2019年11月28日

年末、埼玉県のギャラリーかぐやさんにて展示とお話を



年末に埼玉県のギャラリーかぐやさんにて
ダキシメルオモイの展示とお話をさせていただきます。



大きな一軒家をそのままギャラリーにしたような
素敵な空間での展示になります



写真は10月のカレンダー展のときの会場風景



そのときは3家族のダキシメルオモイを展示させていただきました
日本家屋との相性はとてもいいと思います

年末のお忙しい中だと思いますが
2012年から直接お会いして描き記してきた家族たちの守りたかった物とオモイ
それぞれの家族とそのオモイに
会場で出会っていただけたら
有り難いと思います

2日間ともに会場にいます
22日、夕方からギャラリーの忘年会ではなく、望年会にも参加させていただきます
こちらもご都合つく方は是非是非
よろしくお願い致します

◯とき
2019年12月21日(土) 13:00〜18:00
22日(日) 11:00〜18:00

◯ところ
古民家ギャラリーかぐや
埼玉県比企郡滑川町福田1560番池
連絡先・090-4830-4026(井上)

◯交通アクセス
東武東上線
森林公園駅より「熊谷行き」または「立正大学行き」バスで「観音前」下車 徒歩5分
関越自動車道
東松山インターより車で約10分





ギャラリーに貼ってあった言葉
  


Posted by 小林憲明 at 14:37展覧会「ダキシメルオモイ」日記

2019年11月24日

「5日間徹夜でゲーム」〜ジブンガタリ〜

子どもの小学校でゲーム依存症について聞いてきて
自分はどうだったのかと振り返るジブンガタリ

印象深かったのは、、、

高校に合格したら好きなだけゲームしていいよ
との約束で、それまで半年間、封印され続けてきたゲーム
合格発表のその日から、約束通りゲーム解禁、
当時発売されたばかりのドラゴンクエスト4を不眠不休で5日間連続でやり倒しました(当時、テレビがあった居間で来客を尻目に)
5日目にご飯を食べるとき箸が震えて持てなくなっていて笑、命の危険を感じて眠りました。

画像はPS(初代プレス)「moon」より

今だったら大問題なんでしょうが
親になってみて同じことが出来るかと聞かれたら
どうでしょうか、、、
子どもを信じて
黙って見守り続けてくれた両親に感謝です(u_u)

1974年生まれ
ファミコン世代です



小学校低学年のとき、ブロック崩しやテニスなどの簡単な家庭ゲーム機が販売され、
ゲームウォッチなどから



ファミリーコンピュータ
スーパーマリオ
このあたりでマリオの攻略本を熟読して、隠しルートや隠しブロックの位置など全て覚えてノーミスで全ステージクリアとかハマっていました、、、
この頃、あまりにハマりすぎてゲームは1日1時間となっていました、大好きなゲームが出来ない時間、空想を働かせて、マリオが巨大なモビルスーツみたいなロボットでそのコックピットから見たキノコワールドはどう見えるのだろうか、そのロボットマリオを操って見えた世界を想像してたくさん絵に描いていた覚えがあります
ゲームが出来ない時間も振り返ると大切な時間だったなぁと思います。



ドラゴンクエストとの出会い
画面は恐ろしくシンプルですが、それがまた逆に空想の入り込み余地があってよかったかなと
このソフトとの出会いは大きかったです



ドラゴンクエストが空前の大ヒットの流れで産まれた
アドベンチャーブックにハマります
ページに書かれたストーリーからいくつかの分岐を選んで、選択したストーリーのページに飛びながら冒険を進めて行くお話が流行りました。



そこから、D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)
ドラゴンクエストが産まれる背景となったテーブルゲームにハマります。
ルールブックとシナリオが発売されていて
ルールブックをもとにDM(ダンジョンマスター)がお話とダンジョンを用意して、それをプレーヤーシートに職業や体力、攻撃力などなどを


ダイス(サイコロ)で決めて書き留めたキャラクターたち(ひとり1プレーヤー)を演じてもらい、DMとプレーヤーたちでテーブルを囲んで話を進めて行くゲームにDMとしてハマります(中学生)、
自由度が高くて、何人でも遊べて、当時多いときは5.6人と一緒に遊んでいました。
DMがお話を語り、その世界でどのように振る舞うか、どんな行動にもDMは対応してリアクション、ダイスを振らせ、その行動が成功するかしないかを繰り返しお話を進めて行く、DMの裁量によって無限に楽しさが広がりますが、あまり上手なDMではなかったなと、ただ稚拙ながらも友達が冒険する世界をルールブック片手に創る、またその世界を冒険してもらう(毎回イレギュラーが発生して思い通りに進まない)
毎週土曜日に自宅に集まってわいわい遊んでいました
それもまた楽しかったような気がします。
DMの役割が大変なのですが、それをパソコンに置き換えて産まれたのがドラゴンクエストになります。



信長の野望
これも戦国時代で天下統一を擬似体験出来る
画期的なゲームでした
お気に入りは四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)、これがもとで「長宗我部くん」という四コマギャグ漫画を大学ノートに描いたりもしました



MSXで発売した
コナミの激突ペナントレースからの流れで産まれたパワフルプロ野球にもハマります。

パワプロにいたっては、大学生のときに発売されたシリーズ、球場のリアルさが物足りなくて、
◯球場、屋外、屋内によって鳴り物の聞こえ方、響き方が違う
◯ナイター球場、野手の立つ位置によってそれぞれの照明からの影の長さや濃さの違い
それらを毎年、最新作を遊んで感じた次回への要望をレポート用紙数枚にまとめてコナミに送って、その度にキャラクターシールなどがお礼に送られてきて、翌年にはほとんどカバーされていてそのやり取りも嬉しかった、


ファミコンで「いっき」を発売した「サン電子」という会社、名古屋の会社なんですね、


サン電子が発売した「東海道五十三次」遊んだことなかったですが笑、その世界観が好きで


大学生のとき
当時のゲーム機、プレステーションで「東海道五十三次」の続編が出たらどんなゲームなんだろうか、とそのゲームを空想し出したら止まらなくなって笑
自分だったらどうかなと、世界観から作り直して、浮世絵の中を主人公が旅して周るという想像した世界を、レポート用紙十数枚に熱く書いて、これまたサン電子さんに送りました。
後日丁寧に「社内で検討させていただきましたが不採用になりました」
とこれまたキャラクターシールが同封された手紙が返ってきて、実現していたらかなり面白いゲームになっていただろうなと少し残念でしたが、作り手の人たちとのやり取りがまた楽しかったりしました。

大学生のとき
愛知県で一人暮らししていて
自由にゲームとか出来ましたが

・エンディングの幅が狭い(他者と体験を共有するには良い)
・受け身の姿勢
・時間の浪費(勿体ない)

ゲームは楽しいのですが
体験がみんなと一緒になってしまう

などから大学生のとき全てのゲームを封印しました

自分の人生をゲームに置き換えたら
また少し違った見方が出来てきて
ゲームに支配される人生はつまらなく思えてきて

絵描きになりたい
自分の人生というゲームの主人公になる
受け身ではなく発信する側になりたい
そう思うようになりました

今、子育てを通して
ゲームとの向き合い方が
自分のころとまた違って大変だなと改めて思います

インターネットの普及によって
プレイヤー同士がすぐに繋がる世界
課金などしないと優位に立てない
中毒性が自分が子どものころに比べて
格段に上がっているなぁと感じます

学校の先生の家庭などでよく聞きますが
ゲーム機を与えない
それもひとつのやり方なのかなと思います
ただ、時代が変化して、どんどん段階が上がってゆく過程で、そのハードに全く触れずに育つ、というのはどうなのかなと個人的には感じます。

免疫は必要かなと思っていて
そのためには多少でも触れて
痛い目に合ったりしないと
勉強にならないのかなと

今から15年ぐらい前から
インターネットが普及してきて
横のつながりがしやすくなって
掲示板が流行ってきてFacebookとかが出てきて
インターネットの世界から抜け出せない人が
出ている、引きこもりなど話題になっていました

インターネット世界とリアル世界
それぞれの世界に片寄ることなく
自由に行き来出来るようになれたらいいな
そう思うようになりました



それは水中と陸上のどちらでも生きることが出来る
かえるのようになりたい
そう思うようになりました



写真は、能や狂言で「かえる」という演目があったらどんな能面になるだろうか?と創作して作った「蛙面(かえるめん)」2005年、樹脂
内側に「つばだまり」も設けました



蛙ヘルメット 2005年、樹脂



ネット世界とリアル世界を
かえるのように行き来して暮らしたい

子どものころにいじめすぎた
かえる供養に描き出したかえるのイラスト
パソコンで描いた絵で、一色無くなると仕事しなくなるエプソンさんという刷り師に頼んで1枚1枚プリントしてもらっています。
「かえるぐらし」というインスタグラムもゆるゆるしています、興味がありましたら覗いてみてください。あつまれかえる好き。。。

最後は宣伝みたいになりましたが、、、

結局、ゲームもインターネットもパソコンも道具でしかなくて、その道具を使って何をするのか
何がしたいのか、そのための道具であって
道具に支配される人生はつまらないと思います

支配される人生ではなく
自由の人生のゲームの主人公であれ



  


Posted by 小林憲明 at 04:47日記

2019年11月21日

「ゲーム依存症について」小学校保健委員会に参加してきました



小鬼たちが通う小学校で定期的に開催されている
保健委員会に保護者として参加してきました

ゲーム依存症

前回も同じテーマだったので
正直またか、という気持ちもあり
しかし2回も続けてというのは
逆に緊急性が高いテーマなのかなと
参加してきました 

子どもも参加しての前半と
保護者だけの後半に分かれて

前半は子どもたちへの
ゲーム依存症になっていませんか?
というアンケート
ゲームしたいよねー
ゲームキチガイだったワタスにはよくわかります、、、
いまだに子どもの心をもつ永遠の中2のワタス
ノーゲームデーと称してゲームをしない時間を
意識的に作ろう、
自分の意思でゲームをやめることが出来るか、
という試みが各家庭で行われています
結果はどうでしょうか、
なかなか中毒性や刺激が強いゲームからの
離脱に苦しんでいるのではないでしょうか、、、
我が家も右に同じく親子で悩みながら取り組んでいます



《 前半まとめ 》
◯デジタルメディアは正しく使えば本当に便利な物です。しかし使い方を間違えると病気になってしまうこともあります。

◯これを機会に家庭や学校で話し合ってみてください。
『一緒に考えること』『本人の気づき』がキーワードです。


【後半の保護者だけのお話】
精神病院のお医者さんがゲーム依存症の患者さんと向き合っているお話から、

ゲーム依存症は

◯誰にでもなる可能性がある
◯辛い日常からの逃避
◯ゲームに限らず、アルコール、ギャンブル依存
◯ゲームなど過度の課金から借金するように、そこから闇社会への転落
◯なってしまうと周りに影響を与える
◯言い訳や嘘が多くなる、他人のせいにする
病院に通って
◯治癒はないが回復はしてゆく
◯依存症になる患者さんに共通しているのは
幼少期の家族との関わり合い
だそうです



【ゲーム依存症に陥らないために】
◯家族もゲームについての知識を持ち、本人の気持ちを理解しようとすることで距離も縮まります。
◯ゲームのメリット、デメリットについて共通の認識を話し合う。
◯「自分の子どもは違う」、「自分の子に限って』は厳禁
◯ルール作りは有効、出来たときは褒めてあげてください。
◯無断でゲームを遮断することが原則NG
→子どもからの信用がなくなります
◯現実の世界での自分の役割や楽しみについて考える。

現在、中高生で98万人、40代までで数百万人のゲーム依存症がいるという現代病
小学校でこうしてお話するのは、幼少期の家族の関わりが将来の依存症の予防になるということを深く知って欲しいとのことでした。

お話会、先生と並んでもうひとり男性がいまして
その男性、先生と同じ病院で働く看護師の方で
ゲーム依存症の患者さんたちと向き合っている
現場の話も聞くことが出来ました。


看護師さんの話 (メモ書きから)

20代の患者さん、引きこもり
親御さんも手に負えない
固まっていて、社会と馴染まない
会話がゲームの中の会話
ゲーム中心の生活
昼夜逆転
起きて不機嫌
ゲームの話では目を輝かす
モンハンに夢中
チャットで軍団、
現実と離れた話、
あまり話をするとそれ以上言うなと
攻撃的に、大変、難しいなと思いながら関わる
少年期を紐解くと、いじめられていた
家族背景、両親との関わりが薄い
生活背景が見えてきた
社会に出て生きづらさ
職場に慣れない
病院に来る人はひどい人が多い
重複障害、精神的疾患
アルコール、薬物がメイン
幼少期を紐解くと
うまくいっていない人が多い
子どものころ、やってこなかったこと、
スケジュール表を書く、など
なかなかうまくいかない

病院のプログラムをやって
治癒はないけれど回復はある、
知ることが大切
関わりを持つことが大切
ゲームはやっちゃいけないではない
本人にとってのメリットとデメリットを
考えて付き合う
親御さんが子どもに寄り添うのが大切

生きづらさの解消が
依存症を抜け出す
アルコール、ゲーム
その世界でしか
生きている実感が持てなかった

治癒はないけれど回復はある

お話会が終わってから
少しだけ先生と看護師さんに質問にいきました

依存症が強く出る人に共通するのは
幼少期の家族との関わりが大きく左右する

子どもをグラスにたとえるなら
愛情という液体を
枯らすことなく、また過剰に溢れるほど注ぐことなく、グラスの中身をよく見て向き合うこと
なかなか難しいですが


先生や看護師さんが、
依存症がエスカレートしていくと
身体を壊していって最後の最後には亡くなってゆく
そうした患者さんをたくさん見てきたそうで
それがあって今日のこのお話なんだな

昨年、アルコールの飲み過ぎから多臓器不全で亡くなった義兄と重なり胸が痛くなりました

過去は変えられない、ただ
これだけ現在苦しんでいる患者さんや家族がいる
依存症の末に亡くなっていく患者さんがいる
そうしたことがわかっているなら
予備軍の子どもたち、僕たち親も
向き合っていかないといけない問題だなと
思いました

幼少期にたくさん子どもを
抱きしめてあげて欲しい
抱きしめてあげなくとも
向き合って欲しい
そう願います




  


Posted by 小林憲明 at 23:26日記

2019年11月21日

小出裕章先生とダキシメルオモイ



今年の3月、金沢21世記美術館で開催された「もやい展」そこに来ていただいた小出裕章先生との1枚

「強いもの、強いリーダー、カリスマを求めることそのこと自体が誤りだと発言してきました。そうではなく、一人ひとりが自分の頭で考え、自分にできる仕事をすることが何より大切だと思いました。」

2011年原子力発電事故後、
小出先生の呼びかけがあって
自分に出来ることはなんだろうかと見つめなおし
絵を描くこと、絵の力を借りて伝えていくこと、
2012年にダキシメルオモイプロジェクトが
はじまりました

被災地で悩みながら子を守り育てる家族
被災地や関東から子どもとともに避難した家族
そうした家族のオモイを訪ね歩き
それぞれのオモイを
麻布に描いて記して伝えてゆく

同じ日本にこうしたオモイをしながら子育てしている家族がいる
それを被災地じゃない家族や友人、暮らす人々に
作品に触れて観て、感じてもらう
また同じくモデルになってもらうことで
ほかの家族のオモイに共感共有してもらえたらいいなと

そこから
こうした発電方法が果たしてこのまま必要なのか
すぐに答えは出ないかもしれませんが
数字では伝わらないたくさんの家族のオモイを 
頭の片隅に入れておいてもらえたら
これから私たちの未来を考える材料のひとつに
なってもらえたらいいなと続けてきました




いつかお会いして直接お礼が言いたい
その願いが金沢の地で叶いました

小出先生の投げかけてくれた言葉から
たくさんの家族のオモイを
訪ねる旅がはじまりました




184家族のダキシメルオモイ(2019年11月現在)

たとえすぐに叶わなくとも
願いを持ち続けること
自分ひとりで完結しなくとも
願いを持ち続けることで
それが周りに伝播してゆく
そうして私たちは暮らしてきたのかな
たとえ現在は辛くとも
あきらめず秘めながらでも
オモイを持ち続けて生きること
とても大切だと感じました
  


2019年11月20日

田原市文化会館(10/10)展覧会レポート



田原市仏教会の主催の「檀信徒大会」歌と演奏&絵画展

歌と演奏は東三河を拠点に活躍されている「WISH」伊藤喜朗(ギター)、陶山理佳(バイオリン)
とコラボさせていただきました。

どうせコラボするなら
WISHのバイオリン奏者で
ふたりの娘さんのお母さんである陶山さんの
ダキシメルオモイが当日ステージにあったらいいなと、描かせていただくことになりました。

東三河の自宅へ取材に行くと
家のうらに小さいけれどよく手入れされている村社が

社を囲むようにある鎮守の森マニアなので
参拝して癒されてから取材へ

家族の話
お爺さん、お婆さんとの思い出話
夏に亡くなられた高校で理科を教えていたお父さま



生前に書かれた本をいただきましたので
帰ってから本を読み込んで
繋がるオモイの落とし込み


制作途中
オモイを中心にして構成


あっという間に当日
70家族でこの積載量
5年で22万キロオーバー
被災地に展示に取材によく走ってくれました



ステージの上、両サイドの花道、
それぞれに飾って40家族
並べさせていただきました


WISHのおふたりも到着して
リハーサル
 


数曲終わったところで描き上げた
陶山家のダキシメルオモイをステージに持ち込み
対面していただきました



完成した陶山家のダキシメルオモイ



娘さんたちこの演奏会のために学校を早退して田原まで来ていただきました
同じポーズで1枚
モデルさん家族が作品と対面するときが
一番緊張して一番嬉しい瞬間です

被災地の家族、
被災地や関東から全国に避難した家族、
非被災地の家族、
それぞれが我が子を抱きしめる
40の家族のなかに
今回の陶山家のダキシメルオモイが入っても
他の家族のオモイを打ち消すのではなく
共鳴してオモイが増幅しているような
気がしました

来ていただいたみなさま
コラボしていただいた
WISHの伊藤喜朗さま、陶山理佳さま、
企画していただいた田原市仏教会のみなさま
ありがとうございました

千の家族を目指して
これからも精進していきますので
今後ともよろしくお願いします


  


Posted by 小林憲明 at 21:38展覧会日記ふるさと

2019年11月17日

惑星の働きとともに創る人

埼玉県から震災を機に和歌山へ避難、移住をされた家族を



和歌山展が終わってから取材に行くことに
和歌山の龍神村のふもとの集落でその人は
創った衣を草木で染めて暮らしていました



昔、村人たちに振る舞っていたという五右衛門風呂がある小さな一軒屋を工房にして、



陽当たりの良い縁側に集うおばあさんたちの賑やかな話し声を聞きながら個展前のお手伝いをさせていただきました。


「ねぎ工房」から「Planet Colours」に屋号を一新



満月と新月のはたらきによって大きく左右される植物の力と染まり方、それは地球を取り巻く惑星、たくさんの影響を受けて成り立っています、

東南アジアの草木染めを生業にしている村に見学に行ったとき、新月満月じゃないから工房は閉まっていて、新月満月の力を最大限に引き出せるように染めの作業(材料の草木の摘み、染め)をしていると聞いて、帰国してから自分がする染めの作業にも新月満月のはたらきを感じて取り入れるようにしたそうです。



旬の植物を一番よい状態で摘み取り、一番よい状態で染めた衣を身にまとってほしい、この衣を着ることで、日々の暮らしが、心が動き出すといいな、そんな願いも込められているそうです




自身のあだ名からつけた「ねぎ工房」
それがだんだんしっくりこなくなってきて
新しく考えてつけた「Planet Colours」という屋号
奇しくも由宇香という名前は、宇宙に深い関心がある父親が名付けてくれました

名は体を表す

山口由宇香さんも今回取材させていただきました。
山口家のダキシメルオモイ、いつか和歌山の皆さまに観てもらえたらいいなぁ
出来上がり楽しみにしていてください☆

「Planet Colours」 展覧会







龍神村のGWOSKSにて来月頭まで開催中
お近くの方は是非
https://www.gworks-web.com/smp/


山口さんと娘さん、民泊もされています。
  


Posted by 小林憲明 at 21:17日記

2019年11月15日

石山本願寺合戦と根来塗り

石山本願寺合戦と根来塗り(.ねごろぬり)

和歌山県での展覧会、恒例の朝活
和歌山市内にある鷺森別院〜早朝の漆器祭りに行ってきました。

戦国時代、大阪城のあった場所に建っていた浄土真宗の本山、石山本願寺、
織田信長に対抗してそこで10年間籠城した石山本願寺合戦
和歌山からも根来衆(ねごろしゅう)雑賀党(さいかとう)と共にたくさんの和歌山の御門人が籠城戦をともに闘ったそうです



和議を結び失意の顕如上人(けんにょしょうにん)以下を蓮如上人(れんにょしょうにん)ゆかりの和歌山の鷺森別院に招きいれたという鷺森別院を訪ねその当時を偲びました。

和歌山に退いた顕如上人、
上人以下を受け入れた和歌山の人々
それぞれのオモイがどんなものだったのか、、、

漆器が盛んだった和歌山
根来衆が使っていたという根来塗りの漆器があります、ごつごつした無骨な形の碗に漆が塗られていて、使い込むほどに漆が剥げて深みが増して来るそうです(10年ぐらいが目安だそうです)


それを聞いたとき、もののけ姫のジコ坊を思い出しました、根来衆は、ジコ坊のように碗など一式をかついで傭兵として各地に赴いていたんじゃないだろうか、石山本願寺合戦にも初期から参加していて、和歌山からの漆の食器も持ち込んだのではなかろうか、、、




現在の根来塗りは、出荷前にヤスリでわざと削って使い込み感を出しているそう、ジーンズのユーズドみたいな、、、

10年籠城した石山本願寺に参加した根来衆や和歌山の人々が根来塗りや日常使いの漆器も寺内に持ち込んで、10年籠城の際に立て篭もり生活で使い込まれ深みが増した漆器があったのじゃないのかな、、、
その使い込まれた感じが外部から来た人から見てなかなか良かったのじゃないかな、それが今の根来塗りになっているのではないだろうか、、、



と妄想の域を出ませんが
和歌山市内から車で30分走り、
海南市で30年続く早朝の漆器祭りに繰り出して
日常で手にとり使いながらその歴史を噛みしめられたらなぁと、根来塗りのような(本物は高くて手が出せない汗)漆器をお土産に買い求めそうしたことに思いを巡らせました。  


Posted by 小林憲明 at 22:39日記歴史朝活

2019年11月15日

黒江小学校での展示(11/2.3)、無事終わりました。



和歌山県黒江小学校体育館での2日間(11/2.3)の展示
無事終わりました。





1日目197人
2日目262人
なんと計459人の方々に観ていただきました。
足を運んでいただいたみなさま
ありがとうございました。



はじめての体育館での展示
たてにもよこにも広い空間を贅沢に
一枚一枚ゆったりと
描かれた家族とそれを観る人との間が
果てしなかったり縮まったり
絵の中を縫うように
思い思い観て歩く人たちを見ていたら
体育館が休日の公園みたいな感じがしてきて
嬉しくなりました
今まで出会ってきた家族が体育館に集まっているような、暖かい空間になったのではないでしょうか



海南市で学童保育に携わる「NPO法人 のびのびキッズ海南」の方々が、いま子育てをしている家族に観て欲しいとのオモイで企画していただきました
海南市内の小学校にチラシを配ったり
たくさんの人々に観て欲しいと、


海南市で30年以上続いている漆器祭りと会期を合わせて展示しました。

駐車場になっている海南市の黒江小学校グランド、そこに隣接する黒江小学校の体育館を会場にしてのダキシメルオモイ展、漆器祭りの辻々に実行委員のスタッフの方々がお客さんに声がけして体育館に足を運んでもらいました。
そのみなさんの力、オモイが集まっての来場者459人!素晴らしく有り難いなぁと思いました。

来場者にお願いしたアンケート、252枚も回答してもらいました、ありがとうございます(まとめた物を以外に)


2011年から6年間、埼玉県から和歌山県に母子避難されていた森下さん家族のダキシメルオモイも当日に間に合わせて飾らせていただきました。

なんと埼玉県から家族で完成した絵を観に来ていただきました☆
子どもたちのアトピー、化学物質過敏症、喘息をなんとかしたくて食べ物から、暮らし方を見つめ直して、心とオモイを砕いてきました、頭がさがります。震災直後、和歌山へ車で避難してそのまま和歌山に6年暮らします、その間、5回に分けて四国のお遍路を結願したり、キューバに行ったり、年に数回家族新聞(現在60号)を発行してたり、魅力的な家族でした。
和歌山に関係した家族のダキシメルオモイがひと家族でも体育館のダキシメルオモイに入ると観る人も感じ方が違うと思うので大切な一枚でした。
間に合ってよかった。
森下さんは「足もみ庵 ゆっくりむし」という施術を埼玉と和歌山を行き来してしています。

今回、展覧会の前後で、和歌山に避難したり、被災地を支援して暮らす家族を4家族新たに取材させていただきました。
それらの家族が描けたらまた和歌山で観てもらえたらいいなと思いました。

まとめていただいたアンケートの声













出会っていただいた和歌山のみなさま
ありがとうございました

ダキシメルオモイ
小林憲明
  


Posted by 小林憲明 at 01:24展覧会「ダキシメルオモイ」日記