2015年03月09日
『震災から4年たって』 ~その2~
あなたの笑顔がこの先も守られますように。
明日もあなたをこの腕に抱きしめられますように。
どうか、どうか健康でありますように。
あれから4年が経つ。
原発から離れているから大丈夫。避難勧告が出てないから大丈夫。
大震災、津波、原発事故による強制避難と自分たちよりも他にもっともっと大変な人達がいる。
住む家もある、住宅ローンの支払いも残ってる、避難や保養に行ける金銭的な余裕は全くない。
何よりも福島が大好き。ここ福島で生きてゆくと思っていました。
でも原発事故の真相が日々明らかになっていく中、子育てへの不安もどんどん大きくなって、
子どもを守りたい!守りたいけれど一体どうすればいいのだろうと、途方に暮れ泣いた日もありました。
そんな折、住宅の借り上げや避難者の受け入れ先、そして支援してくださる方々の存在を知り救われました。
避難先を決め、数年しか住んでいない家を残し、大好きな福島を後にしました。
今年もきっと福島の桜はきれいに咲くのだろうな~。
自宅の庭の花々はどうしたろう。お友達はどうしているのだろう。両親は今日も元気だろうか・・・。
ふるさとに思いを寄せては 恋しくて切なくって、そして悔しくなります。
4年も経つのにまだまだ、ぎこちない生活を送っている感じがするのは「避難者」という言葉のせいもあります。
でも避難者だからこそ訴えられることもある。伝えられることもある。
その他にも「避難者」という言葉を外そうにも外せない現実もあり複雑です。
「やっぱり お家がよかったな」と子ども達もいう。
安心して暮らせた我が家。そこには今にはない幸せがありました。
避難していろいろな苦労もあり、後悔したりもするけれど・・・、
前だけ向いて行こう。
足りない物、失った物を数えない。
増えたものだけを数えよう。
新しい出会いがたくさんあって。
人の温かさにたくさん触れて。
人と人との繋がりに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
沢山の方々に支えていただいて今があります。
あとはどうか 子どもの未来がもっと安全であることを願うばかりです。
(福島県郡山市 ⇒ 新潟県 三児の母親)

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明日もあなたをこの腕に抱きしめられますように。
どうか、どうか健康でありますように。
あれから4年が経つ。
原発から離れているから大丈夫。避難勧告が出てないから大丈夫。
大震災、津波、原発事故による強制避難と自分たちよりも他にもっともっと大変な人達がいる。
住む家もある、住宅ローンの支払いも残ってる、避難や保養に行ける金銭的な余裕は全くない。
何よりも福島が大好き。ここ福島で生きてゆくと思っていました。
でも原発事故の真相が日々明らかになっていく中、子育てへの不安もどんどん大きくなって、
子どもを守りたい!守りたいけれど一体どうすればいいのだろうと、途方に暮れ泣いた日もありました。
そんな折、住宅の借り上げや避難者の受け入れ先、そして支援してくださる方々の存在を知り救われました。
避難先を決め、数年しか住んでいない家を残し、大好きな福島を後にしました。
今年もきっと福島の桜はきれいに咲くのだろうな~。
自宅の庭の花々はどうしたろう。お友達はどうしているのだろう。両親は今日も元気だろうか・・・。
ふるさとに思いを寄せては 恋しくて切なくって、そして悔しくなります。
4年も経つのにまだまだ、ぎこちない生活を送っている感じがするのは「避難者」という言葉のせいもあります。
でも避難者だからこそ訴えられることもある。伝えられることもある。
その他にも「避難者」という言葉を外そうにも外せない現実もあり複雑です。
「やっぱり お家がよかったな」と子ども達もいう。
安心して暮らせた我が家。そこには今にはない幸せがありました。
避難していろいろな苦労もあり、後悔したりもするけれど・・・、
前だけ向いて行こう。
足りない物、失った物を数えない。
増えたものだけを数えよう。
新しい出会いがたくさんあって。
人の温かさにたくさん触れて。
人と人との繋がりに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
沢山の方々に支えていただいて今があります。
あとはどうか 子どもの未来がもっと安全であることを願うばかりです。
(福島県郡山市 ⇒ 新潟県 三児の母親)

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2015年01月29日
京都 東本願寺で展示させていただきます

ダキシメルオモイ
京都 東本願寺にて展示させていただきます
〇前半(2/4~3/11)
福島県に暮らす親子を中心とした展示
〇後半(3/11~3/25)
それぞれの場所から自主避難された親子を中心とした展示
◎3月11日(水)には広い場所をお借りて
この2年間で取材して描き上げた
現在の日本に暮らす親子、約50枚のダキシメルオモイを
一堂に展示致します。
お時間ありましたら宜しくお願いします。
日時 : 2月4日~3月25日まで
場所 : 東本願寺 視聴覚ホール内
参拝接待所ギャラリー
時間 : 午前9時~午後4時
お問い合わせ先
本廟部 参拝接待所
〒600-8505 京都市下京区烏丸通七条上る常葉町754
TEL075-371-9210 FAX075-371-9204
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2014年07月29日
福島の母のオモイ 9
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母のオモイを紹介させていただきます

福島で生まれ
福島で育つこの子の未来が
不安で仕方ないときもありますが
親子で寄り添って
支え合いながら
今の福島を生きています。
子どもに背負わせた大きな荷物をいつか
軽くしてあげたいと思います。
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モデルをしていただいた福島の母のオモイを紹介させていただきます
福島で生まれ
福島で育つこの子の未来が
不安で仕方ないときもありますが
親子で寄り添って
支え合いながら
今の福島を生きています。
子どもに背負わせた大きな荷物をいつか
軽くしてあげたいと思います。
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2014年07月29日
福島の母のオモイ 8
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母のオモイを紹介させていただきます。

健康で素直に育って欲しい。
ただ今の福島の現状は厳しく
毎日放射能と戦っているので
将来が不安で仕方ない。
1日もはやく震災前の生活に戻れるよう
母として出来ることはしたいと思います。
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モデルをしていただいた福島の母のオモイを紹介させていただきます。
健康で素直に育って欲しい。
ただ今の福島の現状は厳しく
毎日放射能と戦っているので
将来が不安で仕方ない。
1日もはやく震災前の生活に戻れるよう
母として出来ることはしたいと思います。
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2014年07月28日
福島の母のオモイ 7
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます

あの原発事故から三年が経ちました。事故直後は状況が掴めず何もかも必死でした。しかし一年程すぎた頃、先の見えないことに苛立ち、精神的に疲れ、私は子ども達を守る自信もなくなってしまいました。
そんなとき、同じ思いをして苦しんでいるお母さん方に出会いました。それがハハレンジャーです。
情報交換をしたり、励まし合ったりすることで私の心は救われました。
休みの日には線量が低い場所へ行き思い切り遊ばせたり、内部被爆を防ぐために食材に気をつかったりと、子ども達にとって何が一番良いことなのか正直三年経った今でもわかりませんが、「あのときやっていれば」と後悔することのないように、できることはやってあげたいと思っています。
親として、将来娘が結婚し、何の影響も受けず健康な子供が産まれるまでは安心できません。まだまだ長い道のりですが、いつか「守りきった!!」と思えるように、これからも前向きに頑張って行きたいと思います。
(福島県二本松市在住 三児の母)
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モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます
あの原発事故から三年が経ちました。事故直後は状況が掴めず何もかも必死でした。しかし一年程すぎた頃、先の見えないことに苛立ち、精神的に疲れ、私は子ども達を守る自信もなくなってしまいました。
そんなとき、同じ思いをして苦しんでいるお母さん方に出会いました。それがハハレンジャーです。
情報交換をしたり、励まし合ったりすることで私の心は救われました。
休みの日には線量が低い場所へ行き思い切り遊ばせたり、内部被爆を防ぐために食材に気をつかったりと、子ども達にとって何が一番良いことなのか正直三年経った今でもわかりませんが、「あのときやっていれば」と後悔することのないように、できることはやってあげたいと思っています。
親として、将来娘が結婚し、何の影響も受けず健康な子供が産まれるまでは安心できません。まだまだ長い道のりですが、いつか「守りきった!!」と思えるように、これからも前向きに頑張って行きたいと思います。
(福島県二本松市在住 三児の母)
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2014年07月28日
福島の母のオモイ 6
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます

この三年で出会えた人、場所、経験
全てに感謝しています。
息子たちには
いつかその気持ちを伝えられる
ご恩を返せる大人になって欲しい。
成長した子供の姿を自分の目で見たい。
息子たちの子供を
この絵のように抱きしめたい。
少し贅沢な夢もできました。
ありがとうございました。
(福島県二本松市在住 三児の母)
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モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます
この三年で出会えた人、場所、経験
全てに感謝しています。
息子たちには
いつかその気持ちを伝えられる
ご恩を返せる大人になって欲しい。
成長した子供の姿を自分の目で見たい。
息子たちの子供を
この絵のように抱きしめたい。
少し贅沢な夢もできました。
ありがとうございました。
(福島県二本松市在住 三児の母)
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2014年07月28日
福島の母のオモイ 5
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます

《震災、原発事故から3年が経ち》
私には7歳の娘がいます。原発事故当時は4歳でした、またマイホームを建てたばかりでした、同じ子供を持つ友達が次々と避難を始める中、私達家族は色々な事を考え、毎日悩み続けながらも、避難せずにとどまる事を決めました。でも、この選択が娘の将来に悪い結果となってしまったら…本当にこのまま避難しなくても大丈夫なのだろうか…放射能が原因で娘が癌になったらどうしよう…親の判断で娘の命を削ってるのではないか…と、毎日、毎日不安は頭から離れませんでした。その後、二本松 眞行寺 佐々木道範住職さんの除染活動や言葉に助けられ、必至に我が家を除染したり、週末保養や春 夏 冬休みを利用しての県外保養をしてきました。
震災後、沢山の人達に出逢いました、私達、福島の事を子供達の事を忘れないで応援して下さる方が全国に沢山いる事を知りました、沢山の人達に支えてもらっている事に本当に感謝しています。保養先ではいつも、温かく迎えてくださります。
原発事故がなければ出逢わなかった人達…複雑な気持ちもありますが、人との繋がりや絆が出来た事、沢山の人達に支えられている事を感謝の気持ちを忘れずに、ここ福島に住むと決めた以上、頑張って娘を守りながら強く抱きしめながら生きて行きたいと思っています。
この作品を通して10年後、20年後、30年後と…作品を見る度に、当時の事を私自身が思い出したり、そして娘にも色々な思いで抱きしめた母の思いを感じとってもらえたら幸せです。
(福島県二本松市在住 一児の母)
続きを読む
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます
《震災、原発事故から3年が経ち》
私には7歳の娘がいます。原発事故当時は4歳でした、またマイホームを建てたばかりでした、同じ子供を持つ友達が次々と避難を始める中、私達家族は色々な事を考え、毎日悩み続けながらも、避難せずにとどまる事を決めました。でも、この選択が娘の将来に悪い結果となってしまったら…本当にこのまま避難しなくても大丈夫なのだろうか…放射能が原因で娘が癌になったらどうしよう…親の判断で娘の命を削ってるのではないか…と、毎日、毎日不安は頭から離れませんでした。その後、二本松 眞行寺 佐々木道範住職さんの除染活動や言葉に助けられ、必至に我が家を除染したり、週末保養や春 夏 冬休みを利用しての県外保養をしてきました。
震災後、沢山の人達に出逢いました、私達、福島の事を子供達の事を忘れないで応援して下さる方が全国に沢山いる事を知りました、沢山の人達に支えてもらっている事に本当に感謝しています。保養先ではいつも、温かく迎えてくださります。
原発事故がなければ出逢わなかった人達…複雑な気持ちもありますが、人との繋がりや絆が出来た事、沢山の人達に支えられている事を感謝の気持ちを忘れずに、ここ福島に住むと決めた以上、頑張って娘を守りながら強く抱きしめながら生きて行きたいと思っています。
この作品を通して10年後、20年後、30年後と…作品を見る度に、当時の事を私自身が思い出したり、そして娘にも色々な思いで抱きしめた母の思いを感じとってもらえたら幸せです。
(福島県二本松市在住 一児の母)
続きを読む
2014年07月28日
福島の母のオモイ 4
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます

「後悔したくない…」
今、私が一番思っていることです。
あの時…私達、親の選択が間違っていたら…。
あの当時、避難をするかしないか家族会議を何度もしました…。しかし、今、高校生の長男が
転校したくない!
皆と野球がしたい!
と、涙を流した姿を見て、もう…避難の話をするのはやめました。
避難して、放射能から逃げられても子供達の気持ちがダメになるのではないか…と思い。
そもそも、何故こんなにも悩まなくてはいけないのか。
毎日泣いてばかり居ました。
数年後…福島の子供達の健康に何事もないことを祈る毎日です。
あの日…やっぱりこうするべきだったと後悔したくない…
(福島県二本松市在住 二児の母) 続きを読む
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます
「後悔したくない…」
今、私が一番思っていることです。
あの時…私達、親の選択が間違っていたら…。
あの当時、避難をするかしないか家族会議を何度もしました…。しかし、今、高校生の長男が
転校したくない!
皆と野球がしたい!
と、涙を流した姿を見て、もう…避難の話をするのはやめました。
避難して、放射能から逃げられても子供達の気持ちがダメになるのではないか…と思い。
そもそも、何故こんなにも悩まなくてはいけないのか。
毎日泣いてばかり居ました。
数年後…福島の子供達の健康に何事もないことを祈る毎日です。
あの日…やっぱりこうするべきだったと後悔したくない…
(福島県二本松市在住 二児の母) 続きを読む
2014年07月28日
福島の母のオモイ 3
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます

あの日から三年。
震災や原発事故のことが多くの方々の記憶から、どんどん薄れていく中で、今も忘れずにいてくださる方々がいらっしゃることに救われています。
そして、応援してくださる方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
原発事故後、こどもたちにはたくさん我慢をさせてきました。今日も邪魔で仕方ない積算線量計を首からさげて幼稚園と、小学校に行きました。
こどもたちがこんなにも我慢し、頑張っているのに、母親のわたしが諦めるわけにいきません。
これからも、こどもたちをしっかりと抱きしめ、守っていきます。
(福島県二本松市在住 二児の母)
続きを読む
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます
あの日から三年。
震災や原発事故のことが多くの方々の記憶から、どんどん薄れていく中で、今も忘れずにいてくださる方々がいらっしゃることに救われています。
そして、応援してくださる方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
原発事故後、こどもたちにはたくさん我慢をさせてきました。今日も邪魔で仕方ない積算線量計を首からさげて幼稚園と、小学校に行きました。
こどもたちがこんなにも我慢し、頑張っているのに、母親のわたしが諦めるわけにいきません。
これからも、こどもたちをしっかりと抱きしめ、守っていきます。
(福島県二本松市在住 二児の母)
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2014年07月28日
福島の母のオモイ 2
ダキシメルオモイ プロジェクト
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます

この3年間避難しないことを決めたなりに、子どもたちの笑顔をなるだけ守りたい、それだけで過ごしてきました。
お野菜も米も県外のものを購入し、休日や長いお休みのときは県外へ保養にも行っていました。
学校給食の主食(ご飯)が北海道産から二本松米に代わったときはとても心配し、うちからご飯を持たせていました。二人合わせて8年間続けることになると当たり前に思っていました。しかし、上の子が一クラスになる今年度ご飯を持たせることが終わってしまいました…「33人の中でひとりは嫌だなぁ」と上の子が言ってきたことがきっかけです。
全校生徒でも数人、学年ではたったのひとりでしたから…
息子は、この2年間”がまん”していたのでしょう。
何も言わず持参していたため、そんなに苦ではないのかなぁと思っていた自分が情けないです。子どもの笑顔を守れてなかったのかもしれないと落ち込みました。
でも、子どもたちが成長するたびに問題にぶつかり一つ一つ選択していかなくてはならないことがあるんだと学びました。
原発問題がまだまだ解決していかない先、私たち親の判断が本当に正しいかどうかはわかりませんが、未来ある子どもたちの笑顔は守っていきたい!!この気持ちは貫きたいです。
(福島県二本松市在住 二児の母) 続きを読む
モデルをしていただいた福島の母たちに 震災後三年経った現在のオモイを寄せていただきましたので紹介させていただきます
この3年間避難しないことを決めたなりに、子どもたちの笑顔をなるだけ守りたい、それだけで過ごしてきました。
お野菜も米も県外のものを購入し、休日や長いお休みのときは県外へ保養にも行っていました。
学校給食の主食(ご飯)が北海道産から二本松米に代わったときはとても心配し、うちからご飯を持たせていました。二人合わせて8年間続けることになると当たり前に思っていました。しかし、上の子が一クラスになる今年度ご飯を持たせることが終わってしまいました…「33人の中でひとりは嫌だなぁ」と上の子が言ってきたことがきっかけです。
全校生徒でも数人、学年ではたったのひとりでしたから…
息子は、この2年間”がまん”していたのでしょう。
何も言わず持参していたため、そんなに苦ではないのかなぁと思っていた自分が情けないです。子どもの笑顔を守れてなかったのかもしれないと落ち込みました。
でも、子どもたちが成長するたびに問題にぶつかり一つ一つ選択していかなくてはならないことがあるんだと学びました。
原発問題がまだまだ解決していかない先、私たち親の判断が本当に正しいかどうかはわかりませんが、未来ある子どもたちの笑顔は守っていきたい!!この気持ちは貫きたいです。
(福島県二本松市在住 二児の母) 続きを読む