2024年06月09日

伊豆下田への道〜2


ようやく折り返し地点

それぞれの家族のオモイや姿、仕草が
愛おしい

13日に下田の会場にて搬入します。
それまでギリギリ
手を加え続けます

  


2024年06月08日

来週の伊豆下田展に向けて制作~①~






来週金曜日から日曜日まで、3日間開催する
伊豆下田でのダキシメルオモイ展に向けて
今年2月に取材させていただいた下田に暮らす7家族のダキシメルオモイを制作しています。

今回も構成に時間がかかりました(;^_^A
お聞きしたお話、家族の歴史をもとに、
撮影した3〜400枚の写真からそれぞれのいいところを選んで、
それぞれの家族らしい1枚になるような構成、構図
取材したその日を1枚に切り取らせていただきました。。。
抱かれた子どもが大きくなってこの絵を観て、
親のオモイを感じてもられたら嬉しいです。

筆を進めます。。。


来週6月14日.15日,16日
静岡県下田市にて開催になります。
会期中、モデルさん家族からいただいた、それぞれのダキシメルオモイの朗読会もあります!
お時間、お近くの方はぜひこの機会に。

お近くの方は是非。。。

  


2024年06月01日

今月、伊豆下田での展示に向けて


今年の2月に取材させていただいた7家族の構成を大急ぎでやっています。

伊豆下田に暮らす7家族、いろいろな家族が暮らしていました。
それぞれ1時間半ほどお話をお聞きして、カメラで2~300枚撮影させていただきました。
取材でお聞きしたお話とその家族らしい一枚になるように
一枚一枚写真をチェックして、構成作業、進めていきます。


取材を通して下田も歴史が深い土地なんだなぁと痛感。
いろいろなオモイが受け継がれた家族の姿
当日、会場に並べられるように頑張ります。

「ダキシメルオモイ」展 
とき:2024.6/14(金)~16(日)
ところ WITH A TREE
静岡県下田市西本郷2丁目5-30
駐車場 / 隣・下田地方合同庁舎駐車場
WITH A TREE

  


2024年06月01日

お母さんに抱かれた子供たち



亡くなった娘さんと遺された子どもたちを一緒に描いて欲しい。お母さんとの思い出になるようにと昨年依頼をいただいてようやく形にして納品、喜んでいただきました。
娘さんが拾ってきた猫(こちらも亡くなっている)もお母さんと子どもさんたちを繋ぐ役割として一緒に描かせていただきました

亡くなられた娘さんの働いていた場所、旦那さんとの出会いのお店、子どもさんたちの初詣に行った氏神さまの神社、最後に食べたかった食事、亡くなられた病院などを訪ねてこの家族の雰囲気をイメージして、それぞれの写真から1枚の絵に構成して描く、
少し難しかったですがなんとか形にして喜んでいただけてホッとしています。

(ダキシメルオモイ550×620.麻布.油彩)
  


2024年05月31日

79年前のダキシメルオモイ ~三女、カツ子さんからのメッセージ~





『1945年8月、私は3歳5か月。記憶はありません。それだけに嬉しいような恥ずかしいような気持ちです。

父/佐一郎は、馬をとても大切に、そして可愛がっていました。それが馬にも伝わっているのか、父が家に帰ってくるとこの馬は決まって「ヒヒーン」と鳴いていました。私は、幼い頃銃器を手に軍服姿の若い人が写っている写真を見たことがあります。その時、「この人は誰だろう?」と思ったものでした。今、思い返すと父の出征時の記念写真だったのだろうと想像されます。昨年ダキシメルオモイを描いていただくにあたり、兵籍簿を取り寄せて読む機会がありました。中国で戦闘に参加した記録を初めて読みドキドキしました。また終戦記念日に寄せられた戦争にまつわる新聞記事に出会うと、戦争の悲惨さや父の苦労・心の傷などを身近なものとして感じるようになりました。

母/りは、働く姿しか思い出せません。ゆっくりしているところなんか見たこともありません。農家の長男の嫁になり、舅・姑・小姑たちに囲まれて、朝から晩まで仕事をしていました。盆や正月だって実家に帰ることもできず、さらに父は49歳で他界し一人で苦労ばかりの人生。母は何のために生まれてきたのだろう?と思ったことあります。

この父この母に育てられた私と姉たち。どんな思いで私たち姉妹を育てたのだろう?と両親に想い寄せるこの頃です。そして、3歳だった私は今年82歳になりました。この絵は79年前の絵となります。』

昨年、栃木県栃木市でひとり暮らしていた母親(長女)が亡くなったことで実家を片付ける前にダキシメルオモイ展がしたいと、築100年の自宅でダキシメルオモイ展をさせていただいたとき、79年前にこの家に暮らしていた家族の姿を、遺影や生き残っている三女のカツ子さん、父親の兵籍簿などから、家族の姿をイメージして描かせていただきました。今回、カツ子さんからメッセージをいただきましたので紹介させていただきます。
母親に抱きしめられているのが三女のカツ子、次女の肩をうしろから抱きしめているのが昨年亡くなった長女、次女の手には代々この家で受け継がれていた「かき菜」、父親、佐一郎さんと家族同然に大切にしていた馬、昨年から何回か取材に行った際に、依頼者になついていた白猫を描かせていただきました。遺影や半身像などの写真はあるのですが、こうした家族の写真がなくて、イメージをするのが少し難しかったです。

昨年の栃木での展示の際には、家族の表情がうまくまとまらなくて、半年かかってみんなの表情が自然な笑顔にまとまりました。


  


2024年05月18日

能登半島取材の旅4/28~4/30




30日からの能登半島取材旅、
無事全行程終了しました。
ご縁を繋いでいただいたみなさま
ありがとうございます
今回は5家族の取材

◯かほく市高松出身の反戦で反骨の詩人、鶴彰(つるあきら)の私設資料館に携わり平和をともに考える平野喜之さん家族(かほく市)

◯大学時代に出会った奥能登の里山の風景に惚れて東京から移住してボランティア拠点を立ち上げて暮らす山本亮さん家族(輪島市三井町)
◯自分より弱い立場の人を助けて生きろと父から言われて育ち、金沢で消防士を6年、能登町に帰ってきて被災、自らも被災者ながら自宅に送られる支援物資を地域の各避難所、自主避難者宅へ配達してまわる脊戸郁弥さん家族(能登町姫)

◯子どもたちがお世話になっていた保育園の園長先生のふるさと門前町に子どもとともに通って、そこに暮らす人々や自然に強く惹かれて、暮らしていた東京練馬から昨年移住、被災した杉本木工々房をクラウドファンディングで再建を目指して門前町を盛り上げようとしている杉本豊さん家族(輪島市門前町)

◯土とともに丁寧に暮らしを立てて生きてきた祖母の姿から、家と仕事を失い金沢近郊に二次避難された被災者の方達の、食事から前を向いて生きる力を届けたい、と金沢オープンキッチンを立ち上げ活動しているおびかおりさん家族(金沢市)
それぞれの家族の抱えているオモイを訪ねて取材させていただきました

今回は今まで行けなかった輪島市内、珠洲市内へ
足を伸ばしてまわってみました(能登半島の規模が体感出来ました汗)


能登半島地震から4ヶ月経ちましたが、半壊、全壊した家屋はそのまま、
道路も崩れている箇所が目につきました。ボランティアによる瓦礫の撤去もなかなか追いつかない現状、これからも人手が必要だと強く感じました。


山の半分が大きく崖崩れしたところも何回も遭遇、崩れたそのままの家屋もそこかしこに点在していて走りながら驚愕の声が何度も漏れてしまいました。水道は少しずつ復帰してきているみたいですが、復帰しても自宅内の敷地で漏洩したり、水圧が足りなかったり、、

被害が特に酷いと言われる珠洲市の見附島周辺も行きましたが、自然のエネルギーの大きさの前に、無力さを強く感じて、疲弊してきたのですが、日本の里山の原風景と呼ばれる山々や田畑、飛び交う野鳥たちの姿が美しくて、この風景が守れないものかと、考えるようになりました。

今回、奥能登の家族とご縁をいただいて描かせていただくので、輪島市内にある重蔵神社⛩️

能登半島の先端にある須須神社⛩️へ
ご縁を繋いでいただいたお礼、能登半島がより良くなりますよう手を合わせてきました

名古屋のCBCテレビさんから同行取材の申し入れがあって、能登の現状をメディアからも伝えてもらいたいと一緒に回っていただきました。
放送が決まりましたらお知らせします。

二泊三日、
二泊をボランティアの方達が宿泊する施設に泊まらせていただきました


そこに集う全国からのボランティアの方達と夕食をともにしながら語らう時間、

輪島市三井で出会ったスサノオみたいな方☆
本当にいろいろなひとが集まっていて、それぞれのオモイや生き方に触れることが出来たのも貴重な体験でした。。。。。
GWに子どもを連れて一緒にボランティアに来ていたお父さん、かなりよい経験させてるなぁと感じました。

門前町のIBにて、田谷さんと、合流したチーム渥美半島のみちやさん


能登町のまんまる餃子、美味しかった☆

9月のかほく市でのダキシメルオモイ展に向けて形にしたいと思います。




  


Posted by 小林憲明 at 22:24
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2024年03月12日

東日本大震災から13年

3月11日あれから13年
昨年描かせていただいた石巻市の西城家のドキュメンタリー(YouTubeで公開されたダイジェスト版になります)
にてダキシメルオモイを紹介していただきました。

途中で登場する、亡くなった方を成長させて現在の家族と一緒に描く支援活動をされていた森琢磨さん、数年前に病で亡くなって、春音さんの18歳に成長した姿を描いて渡すと言う果たせなかった約束を代わりにさせていただいた感じがしています。モデルさんを成長させて描いたことがなくて、数ヶ月悩みましたが、夢のなかで2回(18歳の春音さんの顔、弟を後ろから抱きしめてそれを家族で囲む姿)が浮かんできて、描き上げることが出来ました。
森さんにも助けてもらえたような、、
何より家族の笑顔が見ることが出来てホッとしています.
観ていただけたら有り難いです。


動画は以下で見れます↓ ↓ ↓

「NNNドキュメント 東日本大震災13年〜生きる支え〜」
  


2024年01月16日

【チーム渥美半島】始動しました。




【チーム渥美半島】始動
能登半島地震を受けて被災した方々への支援をするため、渥美半島の有志の方々と支援チームを立ち上げました。渥美半島で作られた野菜などを能登半島へ届けられたら、能登半島から渥美半島へ
日本海側へ太平洋側から支援をしていきたいと思います。第一便は来週22日に石川県金沢市のメロメロポッチさん、富山県砺波市のボランティアグループ Silbern23 シルバーンさんへ、集められた支援物資をお届けする予定です。

立ち上げに参加したオモイとして
ダキシメルオモイの展示や活動、モデルなどで出会った北陸や石川県の人々から受けたたくさんのご恩を
お返し出来たらと思っています。

【チーム渥美半島】Instagramを開設しました!
活動報告も兼ねてメンバーで投稿して行こうと思います。
以下からInstagramフォローしていただけたら励みになります!よろしくお願いいたします。

https://www.instagram.com/team.atsumihanto...

  


Posted by 小林憲明 at 20:40
Comments(0)日記ふるさと

2024年01月08日

cool Japanで紹介いただきました

今朝cool Japanで紹介いただきました


6歳で亡くなった春音ちゃんの18歳になった姿と家族を繋ぐ絵





スタジオ号泣していました。









奇しくも今日は父親の命日
新年から有り難いです
#coolJapan
#東日本大震災
#家族の絵
#ダキシメルオモイ
  


2024年01月02日

令和6年、能登半島地震、お見舞い申し上げます。


能登半島の地震、北陸で被災された方々、お見舞い申し上げます。
能登半島、志賀町や穴水町、七尾市、羽咋町、石川県、能登島、、、お世話になった方々、モデルさん、広範囲に被害があった様子が伝わってきて胸が痛いです。
能登半島と対局の渥美半島で、普段通りの日常の有難さを感じながら、明るく上を向いていけるように日常を過ごしたいと思います。

元旦の放送予定だったCOOLJAPANは
来週8日(月)午前8時から9時半に変更になりました。
少しだけダキシメルオモイを紹介していただいています。

COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜
外国人の視点で日本文化の魅力を再発見!
放送日時:2024年1月8日(月)8:00~9:30 NHKBS
番組HP:https://www.nhk.jp/.../ts/P2RMMPW5JM/episode/te/WPNY4KMNRN/
※NHKプラスでの配信の予定はありません
写真は2015年に金沢駅にて撮影したもの