2022年04月25日

27万キロ走ったキューブ


8年目で27万キロ走ったキューブを乗り替えることにしました。

展示に取材に全国を駆けずり回ってくれたキューブ
いろいろなところに連れて行ってもらいました。

故障はほとんど無かったけれど
フロントガラスは高速走行中、トラックの飛び石でヒビが入り3回交換、
その度に保険の階級が下がりました汗


後部座席と助手席を倒してフラットにして
60家族分の作品とスタンド、展示パネルを積み込んだ様子。
後ろが見えない


助手席を倒すと梱包した作品(長編2m)も積み込めました。
空いたスペースに着替えなどの入ったバックなどを乗せて


和歌山県。黒江小学校の体育館での展示風景(2019年) 60家族の展示風景。

作品数も増えてきて、もう少し荷物が載せられる車にしないとなぁ
満載すると運転席が倒せずに長距離移動が辛くなってきた、というのも理由のひとつ
キューブでも作品、スタンドをよく積み込めたなぁと


後姿も個性的で良かった。
たくさんのオモイをいろいろなところに運んでもらいました。
ありがとうキューブ。。。


  


Posted by 小林憲明 at 20:45

2022年04月10日

末っ子の母、西郷南海子さんからのお願い

西郷 南海子さんからのお願い
3月31日 20:38 ·
【ご報告】
FBに楽しい話題を提供していた末っ子(小2)ですが、
去年末に体調を崩し、年始には命に関わる大きな病気が判明。
そのまま大学病院に救急搬送されました。
最高の医療チームのもと、1日1日、病と闘っています。
そんな中、ベッドで描いた幾何学模様が面白かったので、
トートバッグやTシャツにして販売することにしました。
(購入者さんの個人情報はわたしには来ません)
1点につき500円が、彼のおこづかいになります!
とはいえどこにも行けないのですが…(笑)
おこづかい以上に、外の世界とつながっている感覚が、
きっと彼の背中を押してくれると思います。
2022年3月31日
「末っ子の母」西郷南海子


【販売ページ】
https://havingfuntee2022.designstore.jp

西郷南海子さん、廃刊だった『子どもの美術』という小学校の美術の教科書を携わった人たち、存命している方々を訪ねてインタビューして周り、復刻したのが、善財童子のように見えて、ダキシメルオモイのモデルをお願いしました。
次男くんは元気一杯で取材もちからいっぱいで、西郷さんも僕もくたくたになったのを思い出します。
ご縁が繋がって支援の輪が広がりますように。


西郷さん家のダキシメルオモイ
西郷さん取材のときのブログ

  


Posted by 小林憲明 at 18:26「ダキシメルオモイ」

2022年04月10日

『私に遇うために必要なこと』


出遇った言葉

『私に遇うために必要なこと』



 名古屋に祖父江文宏(そぶえふみひろ)さんという方がおられました。一度お会いしたら忘れられないすてきな方でした。暁(あかつき)学園という児童養護施設の長をしておられ、幼児虐待という切実な問題を抱えた人と人との間に常に身を置き、その人たちと真向かいに生きられた方でもありました。私は、祖父江さんが見てこられた児童虐待のさまざまな事例の中から話されたことに、はっとさせられたことがあります。
 それは、赤ちゃんの「おぎゃー」という最初の泣き声は「私、ここにいます」という叫びであるということでした。生まれたての赤ちゃんが捨てられて、十時間経つと、その命はもう助からないのだそうです。産み捨てられて、八時間なら、「なんとかなるかもしれない」、五時間なら、「ああよかった、まだ助かる」と、とっさに考えるのだそうです。人間の赤ちゃんは、生まれてすぐに誰かが受けとめて、育てて護って(まもって)くれる人に会わなかったら、それはもう、待っているものは、死しかないのだと。
 私は、生まれてすぐの私を抱きあげて、護ってくれた人の存在を思いました。私もまた「私、ここにいます。生まれてきました。どうかお願いします」と、「おぎゃー」と泣きながら、生きたいと誰かを求めて生まれてきたことを知りました。
 人間は一人で生まれて一人で死んでいく存在です。しかし自分を「生まれてくれてありがとう」と、そのいのちを確かに受け取ってくれた人がいなければ、いまここに、私はいません。自分のいのちの背景を思いました。
〜『声を聴くということ』鈴木君代〜



  


Posted by 小林憲明 at 18:03日記歴史出遇ったコトバ

2022年04月05日

400家族から教えられたこと



400家族の取材から逆説的に教えてもらったこと
亡くなった家族や親戚、関わりが深かった人たち、その供養をしている(感謝出来ている)
どうゆう人たちだったか、その人がらや人生を知っている、覚えている、思い出す、よく家族で話し合って伝え聞いている、
そうしたことをしている家族は総じて
悪いことが少ない、
悪いことがあっても守られるようなことが多い、
生きている間に与えられる仕事(金銭を伴わない物も含む)のステージが高い人たちに多いような気がします。
利己より利他で動く人たち、
何がもらえるかより、何を与えることが出来るかに意識が向いていたり、実践をしている人たち、
結果的に多くのものがその人やその家族に流れ込んでいる(その人じゃなくても子どもや孫という場合も多い)
ということを400家族と出会って
お話を聞いてきて
逆説的に教えてもらいました。
大切なことなので共有しておきます。
  


Posted by 小林憲明 at 12:16「ダキシメルオモイ」日記ふるさと歴史

2022年04月05日

新潟木揚場教会と阿賀野川の死に水と巨木




新潟の木揚場教会『百事日誌』が届きました✨(数年前に展示のご縁をいただきました)


明治時代、京都の東本願寺、焼け落ちた御影堂(ごえいどう)を再建する為、建設資材の木材を京都に送り出す為に全国に32ヶ所作られた木揚場教会、そのうちのひとつ新潟木揚場教会の歴史が書かれた日誌の翻刻製本(現存する木揚場教会はここだけ)
御影堂の1番虹梁に使われている巨木、14.2mの大虹梁(だいこうりょう)
新潟県に流れる阿賀野川の下流域の小杉村(現在の横越村から数百年水没していた珍しい大材が引き揚げられ木揚場教会から京都に運ばれました。


新潟滞在中、横越村近くで阿賀野川流域に暮らす人々の話を聞いて周っている人に話を聞く機会がありまして、阿賀野川の水はそこに暮らす人たちが亡くなった葬儀のとき唇を湿らす人生最後の水、死水(しにみず)として使われると言います、そこに暮らす人たちにとってとても大切な水、暮らしとともにあった川だそうで、それが新潟水俣病で汚され傷つけられた、そこに暮らす人たちの川のイメージが変わってしまったという話を聞いていたので、水俣病で大変だった川だけどそこから引き揚げられた巨木が木揚場教会から京都の巨大な御影堂を支えている、阿賀野川流域に暮らしていたたくさんの人たちが精力を尽くして引き揚げたこと、それが1番梁に使われたというのは地元としては誇らしい気持ちになるのではないのかな、悪いことばかりではないなと思いましたので共有させていただきます。

『百事日誌』まだあるそうです。(数に限りがありますが)
希望する方は新潟木揚場教会に直接お問い合わせください。

新潟木揚場教会〒 951-8054 新潟県新潟市中央区礎町通上一ノ町1957番地
☎ 025-229-1870
  FAX 025-229-1870


  


Posted by 小林憲明 at 11:23ふるさと歴史