2017年01月31日

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず



アトリエから見えるこの梅を見るのも
今年で6年目

この間、ふと見たテレビで
バナナ好きが高じて
日本でバナナを栽培出来ないか
試行錯誤の末、岡山県でバナナ栽培に成功した人の栽培方法が興味深かった。

寒くなる地域では育たないバナナ
現地から持ち帰った種を1回冷凍庫に入れ凍らす。
そうして種に氷河期を疑似体験させた後に育てる、
氷河期が終わったと錯覚して、そこから
生物が生きようとする力が最大限引き出されるそうです。
適応力が引き出されるというか、

温暖な気候で育った木は建材に向かない
寒くて厳しい気候で育った木が建材には向くそうです。

適材適所だと思いますが、

同じ生物、そうしたことが人間にも当てはまるのかなと思いました。

現在がたとえ氷河期だとしても
腐らずに生きて欲しい
諦めさえしなければ
道は無限にあります。
背を背けず
前を向いて行って欲しいと願います。
  


Posted by 小林憲明 at 11:54日記

2017年01月29日

あけましておめでとうございます(旧暦)



ようやく
ようやく長い長い厄年が終わりました。。。
前厄と本厄、後厄を合わせて計3年間、
諸先輩方に言わせると、後厄が1番厄介だと言うので何があるのかなと、ドキドキしていました。

1番マズいのは、風邪やインフルエンザ、ぎっくり腰、交通事故などなどで、展覧会に穴を開けてはいけないと気をつけ続けていましたが、
おかげさまでこの3年間の展示、滞りなく無事に開催出来たこと、本当に有り難いと思いました。

厄があけて幾分、身体が軽くなったというか…

さまざまなオモイと向き合える人生

有り難いです。

ネットで情報が溢れる世の中、
出来るだけ現場に足を運んで
出会う方々の声を聞いて
そこから考えてゆきたいと思います。


  


Posted by 小林憲明 at 22:16

2017年01月26日

あれから6年

2011年3月12日の晩、友人からかかってきた電話を切った直後
「すぐに出発だ」と夫が言った。幸いガソリンは満タンだった。
私たちは避難所から自宅に戻ることなく、福島を離れた。
 
 あれから5年以上になるが、子どもたちは一度も福島に戻っていない。
当時2歳だった娘は、福島のことをもうほとんど覚えていない、
小学校入学直前だった息子は来年は中学生になる。

 吾妻山、安達太良山を望む川沿いの土地に家を建て、子育てする夢は
諦めなくてはならなくなった。
 狭い借り上げ住宅、3枚の布団に4人で寝る生活の中、家を設計することが
息子の将来の夢になった。
 
 もう5年、まだまだ5年。まだまだ渦中の私たち。
見通しのきかないということがこんなにしんどいとは思わなかった。
家族のからだとこころの健康が何より一番大切だと、守らなくてはと、
子どもたちとの何気ない日常を大切に過ごす日々。
私たちはいつかこの日々をどんなふうにふりかえるのだろう。

 家族として生活しはじめ、子どもたちを授かった福島
絶たれた縁、失った時間はとても大きく、取り返しがつかない。
けれど、より深いものに気づき、より温かい縁にも恵まれて、
私たちはとりあえず元気に生きています。

 子どもたちを日々守っているつもりだったけれど、
守られていたのは私たちでもあったね。
 この子たちの未来を見据えたら、大切なことが何か、
心がぶれることは無い。
 大切な、かけがえのない、家族。



(福島市→新潟市 父親の意思により新潟市に母子を避難)  


2017年01月23日

東京、築地本願寺にてダキシメルオモイを展示させていただきます。

東京、築地本願寺にてダキシメルオモイを展示させていただきます。

西本願寺の僧侶4名の方と、水谷修さん(夜回り先生)の計5名の講師の方々によるディスカッションの場、その背後にこれまで向き合い描いてきた家族の作品を並べさせていただきます。




2012年、このプロジェクトをスタートして福島で初めて出会ったお母さんが、東本願寺のお寺の坊守さま(奥さま)でした。(うちの菩提寺は曹洞宗)
そこから東本願寺のたくさんのお寺とのご縁へと繋がり、5年後、出会ったたくさんのオモイは宗派を越えて西本願寺である築地本願寺でのご縁へと繋がりました。
これだけオモイが広がるというのは何かそこに大切な何かがあるような気がします。



お時間ありましたら是非よろしくお願いします。
2月9日(木) 築地本願寺 本堂
14時〜17時  


Posted by 小林憲明 at 08:34展覧会「ダキシメルオモイ」日記

2017年01月10日

「同郷の先輩との偶然の出逢い」

「同郷の先輩との出逢い」

昨年観た映画「あん」などからハンセン病とその患者が受けてきた差別問題、なんとなく気になっていましたが、今回、ハンセン病の患者が受けた差別問題を題材に劇を作ったり、全国の療養施設を周り入所者の方々のお話を7年前から聴き続けている劇団名古屋の谷川さんに案内をしていただき、岡山県にある長島愛生園(あいせいえん)に行ってきました。





現在では薬で完治するハンセン病、有効な治療法がなかった戦前から、国の政策として療養所への隔離政策が行われてきました。

年々、入所者の高齢化が進み、現在では平均年齢85歳以上、多い時で2000人を越える入所者が今年ついに200人を切ったそうです。

歴史館でハンセン病と隔離、差別の歴史を学び、入所者の方々にお話を聞きました。


新潟県から入所された方が1人いるとのことで少しお話を聞きたいと伺いに行くと(3名いた内、ご存命の最後の1人)
なんと自分と同じ小学校に通っていたおじいさん(90歳)とわかりました。

おじいさんが発病するまで暮らしていたふるさとが自分のふるさとと重なった偶然、
ふるさとを追われ何十年もこの地で暮らす日々とは一体どんなものだったのか、
何故かふるさとの夏まつりの情景が浮かんだりして、ハンセン病問題が一気に自分と身近な問題に感じることが出来ました。

またおじいさんに会いに行きたいと思います。

多摩の療養所から最初に入所した方が造った
島にある物で造った灯篭
オモイが伝わる物でした。

  


Posted by 小林憲明 at 19:06日記ふるさと