかったので
亡くなられたご夫婦をその5人兄弟の子どもたちで囲むようにして描くのがいいのかなと
しかし5兄弟のうち2人は大阪にいるということなので、
別々に取材して合成するという方法で描いてみたいと思います
はじめての試み、どうなるでしょうか

そのあと昨年11月に展示のご縁をいただいた金沢市内の光徳寺さま
ご住職の息子さん、娘さん、奥さまのご家族、それぞれのダキシメルオモイ
それぞれにオモイをお聞きして描かせていただきました

そのあと駆け足で近くの金沢市立玉川図書館へ
(写真撮り忘れたからネットから拝借)
今日2家族目の取材は
男の子ふたりのお母さま
今まで子どもさんが写真撮られるのダメだったので取材出来なかったのですが
ご縁がととのって取材出来ることに
お母さまのお話を図書館でお聞きして
上の高校生のお兄ちゃんが部活で帰ってくるのが夜だというので
いったん別れて

近くの喫茶店で夕食を取りながら連絡を待ちます
連絡が来てから自宅に伺いお話をお聞きして写真(3~400枚、30分ほど)を撮らせていただきました
家には大きな河が流れています
はるか昔から永遠と続くオモイと願いの大きな河
その河の流れの中でその家の人びとは暮らしています
その大きな河の流れを感じてダキシメルオモイを描きたい
それを感じるために、子どもさんの名前の由来、その親御さんの名前の由来、
家族のファミリーヒストリーを話せるだけ話していただいて
その河の輪郭を感じて描いていきたいと思います
今回も取材先の家族に流れるオモイと願いにほっこりさせていただきました
お母さま、とても家族に大切に育てられていました
そのオモイに出会わせていただきました
翌日は小松市での取材なので金沢市から小松市のホテルへ移動
3日目へとつづく
富山県に暮らす家族が何家族か入っているといいなと
今回、呼びかけさせていただいて富山県に暮らす家族を取材してきました。7月20日~
この機会に石川県、新潟県の家族も訪ねて取材することに、北陸取材旅を決行

渥美半島から石川県まで、歩くと2日と15時間かかるんですね

女形谷PA車内から見えた夕陽
片道一車線工事中、混雑していてなかなか思うように走らせられませんでした汗

尼御前SAレストランから見えた夕陽
久しぶりに海に沈む夕陽を見ました(太平洋側では見れない)
日が暮れるころに北陸に到着
初日の金沢市内の宿へ

2日目、白山比咩神社へ(しらやまひめじんじゃ)
いままで白山をハクサンと読んでましたが正しくはシラヤマヒメジンジャだそうです(母親に教えてもらった)

前回は、21世紀美術館でのもやい展のときだから
もやい展の御礼と、今回の石川、富山、新潟の北陸取材旅の無事を祈りました

同じく白山市にある加賀一向一揆記念館へ
数年前に寄ったときには閉まっていたので再チャレンジ
約100年続いた民衆の治めた国
その歴史に触れることが出来ました
7年も続けて展示のご縁をいただいている石川県
浄土真宗のお寺が多いので歴史が気になっています

お昼は隣接する道の駅にておろし蕎麦を

白山から山を降りて小松市の西照寺の日野直(ひのすなお)ご住職のもとへ
滋賀県のお寺の時報に頼まれて描いた『蓮ちゃんといっしょに。』が書籍化したというので
お寺まで買いに行きました

浄土真宗の教えなどがわかりやすく描かれています

サインしていただきました☆

小松市から金沢市内にある金沢芸術村へ移動して
ダキシメルオモイを応援してくれていた亡くなられたお母さまと5人兄弟のダキシメルオモイの取材の打ち合わせ
石川県での展示のご縁をたくさんいただ鎌仲ひとみ監督のマネージャー小原美由紀さま
そのオモイも描かせていただきます
どうやって作品にするのか、お話を伺っているとお父さまのオモイも強いということがわかったので
亡くなられたご夫婦をその5人兄弟の子どもたちで囲むようにして描くのがいいのかなと
しかし5兄弟のうち2人は大阪にいるということなので、
別々に取材して合成するという方法で描いてみたいと思います
はじめての試み、どうなるでしょうか

そのあと昨年11月に展示のご縁をいただいた金沢市内の光徳寺さま
ご住職の息子さん、娘さん、奥さまのご家族、それぞれのダキシメルオモイ
それぞれにオモイをお聞きして描かせていただきました

そのあと駆け足で近くの金沢市立玉川図書館へ
(写真撮り忘れたからネットから拝借)
今日2家族目の取材は
男の子ふたりのお母さま
今まで子どもさんが写真撮られるのダメだったので取材出来なかったのですが
ご縁がととのって取材出来ることに
お母さまのお話を図書館でお聞きして
上の高校生のお兄ちゃんが部活で帰ってくるのが夜だというので
いったん別れて

近くの喫茶店で夕食を取りながら連絡を待ちます
連絡が来てから自宅に伺いお話をお聞きして写真(3~400枚、30分ほど)を撮らせていただきました
家には大きな河が流れています
はるか昔から永遠と続くオモイと願いの大きな河
その河の流れの中でその家の人びとは暮らしています
その大きな河の流れを感じてダキシメルオモイを描きたい
それを感じるために、子どもさんの名前の由来、その親御さんの名前の由来、
家族のファミリーヒストリーを話せるだけ話していただいて
その河の輪郭を感じて描いていきたいと思います
今回も取材先の家族に流れるオモイと願いにほっこりさせていただきました
お母さま、とても家族に大切に育てられていました
そのオモイに出会わせていただきました
翌日は小松市での取材なので金沢市から小松市のホテルへ移動
3日目へとつづく