2024年10月07日

ミラノに遅れてやってきた作品たち


9月17日からイタリアのミラノで開催されている展覧会
13年前の3,11の東日本大震災、原発事故から、東北に暮らしたり、日本でそれについての表現を続けているアーティストの作品を集めて開催された展覧会に参加させていただいています。

作品は7家族を送ることにしました。
8月最終週に日本から郵便局で送って、9月4日にほイタリアの税関に到着、通関作業中と追跡ナビで確認していました。
作品とスタンドの二個口で送って、スタンドは到着したのですが、作品の方がいっこうに着かない(-_-;)

問い合わせてもらうと追加で書類を書かないとダメみたいで、現地のスタッフの方達で対応していただきました。
9月17日には間に合わないで、二週目にようやく会場に到着いたしました。
一安心。。。




心配していた作品のしわはついていなくて、こちらも一安心。
一カ月近く、どこかに置かれていたので片側によれていないか心配でした。
丸めて送らなくてよかった。



会場に並べられた風景

イタリアの学生たちに観てもらえました。

イタリアの人たちにどのように写ったのでしょうか
スタッフの皆様、ありがとうございました。

10月12日までイタリア ミラノで開催中

クラウドファンディングは継続中
””” 東日本大震災の記憶と生きる力をミラノから世界に発信するアート展開催を助けて! ””” ↓ ↓ ↓
https://camp-fire.jp/projects/780936/view?fbclid=IwY2xjawFw1MNleHRuA2FlbQIxMAABHcHyzZVDJCnzccwFSMhyF76v0RTRmmIw4nia1UdjMrkbqoVo9jCZ0qBdAg_aem_m0Q5REIoNJ07Wkzyg05Nxw

#legacy311

  


2024年10月07日

「能登半島地震とダキシメルオモイ展」無事終わりました。


こちらも事後報告になりますが(;^_^A
石川県かほく市で開催された「能登半島地震とダキシメルオモイ」展、無事完了しました。

石川県高松町に生まれた歌人、鶴彰(つるあきら)
能登半島の根本に位置する高松町(合併して、かほく市)に生まれて反戦や虐げられた市民の歌を多く残しました。

鶴彰(つるあきら)、彼の命日9月14日に合わせて毎年、高松歴史フェスティバルが開催されます。
写真は鶴彰の墓石前での法要(石川県かほく市、淨専寺境内にて)


反戦を歌った鶴彰の川柳から、子どもから大人の川柳の発表会があります。

今年の入選作品

法要のあと、鶴彰の川柳の石碑前に移動して入選作の発表


翌日、15日16日の2日間、かほく市産業文化センターにて作品を飾らせていただきました。

能登半島地震を受けて、鶴彰が生きていたら、能登半島をどんなふうに感じただろうか、、
という問いを受けて「能登半島地震とダキシメルオモイ」という企画を立てていただきました。
4月に能登半島で被災された3家族のもとへ取材に伺って、
今回、それぞれのダキシメルオモイを制作して会場に並べさせていただきました。

能登町に暮らす脊戸さんご家族、

能登島に暮らす森さんご家族(震災前に取材させていただきました)
会場に来てくださりました。ありがとうございます。

北陸中日新聞にも掲載いただきました。

会場でお話も少し、、、
今回、能登半島地震を受けて、あまりにボランティア頼みの運営、国が大きく手を出さないところが
鶴彰の時代となんらかわっていないのではないのか?
と思いました。

展覧会が終わった翌日の17日、能登半島で描かせていただいた家族へ作品をお届けにまわりました。


震災から毎月通っている、輪島市門前町にあるボランティアの活動拠点、SunRizeへ

自宅避難者とボランティアへのお弁当を150個作るというので一緒に参加してきました。
10時から炊き出しするよと宣伝したら、わらわらと地元の人たちが集まってきました。
自宅避難者の7割が高齢者、お昼の炊き出し支援も喜んでもらえました。

輪島市三井に暮らす山本さんご家族へ作品のお届け
避難所生活なので、作品を持っていっていろいろな場所で展示して欲しいと
預かりました。

山本さんなどが運営しているボランティア活動拠点となっている「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井」

山本さんが守りたかった三井の自然

そこから車で30分走って、門前町に暮らす杉本さん家族のもとへ

稲の収穫してハサ木へ掛け作業をしている最中とのこと
今日中に終わる量じゃなかったので
コメリホームセンターで長靴と軍手を買ってお手伝いすることに

はじめての稲刈り、なかなか難しかったけれど楽しかった。。。


杉本さんは一年前に東京からの移住者

クラウドファンディングして復活した木工工房

この滞在から一週間後、ようやく見えてきた復興のさなか
能登を集中豪雨が襲います。

引き続き能登半島に通いたいと思います。

蘇れ能登



  


2024年10月07日

富山市トリエンナーレ出品しました。




富山市トリエンナーレ
無事搬出作業終了しました。。。
事後報告ですみません(;^_^A

展示風景はこんな感じ、、、
本当は体育館を全部使って100家族を並べてみたかったですが、体育館は管理が違うとのことで
ステージでの展示になりました。

23日(月祝)に日帰りで搬出に行きました。
現状復帰。

廃校になった旧小羽小学校

今回も会場近くの八幡神社、氏神さまへ無事展示が終わったお礼参り

昨年、小羽小学校との出会いを作ってくれた
富山に暮らす中川さんとユース丸でお会いして近況報告。

こんにゃくラーメン

唐揚げ美味しかったのでお土産に
ご馳走様でした

これにて富山県、石川県での長かった
展覧会月間を無事終了いたしました。
たくさんの方達に観ていただき、
ありがとうございました
また制作の日々に帰ります。
ミラノでの展示は10月12日まで。。。
  


2024年08月02日

田原市で黒田レオンさんのお話会

黒田レオンさんお話会

6歳で広島にて被爆
子どもたちやいろいろな人たちに
被爆体験を伝える活動をされています。
この機会に黒田さんのお話をぜひ




【お知らせ】
8/3(土) 16:00〜 
戦争を語り継ぐ - ヒロシマ被爆体験のお話し会 -

今年で8/6に広島、8/9に長崎に原爆が落とされてから79年が経ちます。
こどものがっこうによく来てくれるRちゃんのお母さんのご紹介で、現在、新城市作手村に在住の黒田レオンさんにお越しいただき、戦争と被爆体験の話をお聞きする会を開催することになりました。

黒田レオンさんは、6歳の時に広島におり、原爆投下の直後から3日間、兄と慕う身内を探して爆心地を歩き回ったそうです。爆心地から近いところにあった家は幸い破壊を免れ、家が救護所になったために、傷ついた多くの人がやって来る様子を子どもの視点で見届けていたそうです。

皆様お誘い合わせの上、当時のお話を聞きに来ていただければ幸いです。

日時:8/3(土) 16:00~17:30頃
会費:無料
場所:豆若戸市民館
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プロフィール(引用みかわこまちより)
 昭和14年、神奈川県生まれ。20代の後半から、アメリカのシンクタンクに在職、20世紀が抱える世界的な共通課題である持続可能なエネルギーの需給の問題、環境汚染や貧困と不平等の拡大の問題、食糧需給の不均等な格差の問題、などを総括担当する副社長として、約20年在任。日本に帰国後、株式会社エコ・ワールドを鎌倉で設立、スローでナチュラルな暮らしを提案。自分自身と家族の暮らしを実験的に試みようと、1997年4月、家族とともに住み慣れた鎌倉を離れ、知人も友人もいない愛知県の高原の村作手に移住した。自立、自律、自給の暮らしをする「百姓」になろうと。それが、21世紀の日本人の暮らしを展望する社会モデルになりうると考えたからであった。
https://mikawa-komachi.jp/people/kurodatakenori.html
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今回、この会を開催することを快諾していただいたものの、聴者が集まるかどうかを気にしている私たちに対し、

「人数の多い少ないに関係なく、ひとりでも多くの方に、【戦争が、どんなものか?何が起きるか?】を知っていただきたいと思います。人数の多い少ないに関係なく、私たちは、皆さんのご都合に合わせます」

そうおっしゃった黒田さん。戦争と被爆体験の話を聞くだけでなく、その人となりに触れることができる貴重な機会だと思います。

参加人数把握のため、DM、電話かショートメール09015330413、LINEなどでお申し込みをいただけると助かります。
キャンセル、飛び入り参加も大丈夫です。

小さなお子様も遠慮なくどうぞ。こどものがっこうの後、そのまま参加していただいても結構です。遅刻しても大丈夫です。
色んな世代の方に話を聞いてもらい、進んではならない未来について考えてもらえたら嬉しいです。

#被爆体験
#原子爆弾
#講演会
#戦争を語り継ぐ
#たはら暮らし
#田原
#豊橋
#新城
#浜松
#蒲郡
  


Posted by 小林憲明 at 16:05
Comments(0)日記ふるさと歴史原発

2024年06月26日

愛車、レッカーされました。



日曜日、愛車のカングーがエンジン不調でレッカーされました。
場所は近所だったので助かりました。出先でなくて本当に良かった。
親孝行の車だなと思います。。。
近所だったのでレッカーで豊川のルノーへ(車で1時間!)
こんな時の為に、代車のレンタカー特約をつけた保険に加入していましたので、豊橋のレンタカー屋さんから代車を運んでいただきました。
カングーの不具合は1気筒がいっちゃたかなぁという感じ。。。
対応の早さに感謝です。
この光景、いつもドナドナを思い出す、、、

代車で渥美半島にやって来たのは、豊田ナンバーのトヨタのヤリス!
前から気になっていた車ですので、乗るのが楽しみ。
アトリエの草取りの日笠に菅笠(すげがさ)をヤリス君と一緒に探しながらドライブ、
渥美半島は東西に長いよー(東西に45キロ)

よくニュースで放送される伊良湖岬の映像の場所やで(ビューホテル駐車場から)

ここが伊良湖岬の先端、恋路ガ浜、


ヤリスよ、あれが伊良湖の神島だ!波だ!

砂浜で戯れる子どもたちだ!

道の駅で、菅笠が売っていたという情報から、赤羽根ロコステーションへ
不発、見つからず、、、

ネットで調べたら、ワークマンという文字が、、、
田原のワークマンへ走ります。約30分

朝7時からやっています。

一個だけ売っていました!
1900円也!(安い)
家人たちにはお坊さんに近づくねと言われたり、、、

帰りのコンビニで、ヤリスGRに遭遇。
乗ると気になる法則かな。

蛇行運転補助システム、人生に蛇行しまくっている僕にはなりっぱなしやな

ヤリス、非の打ちどころがない車でした。
走ることに特化した車、
運転空間が狭い、座高?が低くて長距離運転が疲れそうかなと思いました。
でも、アクセルを踏めば答えてくれる、キビキビしたいい車でした。


2日間で整備完了の連絡。
豊川までドライブしながら受け取りに
おかえりカングー
フランスの郵便配達の車、
たくさんのオモイを運ぶ車に最適と乗りました。
これからもよろしく!



  


Posted by 小林憲明 at 22:02
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2024年06月25日

鳥山明先生 追悼画チャレンジ



鳥山明先生が亡くなって
信じられないような、ぽっかりと穴が開いてしまいました。
幼稚園のときに読んでいたドクタースランプアラレちゃん
アニメでもお世話になりました。
鳥山明といえば、何と言っても扉絵!
車好きが絵から伝わってくるあのワクワク感。。。
これは追悼の絵を描かなければ!
気がすまなくなって追悼画を描くことにしました。



チーム渥美半島の積み込みでお手伝いに来てくれた若村さんの愛車のミニクーパを描かせてもらうことに。
死ぬまで乗り続けると言ってました。クーパー愛が凄い☆

鳥山明先生ならこんなアプローチではと、、、
探りながら

ベタ塗りのところもあるよなと、、、

オーナーの顔も描いて、こんな感じかな?

アラレちゃん、がっちゃん、ぶたさんを乗せて完成。
車のライトを大きく、室内空間を縦長に広く取って、搭乗するキャラクターを大きく描く
各パースごとの構造線で形を組みなおして描いている、バックミラーやサイドミラーは描かない場合もある。
そんなことを感じました。


ロードスターを30年乗っているカメラマンの桜井登也さんの扉絵風も描かせていただきました。

描いてみました。
ロードスター、鳥山明風にデフォルメするとおかしくなるので、
うまく描けなくて、、、ロードスターのフォルムをデザインした人の記事までさかのぼって
日本女性の美しさや能面などからデザインしたという記事にたどり着いて、
なんとかそのイメージを保ちつつ形にしました。


となりに座る彼女さんは横笛奏者、獅子舞演者の八幡愛唯美さん、
東日本大震災では宮城県や東北各地へ行ってボランティア活動を精力的にされている方です。

おふたりの暖かい感じを大切に
ロードスターは二人乗りなのですが
後部スペースに八幡さんの大切にしている獅子を三体乗せて描きました。
一緒に旅をしているイメージ。



今回はXPーPENというペンタブレットをネットで5000円で購入(安い!)
購入者特典でお絵かきソフトもついていたので買ってみました。

※鳥山明先生風の扉絵チャレンジ
やってみて、先生の生きた線描の力強さを感じることができました。
ドラゴンボール描く前あたりが一番、線がノッていたのかもしれません。

鳥山明先生、安らかにお眠りください。
ありがとうございました!



  


Posted by 小林憲明 at 12:22
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2024年06月24日

小林先生と小林少年のせめぎ合い



小林先生と小林少年のせめぎ合い
インタビューなんかで偉そうに語ってる小林先生と絵を描く小林少年
今回、伊豆半島での絵画展、小林少年がとても頑張ってくれたので、小林少年の好きなガンプラを買って作りました✨金が産出した伊豆半島にちなんで金色の百式を選定。。。かっちょええ。
7年前に帯状疱疹で倒れてから定期的に自分の中のインナーチャイルド、5歳ぐらいの小林少年の機嫌をとるようにしています。

この七年間、少しずつ作ってきたガンプラ。
歴史を感じます。。。

ストイックな小林先生に首根っこ掴まれて引きづり回され疲弊していた小林少年、、
これで少し癒されました。。。
また明日から歩けそうです^ ^

  


Posted by 小林憲明 at 21:41
Comments(0)日記

2024年06月23日

4泊5日伊豆半島の旅



4泊5日、伊豆半島の旅

6月13日(木)
スタートはアトリエから、搬入日の出発直前まで徹夜で仕上げて車に乗せこんで
朝6時出発!



約5時間かけて伊豆半島下田のWith A Treeに到着
実行委員のスタッフと一緒に作品設営。
天井が非常に高いので一日、設営に時間をとりました。
みなさんの協力があって、3時間ほどで41家族のダキシメルオモイの設営が完了しました。

5日間お世話になるGest House KodoKodo
荷物を降ろして、


KodoKodo近くの
Cafe N Bar Rummyへ徒歩で移動
実行委員のスタッフの方達と展覧会前の会食
駆けつけ生ビール
美味しかったですが
寝ていなかったので数杯飲んで撃沈、、、
6月14日(金)


朝食前に南伊豆の弓ヶ浜にて写真撮影

初日のスタートが夕方17時からなので

伊豆半島最古の神社、
白濱神社へ参拝
展覧会で下田の場所をお借りすること
下田のモデルさんとご縁をいただいたこと
展覧会の無事をお祈りしました。

おみくじは大吉⭐︎

陸前高田の家族の絵も一緒に



今回チラシをデザインしてくださった川津神社の川津かおりさん、ぎゅっとフェスでタロット占いもしてくださいました。
河津町にある川津神社へお礼参りしてきました。
本殿後ろにあった巨木が素敵でした☆


そこからさらに足を伸ばして、河津町にある蛙(かわず)の博物館
KAWAZOO(かわずー)へ
かえるマニアの聖地☆
前から気になっていたのでようやく行けた感じ

カエルの交尾


なかなかカエルが見つけられなかった、、、
お土産のラインナップが充実していました☆

子どもらのお土産にかえるの晴雨予報グラス



5年前の南伊豆町でのダキシメルオモイから実行委員で力添えくださっています⭐︎
「しいの木やま」さんのパスタランチへ
ようやくお店に来れました。

サクラエビのペペロンチーノ☆☆☆

店内にダキシメルオモイの冊子と募金箱を置いて応援くださいました涙


食後に下田市内のシンジ理容室へ
展覧会直前の恒例の散髪
2月の取材のときに来店以来2回目
覚えていてもらいました嬉
下田市に多い苗字、進士(しんじ)さん
元武士の家系だそうです。



初日は17時から20時まで
ライトアップが綺麗に見えました☆
いただいた月下美人が美しかった。。。

6月15日(土)


2日目のお昼は会場の近くの「志のぎ食堂」の
肉野菜炒め定食☆
安定の美味しさ。。。数10年、地元の人たちに愛されるお店
近所に欲しい一軒☆


2日目は10時~夕方16時まで


ちょっと疲れてきたので
コドコドに帰る前、スーパー青木に寄って食材を買って
コバヤシスペシャルを作って、実行委員のみなさんに振舞いました。
自分が一番食べたかったのかも笑
美味しくいただきました。明日の最終日も頑張れます☆

デザートも美味しかった☆

6月16日(日)

伊豆新聞の一面に載せていただきました☆
紹介文もいい感じです。

この朝食が1日の活力をいただけます☆



手作りの駐車場案内のマーク


30分ほどで搬出完了!片付けはスタッフもいるので早い!
有難いです。。。




帰りにスーパー青木で買い出しして
コドコドにて打ち上げ☆
滞りなく無事終わって良かった☆
おかげさまです。。。
お疲れさまでした。

6月17日㈪
名残惜しいですが渥美半島へ帰る日
帰りは駿河湾フェリーに乗ってかえることにしました。
出発は14時50分、どこまでも予定を入れ込む癖があるので
お尻が決まっているのは、いいことかもしれません。

展覧会に来てくださったShimoda One Cafeさんへ
かみさんのお土産のコーヒー豆を買いに寄りました

お客さんの源二さんと意気投合

白濱でサーファーをはじめた地元のはしりの人だそう
サーフィンしながら、白浜でペンションとサーフィンショップをされていたそうです。
白濱神社の敷地内にある干物屋さんを紹介していただいて買いに行きました。

白濱神社に無事に展覧会が終わったことのお礼参り

泉魚店にて干物購入☆


下田市の白浜から南伊豆へ駆け足で移動
ずっと気になっていた「ラーメン栄吉丸」へ
亡くなった義理の弟さんの使っていた事務所をそのまま使って
ラーメン店を2015年にはじめたお店。

弟さんの名前の一字を使ったラーメン
矢沢永吉の曲が流れる店内で優しい味のラーメンをいただきました。
弟さんの写真も飾ってあって、亡くなった弟さんへのオモイに溢れていて
お腹と心が一杯になりました。
生きる活力ももらえたような。ご馳走様でした☆
また来たいお店☆☆☆


フェリー乗り場までの途中にある
あいあう岬
展望台のお店は、定休日でした。


 


北条氏が統治していたあたりから伊豆半島の金脈は掘られていて
フェリー乗り場のある土肥(とい)には土肥金山があるというので
フェリー出発まで一時間あったので見学してきました。
土肥港は伊豆半島から採掘される金の搬出港としても栄えてきた歴史を感じました。
ガイドさんのお話が良かった。


ギリギリで出航に間に合って乗船
土肥港から清水港まで乗用車とドライバーで片道4000円

富士山が見えるかなと思っていましたが
浮世絵みたいな富士山が見えました☆
ご褒美☆


清水港から渥美半島まで今少しあります
船内で少し休めたかな?


三方ヶ原PAで肉野菜炒め定食☆
いままで移動中は眠たくなるのでがっつり食べなかったのですが
しっかり食べることに
食べると移動も心なしかしっかり走れることに気づきました(いまさら)
その日のうちに、無事渥美半島に到着しました。

4泊5日
伊豆半島の旅、お付き合いいただきありがとうございます!
楽しかった☆


  


2024年06月22日

テレビ静岡のダキシメルオモイ特集文字起こし(6/20放送)


ダキシメルオモイ展in下田
テレビ静岡さん「ただいまテレビ」18時~にて特集していただきました( 9分 )文字起こし。

○アナウンサー(以下 アナ)
続いては特集です。震災の被災者や子どもを失った親など、辛い記憶を持つ親たちを描き続ける画家がいます。作品は家族が笑顔で抱きしめ合っている様子が描かれています。その作品に込められたオモイとは?

--- 音楽 ♪ ---
○ナレーション(以下ナレ)
先週下田市である絵画展が開かれました。




描かれているのは笑顔で抱きしめ合う家族



実はほとんどが震災で被害を受けたり、子どもを突然失ったりした
辛い過去を抱えている家族です。

長年にわたり、こうした家族を描いているのは

愛知県に住む画家、小林憲明さんです。
2011年、妻がわが子を抱きしめている絵
「ダキシメルオモイ」を描き上げた直後に
東日本大震災が起きました。
被災者のために何か出来ないか
2012年、被災者の家族を描くこのプロジェクトをスタートさせました。

○小林憲明(以下 小林)
「本来亡くなられた方が、家族と一緒にいる姿はもうあり得ないことなので、それが形になるというのが亡くなられた人には無念だけれど、それが形になるというのは、すごいうれしい事なのかなと、そこに行けたんですよね、そしたら少し楽になって」

○ナレ
小林さんが伊豆でこの絵画展を開催するのは今年で2回目です。


小林さんは自身の活動に共感してくれた有志の協力で2019年に南伊豆町ではじめて開催し、反響を呼びました。



○小林
「被災地の人間でも忘れてしまっている、あの時津波が来たときとか、あの時抱きしめたかった人がいたはずなのに、
その思いというのは忘れてしまっていると言われて(7回忌法要にダキシメルオモイを展示したいと被災したお寺の人たちに言われた)



ーー音楽 ♪ ーー
○ナレ
あれから5年、、、



今年2月、小林さんの姿はふたたび伊豆にありました。
この日小林さんは東日本大震災の原発事故で福島県南相馬市から妻の実家がある下田市に移住した大内勇希さん家族の元を訪れました。


小林さんと大内さん家族の出会いは5年前の絵画展でした。
震災後、大内さんの夫は家族と離れ、南相馬市の実家で家業を継いでいます。

家族がともに過ごせるのは週末だけ、その後あらたな家族が加わりました(震災時おなかにいた長男)
こうした背景を知った小林さんは、大内さんから話を聞いて家族の絵を描きました。

ー大内さん家族の前で完成した作品を広げるー
ーー家族の歓声ーー

○ナレ
そこには大内さん家族のダキシメルオモイが描かれていました。
○長男
「ママ似てる」
○奥さま
「感動ですね」
描かれた子どもたちは5年がたって大きく成長していました。

○奥さま
「南伊豆の時に真ん中に亡くなられた方の絵が飾ってあったんですけど、もうそれを見たら泣いちゃって、


こうやって同じポーズで家族そろってこの絵の隣で写真が撮れたことは、本当に幸せなことなんだなって感じました」

○旦那さま
「いいですね、残してもらえると助かりますね」


○小林
「ホッとしましたね、違うっていう場合もあるので笑、大内家を1枚で描かせてもらえたので、それが良かったかなと思います」


ーー音楽 ♪ ーー

○ナレ
下田市で開かれた絵画展

会場には42枚の作品が展示されました。


ダキシメルオモイをテーマに描かれた家族には
笑顔が溢れていますが
震災で被害があったり、







突然子どもを失った親など、

さまざまなつらい記憶を抱えています



○来場者A
「すごく温かい絵だなと思います。今はないかもしれないけど、そういう幸せなひと時そういうものが必ずあったって、その思いをずっと抱き続けられる、この絵によってなおそういう風な思いが続く」


○来場者B
「優しい感じがしてなんか良いですよね、でも被災された方はこの絵を見て、またこう、、、何て言うのか、、、(当時を)思い出して、やっぱりこの温かい感じを受け取るのは、ずっと後なのかなって、そういう感じがします」

○ナレ
今回、絵画展のスタッフとして埼玉県から参加している大貫政江さん
実は大貫さんも小林さんに絵を描いてもらったひとりです。


大貫さんのとなりに描かれているのは、今は亡き息子さんの姿でした。


○大貫政江さん(以下 大貫さん)
「あの晩息子が自分で身を投げてしまった時に、なぜ私は抱きしめていなかったのかという事を、思い出すんですよね、
この絵が完成してもう5年経つんですけれど、今はなんだか、、、もういいよって





もう大丈夫だからって、、、
教えてもらってる この絵から」








○ナレ
会場には大内さん家族の姿もありました




妻の仁美さんは震災からの13年を振り返りました。

○大内仁美さん
「地震、津波の混乱の中始まった見えない敵との闘い 住む場所 仕事を失い 9人で住んでいた家族はそれぞれ別々に生活することになりました」

○仁美さん
「私たち家族は普通の家族の形とは違うかもしれませんが」



○仁美さん
「この完成した絵を見た時に 目に見えない家族の絆がはっきりと見えました」












○大内仁美さん
「今はこの笑顔がずっと続くことを願っています」







○ナレ
家族の絆、大切さを感じさせてくれる絵


生きているからこそ 

思いを伝えられることを大切にして欲しい

そう願いながら 小林さんは家族の絵を描き続けます。



取材 下田通信部 佐藤紳雄




○小林
「実際に抱きしめてもらえるのはもちろんなんですけど」



○小林
「心を寄せてもらうというのは可能なので
離れていてもそういう気持ちがちょっとでも湧いてくれるといいなって思います」



スタジオ



○アナウンサー
「小林さんはですね、この家族の絵を描く時にはですね 必ず事前にその家族のお話をですね 時間をかけてしっかりと聞くということなんですね 能登半島地震を受けて今年4月には 被災した家族の絵を描くために被災地を訪れ、被災した人たちにじっくりと話しを聞いていました。
いけやさん、目に見えない思いを形にするこういう取り組み素敵ですよね」



○いけや賢二さん
「こういうことをしたら いろんな方の気が楽になるとか 風化させないとか いろんなことを思うと思うですけど、実際行動にするまですげー難しんですよね、こういうのってね、こうゆうふうに形にして行動されてるって本当に尊敬しますね。」

○アナウンサー
「またね、どれだけポジティブなエネルギーを受けているのかそれを見たご家族の表情からも伝わってきますよね」


○鎌田靖
「いまおっしゃっていたけど、実際に被写体になる方のところには行って話を聞くということを言われましたけど、だからこそこういう絵に蘇ってくるんだろうなって気はしましたね、それは被災した人たちがこの絵を見て、もちろん悲しんだけれど、あの家族との安らぎを思い出すこともあるでしょうし、一方でこの絵を見たそうじゃない、一般の人たちが、ああこういう辛い思いをした人たちがいるんだなという風に強い共感、思いを抱くことが出来ることですよね、わたくしは記者を長くやっていたので、こういう災害での現場での写真という形が私にとっては一般的なんですよ、でも会場に訪れた方がおっしゃってたんですけれど、絵の強さって、温かみってゆうか手触り感、それがやっぱり通常の写真なり画像とは全然違うなぁという感じはすごい強く感じましたね、絵だからこそ伝わるんだろうなと、思いますね。」


○アナウンサー
「絵だからこそ伝わってくるその思いであったり温かみが本当にあったと思います
小林さんは、絵に描かれた子どもたちが大人になったとき、親に抱きしめられたときの思いを次の世代に伝えて欲しいと話していました。」


  


2024年06月21日

ダキシメルオモイ展in下田 無事終わりました。

6月14日(金)~16日(日) 3日間で来場者244人
とても優しい素敵な空間になりました。

ダキシメルオモイ、下田に暮らす8家族、南伊豆に暮らす3家族を含む42家族が下田のWith A Treeに集いました。


搬入当日の朝6時まで徹夜して描いていた下田7家族も何とか持ってこれました(;^_^A


・ 6月14日(金) 3日間の初日金曜日のオープニング 17時~20時

5年前に南伊豆で展示したときにfacebookで繋がらせていただいたウクレレ奏者の近藤エリさんとのコラボが叶いました。
アジサイの花飾りが歌姫に引き立てます。
会場のライティングが綺麗に見えるのは夜、昼間の明かりが消えて会場内が現像的に輝く瞬間。
金曜の夜が一番見頃だったかも、、、

5年前、南伊豆で会場を貸していただいた熱帯植物園の安藤さんが今夜咲くという月下美人を差し入れに持ってきてくれました☆
もうひとつの会場だった金剛院さまからは甘茶の差し入れ、有難いです。。。
月下美人は帰ってから咲きました。

・ 6月15日(土) 2日目 10時~16時

一枚だけアトリエに忘れてきた作品、急遽かみさんに頼んで宅急便で送ってもらいました。早朝会場にて受け取り。
最悪、渥美半島のアトリエまで取りに行こうかと思っていたので助かりました。

静岡テレビの佐藤さんが朝から会場で追跡取材していただいています。
5年前の南伊豆のときから取材していただいていて、今回は土曜日に宣伝で一回、展覧会終わってから特集で7分放送していただけることになりました。4月に能登半島の被災地へ取材に行った時も、同列局で金沢テレビさんにお願いして取材に同行していただきました。
丁寧な取材をしてくださいましたので、今から特集が楽しみです。

5年前、南伊豆での展示会場で、福島県南相馬市から下田へ避難、移住された大内さん家族も観にきてくださいました。

15時からの朗読会、下田に暮らす家族、南伊豆に暮らす家族から寄せていただいた10家族ぶんのメッセージを実行委員の東さんと萩原さんで朗読してくださいました。大内さんだけはご本人に朗読されました。

大内仁美さまのオモイ
2011年3月11日、あの日も私達家族は別々に過ごしていました。伊豆下田にある実家に2人の娘を連れて帰省中、主人は南相馬市で仕事中でした。まさかそのまま13年間ここで暮らすことになるとは思いもしません。
地震、津波の混乱の中始まった見えない敵との戦い、住む場所、仕事を失い、9人で住んでいた家族はそれぞれ別々に生活をすることになりました。
この13年間本当にあっという間でしたが、色々な葛藤がある中で必死に駆け抜けてこられたのは子ども達がいてくれたおかげです。この笑顔を守ろうと必死になれたのだと感じています。私達家族は普通の家族の形とは違うかもしれませんが、この完成した絵を見た時に目に見えない家族の絆がはっきりと見えました。今はこの笑顔がずっと続く事を願っています。

いろいろな
朗読会で読ませていただいたメッセージ
大切なことが散りばめられていました。

モデルさん家族にも来場いただきました。










翌朝の伊豆新聞にも掲載いただきました。
紹介文章が秀逸でした。

・6月16日㈰ 10時~16時






14時から会場内でお話会

15時からフラダンスも




最終日はモデルさんのオモイの朗読も加速



駐車場係をかって出てくださった実行委員のお二人☆
暑い中、お疲れさまでした。。。


With A Tree の外観

搬出終わって、もとのスペースに戻った会場


5年前に描かせていただいた南風公房のけいさんとりんちゃん(実行委員)

まさえさん(実行委員)との出会いは、5年前の南伊豆展の搬入日、そのとき息子さんのお話をしていただきました。
それから昨年、まさえさんのご実家、栃木での展示に繋がって

79年前のダキシメルオモイを描かせていただけることに
唯一生きている三女のカツ子さんも栃木から下田の会場に来ていただきました。

6年まえに埼玉県の和光でのダキシメルオモイ展の会場ではじめて出逢ったよしえさん(実行委員)とその家族
和光の会場で娘さんとお孫さんの取材をさせていただきました。
そのご縁が南伊豆から下田まで繋がっていたとは、、、


娘さんの不登校から、そうした子どもたちの居場所づくりがしたいと、埼玉から
自然の多い南伊豆にGest House KodoKodoをオープン

今回も大変お世話になりました。
朝食、美味しかった☆


来場いただいたみなさま、ありがとうございました!
気にかけていただけたみなさま、開催までの”ぎゅっとふぇす”で協力いただいたみなさま、
ダキシメルオモイ展in下田実行委員ともども感謝いたします。

伊豆半島最高☆