2016年11月30日

【 シンクロ率 】


【シンクロ率】
奇遇にも101家族目のダキシメルオモイ、お西(西本願寺)のお寺の奥さま(坊守さま)になりました。写真の左側

福島で初めて描かせていただいたダキシメルオモイ、1家族目がお東のお寺の奥さま(写真右側)

ご縁が繋がり描かせていただいた、お西とお東それぞれ初めて描いた奥さま、
意図した訳で無いですがポーズ、
白黒反転した服装、
子どものしぐさ、
子に口寄せる母親、
子に口づけされる母親、などなど、

シンクロ率が高いのに驚きました。
改めてご縁に感謝します。。。  


Posted by 小林憲明 at 12:16「ダキシメルオモイ」日記

2016年11月28日

名古屋の東別院、西別院、両寺院にて1日限りの展示をいたします。

本日11月28日(月曜日)
親鸞上人のご命日、名古屋の東別院(浄土真宗大谷派)と西別院(浄土真宗本願寺派)、お東とお西のお寺、両寺院、本堂をお借りしてダキシメルオモイ、初めての同時展示いたします。


かつては同じ流れだった西と東、
とかく分断しがちな世の中、共通の抱きしめ合う親子の展示で、今ひとつになります。


展示時間は「てづくり朝市」の開催中(10:00〜14:00)と短いですが、この企画を実現する為に尽力いただいた西と東、両寺院の関係者の方々に深く感謝致します。

私は西別院の本堂に常駐、両寺院にて小冊子の販売もいたします。朝市に来られる方は是非とも本堂の方に足を運んでいただけたら有り難いです。
よろしくお願いします。

開催実現までの経緯↓
http://noriakikobayashi.dosugoi.net/e898677.html

#ダキシメルオモイ  


Posted by 小林憲明 at 02:08展覧会「ダキシメルオモイ」歴史

2016年11月26日

ダキシメルオモイ 小冊子出来ました!

ダキシメルオモイの小冊子が出来ました。


この4年間に出逢い、描いてきた親子の作品、

福島県に留まる選択をした親子のオモイ、
福島や関東から避難した親子のオモイ、
それぞれに寄せていただいたオモイも掲載させていただきました。

出逢ってきた家族のオモイに触れていただき、気持ちを寄せていただくキッカケになればと願います。

B5サイズ、48ページ、1冊1000円(税込)にて販売しております。(送料、5冊まで180円、10冊まで360円になります)

ご希望の方は、お手数ですが希望部数と送り先をメッセージにて連絡いただければと思います。
こちらブログ内の連絡フォームからか
下記パソコンアドレスまでお願いします。
kasasagi@tees.jp
#ダキシメルオモイ  


Posted by 小林憲明 at 22:03「ダキシメルオモイ」物販

2016年11月11日

東京都多摩市での展示、無事終わりました。

「ダキシメルオモイ展 in TAMA」
無事終了いたしました。。。


お陰さまで4日間で600人の方々に観ていただけました。






後半の2日間は会場にいて、東京に避難された家族を含む6家族のダキシメルオモイを取材することも出来ました。



モデルさんにも来ていただきました。



50年前から開発され発展してきた多摩ニュータウン、ここ永山地区は早い段階から開発されて、当時植えられた樹木が豊かに育っているのが印象的でした。



福島ではじめてモデルをしていただいた佐々木るりさんの妹さんとも出逢えました。
福島をふるさとに持つ身として横浜や町田で暮らすお母さんたちと活動をされてきたそうです。


ライヤ(小型ハープ)の演奏も思わず聴くことが出来ました。
後ろの親子と唄のオモイが重なって聞こえました。


会期中、2回開催したトークショー、1回目に参加された高齢のおばあさんがダキシメルオモイの作品に触れて
終戦当時、満州国から引き揚げる最中、ソ連兵の機関銃、一斉掃射から12歳の自分を抱きしめて守ってくれた母親を思い出しましたと、涙ながらに話していただいたそうです。

もうその話が聞けただけでも、ここで開催出来てよかったなと思いました。

繋いできてくれた命
大切に使わないといけないですね

関東に暮らすさまざまな家族のオモイに
今回の展示を機会に出逢うことが出来ました。

子を護りたいというオモイに差は無いということを
改めて感じました。

時間はかかりますがこれからも向き合っていきたいと思います。


#ダキシメルオモイ  


Posted by 小林憲明 at 06:46

2016年11月10日

美し国、北海道食レポ

岩見沢と旭川での2会場滞在中食レポ

◯美唄焼き(びばいやき)
炭鉱の街、美唄名物、ホルモンの各部位とネギを差し込んだ焼き鳥、メニューがこれのみの店もあるそうで、ひとり30本以上注文するとか、写真は20本。

シメは美唄焼き鳥の入った美唄蕎麦、
串から離してひたしながら食べます。
いい出汁が出ています。

焼き場では、出前用の70本を両サイドから二人掛かりで焼いていました。注文に追いつかないんですね。ある意味凄い光景だと思いました。



◯北海道限定、サッポロクラシックビール
和食、洋食、両方に合います、ご賞味あれ


◯生牡蠣
シーズンに入った生牡蠣は心の声が飛び出す旨さでした。。。


◯あぶりチェダーチーズ
お店でも食べましたが美味☆
お土産に買った、さけるチーズ、うなる旨さ(かみさん談)。。。
旭川に来たら是非寄ってみてください☆☆☆


◯まつ田 塩ラーメン
写真は味噌ラーメン(奇しくも2回行きました)


◯よし乃 味噌ラーメン
旭川に来たら味噌ラーメン、地元、旭川の人たちに聞くと、まずこの店の名前が。。。
北海道にしか無いので、行った際は是非☆
写真は訳あって野菜(もやし)抜き。



◯一蔵 醤油ラーメン
味噌ラーメンより醤油ラーメンの方が美味。
美味しくて二杯いただきました。。。


◯成吉思汗大黒屋のジンギスカン☆
柔らかくて非常に美味しかったです。
行列が出来るお店らしくて、道を挟んで向かいに行列から溢れたお客さんが待つ用の待合室がありました。予約してから行くべし。


◯じゃがいもに塩辛
北海道といえばじゃがいも!
じゃがいもスキーにはたまりません。。。
酒の肴に最高に合いました☆
これなら帰ってから出来るかなと、是非☆  


Posted by 小林憲明 at 02:24日記

2016年11月08日

【オモイは受け継がれる】〜北海道 旭川〜

【オモイは受け継がれる】

旭川での展示が無事終了しました。
悪路の中でしたが、お陰さまで5日間で1000人近い方々に観ていただきました。

旭川に避難された3家族を含む北海道に暮らす計8家族のダキシメルオモイ、会期中に取材することも出来ました。
地震や自然災害が少ないと言われる旭川、
旭川市内に100人、市外を含めると約200人(多い時は300人)ほどの方々が震災以降、旭川に避難されているそうです。会期中、少しでも繋がれてよかった。



61家族の展示になりました。



福島のご家族や避難したご家族のオモイも一緒に展示、はじめてそれらのオモイに触れ、涙ぐむ人もいてくれ、知らない人に届ける、知ってもらう、気持ちを寄せてもらえたかな。
地道ですが、こうした活動を継続していくこと、大切だと思いました。


初日に本堂でお話を少し


3日は本堂で 『お寺DEコンサート』
二胡奏者、ジャー・パンファさんと思いがけずコラボ出来ました☆
ずっと二胡と麻絵は合うだろうなぁ〜とコラボ出来たらいいだろうなぁ〜と夢見てたのが実現しました。。。二胡とダキシメルオモイは合います!


北海道の旭川、明治維新以来、北の守りの要として屯田兵の入植に始まり、日本陸軍最強と言われた第七師団の本営地が築かれ、軍都として発展してきたそうです。
会期中の朝活(展覧会前の時間を使っての活動)で自衛隊駐屯地にある北鎮記念館を訪ねてきました。
西南戦争、日露戦争、203高地の激戦、奉天の開戦、ノモハンの戦い、ガダルカナル島での玉座、その時代、時代で1番大変な最前線を闘い続け、たくさんの方々が犠牲となりました。


基地から駅までの間にかかる旭橋(あさひばし)
第七師団の兵隊の方々、戦争が起こるたび、この橋を渡って戦地へと向かい、本当にたくさんの方々が還らぬ人となりました。
戦地で亡くなられた方々の無念のオモイはもちろん、
遺されたご家族の心中、計り知れないものだったのだろうなと、思いを巡らしました。


また東本願寺の北海道での歴史。
明治維新が成立すると、幕府側についていた東本願寺は教団の取り潰しの危機に立たされることになります。
それを防ぐ為、北海道の開拓に参加することに、
京都から100人を越す僧侶が開拓の為に北海道へ向かうことになりました。
慣れない北の大地、慣れない開拓作業、大変な苦労があったと思われます。

幅3メートルの「東本願寺街道」を札幌まで創り上げ、札幌より先の開拓に参加することを許されました。
奇遇にも旭川別院の報恩講に京都から来られたお経の先生のおじいさんが、この開拓団に参加されていて、道半ばで命を落とされたそうです。

寒さ厳しい時にはマイナス20℃を超える極寒の地に集まったたくさんのオモイ、そのオモイの数々があって今の豊かな北海道が存在する。

このほかアイヌの人々や北海道の歴史、もっと知りたくなりました。
北海道のダキシメルオモイ完成させて、
また来たいと思います。


オモイは受け継がれる

ありがとう旭川。。。
ビバ北海道☆
#ダキシメルオモイ  


Posted by 小林憲明 at 11:33展覧会「ダキシメルオモイ」日記歴史