2019年03月23日

3月29〜31日、半田市の雲澤寺(うんたくじ)にて展示させていただきます。




〇雲澤寺 本堂・庫裏・書院耐震改修工事
2019年3月30日(土)‥‥雲澤寺本堂
◆完成報告法要‥午前10時〜11時
◆記念講演会‥午前11時〜12時半
・小林憲明〈ダキシメルオモイ、作者〉
・渡辺久美子さん、邨松(むらまつ)幸恵さん、〈絵のモデルさんです〉
・東日本大震災から8年、抱きしめ合う親子の姿は、見る者に「つながり」の大切さを今一度伝えてくれる。麻布に油絵の具でオモイを描き紡ぐ、ダキシメルオモイ‥作者の「小林憲明さん」のお話と、福島原発事故により放射能から子を守り続ける福島県のお母さんたちのお話をお聞きください。

ダキシメルオモイ展 
会場:雲澤寺
〒475-0854 愛知県半田市協和町2-103
ダキシメルオモイ展
会場:雲澤寺本堂・雲澤寺会館
3月29日(金)11〜17時
30日(土)9〜17時
31日(日)10〜15時
入場無料
駐車場はお寺の西側にあります
会期中、私は会場にいます

雲澤寺
〒475-0854 愛知県半田市協和町2-103
0569-21-4677
s-tatsu@ipc-tokai.or.jp  


2019年03月23日

静岡県由比町、寺持院での展示、終わりました。


静岡新聞3月18日(月)に掲載いただきました。

由比宿、寺持院でのダキシメルオモイ展、滞りなく無事に終わりました。
トーク&コンサート、100名以上の方に足を運んでいただきまして、用意した椅子が足りなくなる事態に、「グループしみず」さまの1年前からのオモイが形になりました。
ありがとうございます。



昭和38年から続く静岡の高校生のボランティアグループ
「チーズケーキ」さんからもスタッフに参加していただいてとても助かりました。。。
撤収したあとにスタッフのみなさまと記念写真。
肩車している寺持院の子どもさんに妙に懐かれ笑、コンサート中にバックヤードで抱っこしていたら腕の中で寝落ちしてしまうという嬉しいプレゼントも☆また明日からの活力をいただきました。

来ていただいたみなさま、スタッフのみなさま、来場のみなさま、ありがとうございました!




最後の最後、帰路のPAで振り返ると富士山の顔を拝めました。。。

いままでダキシメルオモイ プロジェクトを企画していただいた方々もプロジェクトを介して繋がったらいいなぁとぼんやり感じ入りました。

ありがとうございました!  


2018年11月12日

浪江町から高山へ移住した家族のオモイが出来るまで

9月、高山別院の仏青会からご縁をいただき、福島県浪江町から高山市へ移住された五十嵐浩子さんを紹介していただきました。五十嵐家のダキシメルオモイを取材から作品の完成までを追って書いてみたいと思います。

震災から1カ月、福島県内の避難所を転々として、県外で避難者の受け入れをしている自治体をネットで調べたら高山市がヒット、会津に避難した兄が車で送ってくれ高山市に避難、それから移住を決めるときに、同じく福島県双葉町で被災した両親を呼び寄せ一緒に暮らし始めたそうです。
飼っていた猫は地震で驚いて飛び出したまま行方不明、避難地域に入るボランティアにお願いして探してもらい、1匹は1年後、2匹目は1年7カ月後に見つかり、現在は一緒に暮らせていました。
モデルになっていただく人数、お母さん、子どもさんたち男の子3人、猫3匹(黒猫は高山の動物愛護団体から引き取る)
子どもさんたちが大人になってから、この絵とふたたび向き合って、いろいろあったけれど、最終的には良かったな、と思ってもらえるような絵を目指します。



麻布を1480×550のサイズに裁断
切れ端を木工用ボンドにて止め、上下に竹を通すために折り返しで縫い込む、



猫3匹を一緒に描く、子どもたちも猫たちも動き回るので、別々に捉えたものを再構成、構成の難しさが出ます、この家族らしい、オモイが流れる作品になればと、


描くところだけキャンパスにするので下地用のホワイトは大量に使います。500ml入りを使い切るところ、、、7枚描くのにホワイトだけで1リットルぐらい使います

よく練ります、混色などはムラをなくすために、何回も何回も練り回すので、かなり力作業になります

肌の部分を先行して


ほかの部分も


あたりをつけて行きます


左側の猫だけ、こちら側を覗き込むように、
観る人に問いかけるような表情になればと、
1年以上、浪江町をさまよった間になにを見て、なにを感じたのか、オモイを巡らしながら筆を進めます、


少しずつ描き進めていきます



完成、



10月31日夜7時
高山別院、本堂にて作品と対面していただき、
作品を前にお話いただきました。
対談という形をとりながら、

五十嵐さん、震災から心がけていること
朝はどんなにくちゃくちゃでも子どもたちと喧嘩しないで送り出す、ひょっとしたらそれが最後になるかもしれない、その理由も子どもたちに話して、家族のルールとして朝は絶対に喧嘩しない、仮にしたとしてもしっかりと送り出すことだそうです。

聞きながら、蓮如上人の“白骨の御文”を思い出しました。
たとえ朝、元気でいても、どうなるのかわからない、それは世の常である、
ついつい忘れがちになります、五十嵐さんの身をもって教えてくれたこと、心に響きました。

この五十嵐家のダキシメルオモイが145家族目の作品になりました。
なかなかスピードを上げられませんが、少しずつ描いていけたらと思います。

  


2018年04月13日

朝日新聞、今まで掲載された6日分の6部を送っていただきました。





改めてこんなに紙面を割いていただいたことに感謝します。

ダキシメルオモイで出会ったさまざまな家族のさまざまな7年、絵では伝えきれない、それぞれが感じてきたこと、選択してきたこと、7年経って現在のオモイ、
記者の方、全国の家族に足を運んで丁寧に取材して記事にしていただきました。

秋田産まれの記者、新潟産まれの画家、
それぞれが抱く東北愛から生まれた今回の連載企画、いかがだったでしょうか?

まだまだ収束したとは言えない原発事故、
ひとたび事故が起こると
さまざまなオモイを抱く家族が出てしまいます
それぞれが守りたかったもの、それぞれのオモイを、描き続けていきたいと思います。

(以外 URLから朝日新聞のネットページにて、それぞれの記事が閲覧可能です、一部の記事はログインしていただかないと見れない記事有り)
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ダキシメルオモイ
原発事故7年と家族たち


被災者たちの「ダキシメルオモイ」 愛知の画家、東日本大震災後130組の家族描く
https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S13444881.html?iref=sp_ss_date





① 原発事故で避難 抱擁する家族の絵 モデルが選んだ道は
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL2Q6H4ML2QOIPE03F.html?iref=sp_ss_date




② 離れて住むパパへ、小さな手に500円 原発避難家族
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL3F5GY3L3FOIPE01F.html




③「桃は浪江に帰りたがった」、愛犬奪った原発事故
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL3F5RDDL3FOIPE01Q.html?iref=sp_ss_date




④「1分1秒でも一緒に…」 福島で生きることを選んだ家族
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL3F7S4GL3FOIPE038.html?iref=sp_ss_date




⑤ 手放した「東京」、北陸で見つけた道 原発避難家族
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL3F7W75L3FOIPE039.html

  


2017年12月19日

朝日新聞とコラボして連載がスタートします。

ダキシメルオモイ プロジェクトを始動してから6年間で出逢った家族の方々を朝日新聞の記者と分身である作品と共に訪ね歩き、震災から7年を振り返っていただきます。
それを日本地図にマッピング、ウェブ上で閲覧出来るようにして、紙面(中部地区)とウェブの両方で連載していけたらと思っています。

さまざまな家族を描いてきましたが、本当にそれぞれの家族で、向き合ってきた状況、オモイが違っていて、ひとくくりに出来ないのですね、
それは被災していない家族も本当にいろいろありますが、、、


今回は、被災地に暮らす家族、津波の被害のあった地域、原発の被害のあった地域、被災地から避難した家族、それぞれ震災から7年をどうしてきたのか、どんなオモイで暮らしてきたのか、
母子避難された家族は、残った側、ダキシメルオモイでは描かれていない父親にもスポットを当て、どんな7年を暮らしてきたのか、可能な限り取材していけたらと話しています。
風化させてはいけない、無かったことにしてはいけない、対岸の火事ではなく、
どんな地域の、どんな人でも、同じことになる可能性はある、それぞれの家族が何を守りたかったのか、何を抱きしめたかったのか、

取材する記者は、秋田県出身の二児の父親、
ダキシメルオモイの冊子に寄せられた家族のオモイに心を寄せていただきました。
母子避難した家族のオモイを読んで、離れて暮らす父親側にも取材がしたい、両方の取材を通して家族のオモイが書けたらいいと、今回のコラボになりました。


僕はダキシメルオモイで右脳に、
記者は文章で左脳に、
右脳と左脳に働きかけるコラボレーションで
それぞれの家族のストーリーを紡いでいけたらいいなと思いますので、よろしくお願いします。
  


2016年12月07日

『震災から5年』



大好きな福島が「フクシマ」になって5年!

あちらこちらに空間線量を測定するモニタリングポストが立ち並んでますが、その値を温度計感覚で見てしまう自分がいます。

私自身、無我夢中で放射線について学び子供達を守るには何を行えば良いか⁈勉強会に参加したり、本を購入したり・・
保養に子供達と参加したり。

はやい時間の流れでした。福島に住み続け頑張ってきて良かったな〜と感じることが多くなりました。

私自身が、これから何を行っていけば良いか考えることが多くなり、ボランティア活動にも参加して他の方々の思いを聴くことも出来ました。少し急ぎ足で過ごしてきたので、歩みをゆっくりと
まだまだ続く放射線との付き合いをじっくりと考えながら
これから過ごしていきたいですね。

他県に行って、どこからいらっしゃったのですか?とたずねられて胸を張って「福島です」と言えるようになる福島になって欲しい。

( 福島県二本松市 二児の母 )


  


2016年05月17日

京都、東本願寺での展示終わりました。







大きな駅舎のような、京都、東本願寺しんらん交流館。
一階のギャラリースペースで2月8日〜3月14日までの展示でした。
















会場後ろから

パネルで、家族のオモイの展示






壁面の少ないギャラリーでしたが、ダキシメルオモイの展示には空間が不可欠なので良い展示になりました、廊下や受付の壁面など、フルで使わせていただきました。

会場には作品だけでなく、ダキシメルオモイで取材させていただいた家族のオモイを、パネルにて紹介

出逢った家族のオモイを、描いて、伝える

会場で作品を観てもらい、
それぞれの家族のオモイに触れていただいて
皆さんの中に何かが芽生えたらいいなと思います。


福井県からモデルの親子に来ていただいたり





最終日、岩手県での展示が終わってそのまま京都に駆けつけました。
お母さんからお預かりした作品を東本願寺、山門前で一枚

搬出終わってから職員の皆さんと

会場に足を運んでいただいた方々、気にかけていただいた方々、関わって尽力いただいた方々、
本当にありがとうございました。
  


2016年05月13日

東別院 御遠忌法要、無事終わりました。



東日本大震災を受けて始めたダキシメルオモイ プロジェクト
四年前、プロジェクトを立ち上げ、被災地を取材して周った時、福島県で始めて取材させていただいた方が、子どもたちを放射能から守ろうと頑張るお母さん、偶然にも真宗大谷派のお寺さんの御住職の奥さま(坊守さま)というご縁でした。
それがまさしく起縁となり、京都の東本願寺さまでの展示や今回の名古屋での御遠忌法要での展示に繋げていただきまして、不思議な巡り合わせというか改めてこのご縁に感謝します。

新しくなった対面所での展示
御遠忌法要の為に作られたスロープ



この4年間で実際に出逢い、オモイをお聞きし描き上げた66家族のダキシメルオモイを並べさせていただきました。

原発事故を受け、暮らしをどうやって立てて行けばよいか、そこにとどまる選択をした家族、避難を選択した家族、それぞれいただいたオモイも一緒に展示させていただきました。
普段、ニュースや新聞ではなかなか知ることが少ない当事者の生のオモイ、何も特別な人たちではなく、僕らと変わらない普通の家族が、ある日突然選択を突きつけられた、誰の身にも起こりうる、明日は我が身だと思います。

今回の展示、2日前に名古屋テレビさんに放送していただいた「抱きしめるオモイ〜岩手に想いを届けに〜」を観て来場して下さった方もいまして、とても有難かったです。
3月に岩手県に届けた作品(お母さんの希望で預からせていただいています)も展示させてもらいました。

熊本地震で被害に会われた方々への支援の為、会場に募金箱を設置していただきました。
手持ちのポストカードを募金箱の前に置いて善意を募りまして
おかげさまで3日間で合計240.737円の募金をしていただきました。
東別院、御遠忌法要の熊本地震への募金と一緒に届けさせていただきます。


【共感共来(きょうかんきょうく)】
喜んでいる人と共に喜ぶ、それは子どもにでも出来る
苦しんでいる人と一緒にその苦しみを分かち合う、
震災などで苦しむ人々に寄り添うことも大切ですが、身近な環境や人にでも実践する、日頃の心構えと行いが大切。共に苦しむ。これがなかなか難しい。

50年に1度の御遠忌、たくさんの人とのご縁もありましたが、言葉とのご縁もいただきました。

会場に足を運んでいただいた皆様、気にかけていただいた方々、関わっていただいたたくさんの方々、有り難うございました。

ここからあらたにスタートしたいと思います。
これからもよろしくお願いします。  


2016年01月29日

明日は我が身


福井県高浜市にある高浜原発が再稼働するそうです(2016.1.29)

上の写真は

東日本大震災、福島第一原発事故を受けて

全国に避難された方々を取材して描いた

それぞれのダキシメルオモイ

いただいたオモイはこちら →  震災から4年経って

福島第一原発事故によって大きく人生が変わってしまった人々


どんなオモイで避難を決めて

今どんなオモイで暮らしているのか

残念ながらメディアからは

ほとんど知ることがありません


発電して出る 放射性廃棄物の処理方法も処分場所も決まらないままの再稼働

溶け落ちた核燃料すら確認出来ておらず

福島第一原発の事故の収束もままならないまま



経済の為なら

大義の為なら

小さな犠牲はしょうがないというのでしょうか


受け入れ難い


これは日本に暮らす人々にとって決して他人事ではないと思います


明日は我が身


来年3月に避難者の住宅支援の打ち切りが決まっている中で

今年は特に展示を通してそうした方々のオモイとメッセージを

伝えていきたいと思います




  


2015年04月08日

「小さき声のカノンー選択する人々」拝見しました


福島第一原発事故以来、福島県二本松市で暮らす選択をした地元のお母さんたちが手探りで頑張る姿
チェルノブイリ原発事故以来、子どもたちの身体を綺麗な土地や食べ物で休める保養活動を充実させてきたベラルーシの人々が
対照的に描かれていました。

低線量地域で暮らすということは子どもにとって負荷がかかること(年齢が小さくなればなるほど感度は高くなります)
その負荷を軽くしてあげる為に、綺麗な土地の安全な食べ物と飲み水を取る事で健康が保たれる
というのが保養(ほよう)でその保養やそれを支援していくことの大切さも詳しく紹介されています

低い数値でも放射線にさらされ続けると健康にどういった影響が出るのか
今の科学ではまったく影響が無いとは言えない、ハッキリとはわからない
だから知ることは大切な事だと思いました。

何より監督の4年間、原発事故以来、福島や自主避難された各地に暮らす親子、そこに暮らす人々
またそれをなんとか支援しようと奮起する人々に向けられた
鎌仲ひとみ監督の暖かい眼差しが感じれる作品だなと思いました。

小さな声を聴いてまわって
それぞれの声が打ち消しあうことなく
お互いに響きあい
カノン(輪唱)するようにとの願いで完成した作品(と思います)

先月、渋谷で初公開の前日
自宅の寝床でふと
カノンとは実は観音(かんのん)をかけているのか?
それぞれの家族の中に観音を込めて、あるいは救いがあるよう願いがかけられているのか?
そんな気になるぐらい監督のそれぞれの家族や人々に対する眼差しの暖かさが感じれる作品でした

明日4月9日名古屋シネマテークにて
鎌仲ひとみ監督の舞台挨拶があります。
今回、映画に登場する二本松のハハレンジャーのダキシメルオモイを持参して
舞台挨拶に応援に駆け付けます。

初回10時45分~回が終わってから舞台挨拶があります。

監督の話も聴けるお得な回になります。
お時間ありましたら宜しくお願いします。
4/4(土)~4/10(金)
10:45
16:10
4/11(土)~4/24(金)
10:45
名古屋シネマテーク  千種区今池1-6-13今池スタービル2F(052-733-3959)





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