2016年05月17日

京都、東本願寺での展示終わりました。







大きな駅舎のような、京都、東本願寺しんらん交流館。
一階のギャラリースペースで2月8日〜3月14日までの展示でした。
















会場後ろから

パネルで、家族のオモイの展示






壁面の少ないギャラリーでしたが、ダキシメルオモイの展示には空間が不可欠なので良い展示になりました、廊下や受付の壁面など、フルで使わせていただきました。

会場には作品だけでなく、ダキシメルオモイで取材させていただいた家族のオモイを、パネルにて紹介

出逢った家族のオモイを、描いて、伝える

会場で作品を観てもらい、
それぞれの家族のオモイに触れていただいて
皆さんの中に何かが芽生えたらいいなと思います。


福井県からモデルの親子に来ていただいたり





最終日、岩手県での展示が終わってそのまま京都に駆けつけました。
お母さんからお預かりした作品を東本願寺、山門前で一枚

搬出終わってから職員の皆さんと

会場に足を運んでいただいた方々、気にかけていただいた方々、関わって尽力いただいた方々、
本当にありがとうございました。
  


2016年05月13日

東別院 御遠忌法要、無事終わりました。



東日本大震災を受けて始めたダキシメルオモイ プロジェクト
四年前、プロジェクトを立ち上げ、被災地を取材して周った時、福島県で始めて取材させていただいた方が、子どもたちを放射能から守ろうと頑張るお母さん、偶然にも真宗大谷派のお寺さんの御住職の奥さま(坊守さま)というご縁でした。
それがまさしく起縁となり、京都の東本願寺さまでの展示や今回の名古屋での御遠忌法要での展示に繋げていただきまして、不思議な巡り合わせというか改めてこのご縁に感謝します。

新しくなった対面所での展示
御遠忌法要の為に作られたスロープ



この4年間で実際に出逢い、オモイをお聞きし描き上げた66家族のダキシメルオモイを並べさせていただきました。

原発事故を受け、暮らしをどうやって立てて行けばよいか、そこにとどまる選択をした家族、避難を選択した家族、それぞれいただいたオモイも一緒に展示させていただきました。
普段、ニュースや新聞ではなかなか知ることが少ない当事者の生のオモイ、何も特別な人たちではなく、僕らと変わらない普通の家族が、ある日突然選択を突きつけられた、誰の身にも起こりうる、明日は我が身だと思います。

今回の展示、2日前に名古屋テレビさんに放送していただいた「抱きしめるオモイ〜岩手に想いを届けに〜」を観て来場して下さった方もいまして、とても有難かったです。
3月に岩手県に届けた作品(お母さんの希望で預からせていただいています)も展示させてもらいました。

熊本地震で被害に会われた方々への支援の為、会場に募金箱を設置していただきました。
手持ちのポストカードを募金箱の前に置いて善意を募りまして
おかげさまで3日間で合計240.737円の募金をしていただきました。
東別院、御遠忌法要の熊本地震への募金と一緒に届けさせていただきます。


【共感共来(きょうかんきょうく)】
喜んでいる人と共に喜ぶ、それは子どもにでも出来る
苦しんでいる人と一緒にその苦しみを分かち合う、
震災などで苦しむ人々に寄り添うことも大切ですが、身近な環境や人にでも実践する、日頃の心構えと行いが大切。共に苦しむ。これがなかなか難しい。

50年に1度の御遠忌、たくさんの人とのご縁もありましたが、言葉とのご縁もいただきました。

会場に足を運んでいただいた皆様、気にかけていただいた方々、関わっていただいたたくさんの方々、有り難うございました。

ここからあらたにスタートしたいと思います。
これからもよろしくお願いします。  


2016年04月18日

メーテレUP!にて放送していただきます。


明日、4月19日(火)、メーテレUP!にて
『抱きしめられないオモイを届けに岩手県へ』
放送していただきます。(名古屋テレビ)
昨年9月に放送していただいた続きで、未完成だった作品を完成させて岩手県で展示、お母さんと作品との対面、などの流れを放送していただきます。

http://www.nagoyatv.com/up/
※放送が変更になるかもしれません;^_^A
番組は18時15分から始まります。

ご協力いただいた岩手県大船渡市長安寺様、ありがとうございましたm(__)m  


2016年04月01日

抱きしめられないオモイを届けに〜メーテレにて放送予定です。〜


昨年夏から、抱きしめられないオモイ、
制作から完成の筆入れ、岩手県長安寺さまでの展示、陸前高田での回想、お母さんとの対面シーン。
有り難いことに、メーテレ(名古屋テレビ)さんに同行取材していただきました。
渥美半島の先にあるアトリエまで何回か来ていただいたり(名古屋から片道2時間)、大船渡での展示も3日間密着取材して下さいました。

メーテレさんに追いかけていただいた半年間の集大成、是非見てください。


□ 4月19日(火)
□ メーテレ(名古屋テレビ)UP !
夕方18:00〜18:45
「抱きしめられないオモイを届けに (仮) 」
放送予定です。
※放送日変更になったら再度お知らせします。


  


2016年03月31日

抱きしめられないオモイを届けに④

夕方、お母さんは元職場の同僚2人と来てくれました。
ひとりで来るのは辛かったそうです。
一緒に来ていただいた2人の同僚の方、旦那さまが津波で流され、未だに行方不明だそう…
愛しい人が5年経っても見つからない心中は想像を絶し
ただこの場にお母さんと一緒に来ていただいた感謝で頭を下げるのが精一杯、
かける言葉が見つかりませんでした。



4年前に預かったオモイ、お母さんに観ていただきました。


しばらく見つめた後

可愛いく描いてもらえたね

よかったね

ぽつり、ぽつり

話しかけていました

5年経つけれど何も変わらない
今でも夢を見ているよう

抱っこ出来るお母さんが羨ましい

今、子どもを抱きしめられるお母さん
子育ては大変だろうけれど

生きていたらどうにでもなる

大切に育てて欲しい


作品はまだ手元に置いておく気にならないです
気持ちと生活が落ち着くまで
一緒に、いろいろな展示会場に
旅をさせてもらえたら有り難いです、
小林さんの言葉でオモイを伝えて行ってください。


新たなオモイをいただきました。
いろんな会場を一緒に周って
またこの子と会いに来たいと思います。


3日間の展示期間、おかげさまで
新聞を見たという地元の人や、長安寺さまがお声がけくださった方々、たくさんの人々に観に来ていただくことが出来ました。

今回の旅、もう1つの目的
地元、気仙地区で子育てしている親子の取材をしたい、
というのも、有り難いことに8家族の取材をさせていただけました。
今ある希望の姿、しっかり描いて次に繋げたいと思います。



また来年以降、描き上げて皆さんに観ていただきたい、いずれこの長安寺さまの本堂を地元の方々のダキシメルオモイで一杯に出来たら、と新たな願いも出来ました。



3日間、滞在して地元の方々の話を聞いてみて
5年が経つけれど、癒やされていないなぁ、と感じました。
まだまだ時間がかかると思います
定期的に通い、これからも微力ながら関わって行きたいなと思いました。

4回に渡って書き連ねた
「抱きしめられないオモイを届けに」
最後まで読んでいただきありがとうございました。

気持ちも新たに
東日本大震災以降、
日本の各地で暮らす様々な親子のオモイを訪ね歩き
描き伝えて行きたいと思います。
ダキシメルオモイ プロジェクト共々
これからもどうかよろしくお願い致します。

小林憲明
  


2016年03月30日

抱きしめられないオモイを届けに③

ようやく描き上がった作品、どのように届けたらよいか…
直接届けるのではなく、お寺の本堂というある意味、極楽浄土を模した空間に展示してあげたい。


有り難いことに、岩手県大船渡市にある長安寺さまにご縁を繋いでいただき、震災から5年目の節目となる3月11日に本堂をお借りして展示出来ることになりました。
ご縁に逆らわずここまできたのですが、今回の件、津波の被害が大きかった気仙地区、そんな場所でダキシメルオモイを展示することについて、
果たしていろいろな被害に遭われた方々の前に展示してどんな風に受け止められるのか
自分がやろうとしていることは間違っているのではないか
会期が近づくにつれ、答えの出ない問いを繰り返し、今までの展示場所では味わった事のない緊張感、畏怖の念を抱くようになりました。
そんな中、「3月11日は命日なので、子どもに逢いに行きたいと思います。」事前のお母さんとの手紙のやり取りでそう言っていただけたことで救われました。
展覧会当日
全国の真宗大谷派、有志のお寺で毎年震災のあった3月11日14時46分に『勿忘の鐘(わすれなのかね)』を鳴らし亡くなられた方々の慰霊の法要が行われています、ここ長安寺でも厳かに行われました。


こちら長安寺さまでも門徒さん60名が津波の犠牲になられ、一時この本堂も遺体安置所になったそうです。
作品とお母さんとの対面はこの日の夕方になりました。

つづく
  


2016年03月29日

抱きしめられないオモイを届けに②

お母さんの表情
癒しがあり、救いがあり、前向きになってもらえる
そんな表情とは一体どんな物なのか…
見つかるのか、そもそも自分に描けるのか、
自問自答の日々が続きました。

取材した家族が150組を超える頃
向きあってきた、たくさんの家族のオモイ
我が子を亡くしたお母さんのオモイ
今は抱くことが出来なくなったけれど
我が子を愛おしく、慈しむオモイに
本来なら差は無いのではないか
特別であって、特別でない

抱ける我が子を大切に思ってもらうのは、
作品を観る人々に任せればよい
僕はただ、我が子を抱くお母さんの
我が子を慈しむ尊いオモイを、
ただただ描けばよい
それがお母さんの癒しになり、救いになる
今まで向き合ってきた親子のオモイの中に、もう答えがあったのだと気づかされ
描き上げることが出来ました。

つづく

  


2016年03月28日

抱きしめられないオモイを届けに ①

4年前、ダキシメルオモイ プロジェクトをスタートして真っ先に向かった東北の被災地、岩手県陸前高田にて子どもを津波で流されてしまったお母さんの抱きしめられないオモイと出逢いました。
全て流されてしまったが、携帯電話に唯一残っていた1枚の写真を預かりました。
七夕祭り、寝ぐずりしているのか少し苦しそうな表情の子どもを抱っこしたお母さんの写真。
抱っこ出来る時期は、子育てする親にしたらとても大変な時期、その大変な時に、もう我が子を抱くことが出来ない親のオモイを絵で知って欲しい。
今生きている、抱ける我が子を大切にして欲しい、その願いも一緒にいただいてきました。
愛しい我が子をある日突然、理不尽な形で亡くした親のオモイとは一体どんなものなのか…
亡くなった子どもさんが自分の長男と同い年で誕生日が2日違いということもあり、当初は向き合うことも難しかったです。
お母さんと子どもさん、2人の表情を穏やかにして描きたいなと思いました。
子どもさんがお母さんの腕に抱かれ安らかに眠る表情はイメージ出来たのですが、お母さんの表情を描くのが非常に難しかった。
先ず第一にモデルのお母さんに救いとなる表情にしたい、前向きになるような、癒されてなおかつ力強く生きて行けるような…
欲張りですがそんな絵にしたい、と思いました。
ではどんな表情に描けばいいのか?
毎回、そこで筆が止まり、描いては消してを繰り返しました。
向き合うのが辛くなると、逃げるかのように今ある希望のダキシメルオモイを制作
しかし常にアトリエの片隅にこの作品がありました。
今思うと見守ってくれていたのかもしれません。
取材した家族が150組を超える頃、僕の中で何かが外れ、今なら描けるという確信に変わりました。
つづく



  


2016年03月01日

「 震災から5年 」


「 震災から5年 」

震災からもうすぐ5年。二人の娘達はすくすくと成長してくれています。

群馬から移住するまで、夫婦で1年近く悩みましたが、

今こうして家族で日常を「日常」として過ごせていることが、何よりも幸せに感じています。


移住するのか。それとも残って放射能と戦うのか。

揺れ動きながら過ごしていた1年間は、「非常時」でした。

いつもどこか切羽詰まっていて、子供の成長もそのまま喜べず、楽しめない引っ掛かりがありました。


移住して4年経ち、子供が成長してくれていること、成長をよろこべることを、

本当にありがたい幸せなことだなあ、と改めて感じます。

と同時に、それは当たり前に与えられるものではなくて、

日々守り、作り上げていくものなのだということを強く思います。

( 群馬県 ⇒ 石川県 二児の父親 )



  


2016年02月29日

「 私のダキシメルオモイ 」

「ダキシメルオモイ5年目の決意」

避難時〜1年目

子育て方針のあう保育園探しに翻弄された。でも、望むようないわきで通ってた保育園のようなところには預けられなかった。愛する我が子を、自分の思う子育て方針「水と土と泥が子供のすべての学びの基本である」それをものすごく悔しい思いで断念した。そうしなきゃ避難生活維持できなかった。公立保育園に預けがむしゃらに働いた。離婚、親との絶縁。がむしゃらにはたらき大事なもの失いだした、、、。


1年目〜2年目

無我夢中で働いた。風邪で高熱の息子を朝、往復40分かけ病児保育に預け、仕事終わってまた往復40分。そして息子を肺炎になるまで無理させ入院まで追い込んだ。私の大事なもの、まったく見えなくなってた。


2年目〜3年目

休職、引きこもり、契約更新ならず退職、、、、。なんのために産まれ、なぜ子供を産んだのか、見失って死にたい毎日だった。


3年目〜今まで

死にたい生活に光が射した。勇気を出し一歩出だした時に世界が広がった。味方がたくさんいた。すべてが敵に見えてた私に味方がいることきずかせてくれた。そこからたくさんの奇跡的な出会いを繰り返し我を取り戻した。


「大事な我が子」


我が子だけじゃない、すべての母が我が子をそう思う。

その思いで母達は繋がれる。


だれのこどももころさせない


その思い一つ。

未来の子供達を守るべくできることやり尽くすことを誓う五年目になります。

出逢いと我が子に感謝しきれません。


     ( 福島県いわき市 ⇒ 埼玉県 二児の母 )