2020年12月30日

はじまりのオモイ




新潟の実家の居間から福島県と新潟県を結ぶ磐越自動車道(ばんえつじどうしゃどう)が見えました。
あの日あの時、磐越道を使って新潟へ避難してくる車で片側1車線の磐越道は大渋滞が起こり一晩中ヘッドライトが動かなかった、とにかく磐越道が開通してからはじめてというくらいのおびただしい数の車が、福島を脱出する姿が見えたそうです。
ヒンデカッタテ(ひどい光景だった)

公共の体育館や公民館、温泉の休憩所などが福島県からの避難者の方々で埋め尽くされる姿が新潟県に溢れた。
セツネカッタテ(切ない光景だった)

ヒンデカッタシ
セツネカッタテ
ナニモシテヤレネテ

滅多に弱音を吐かないおふくろが電話口で
無力な自分に胸を痛めていました。
愛知県で暮らしていた自分に間接的に伝えられた原発事故直後に混乱する福島の人たちの姿
ナニカシテヤレネロッカ(何かしてやれないだろうか)

何か福島の人たちの
気持ちが楽になるような
気持ちが明るくなるような
そんなことは出来ないのか
力添えが出来ないのか

ダキシメルオモイ プロジェクトは
そうしてはじまりました

いままで
プロジェクトに参加してくれてありがとう
オモイを聞かさせてくれてありがとう
ともに集ってくれてありがとう
描かせてくれてありがとう
たくさんのありがとう

2度とこうした人たちを出してはいけない
オモイが無かったことにもさせない
そのために
これからも
ひと家族ひと家族、訪ね歩いて
描き続け、伝え続けます

ダキシメルオモイ プロジェクト
小林憲明

  


2020年10月14日

ダキシメルオモイ200家族完成しました


2012年からはじめたダキシメルオモイ プロジェクト
8年経って目標の千家族に対して
ようやく5分の一、200家族描き上げることができました
ご縁を繋いでいただいた方々、ありがとうございます


東日本大震災、原発事故を機に
被災地で頑張るお母さんたちを応援したくてはじめたプロジェクト
被災地も被災地以外も
子どもを守りたいというオモイでは差がいないんだよ
あるのは置かれた境遇だけ

そのオモイを伝えたくてはじめました



8年の間にモデルさん家族だけでなく
たくさんの方々にご縁を繋いでいただき
後押ししていただきました

被災地の家族、被災地や関東から避難された家族
取材や展示でこの8年間の移動距離は30万キロと少し
300家族に取材させていただき
ようやく200家族が完成しました
いまだ100家族以上お待ちいただいていますが
必ず完成させますので今しばらくお待ちください



200家族目は関東から北陸に避難された家族のお母さん
わたしは自分で自分を抱きしめてあげたい
そのオモイからこのダキシメルオモイが生まれました

自分で自分を抱きしめる
なかなか自分を抱きしめてあげること
意識しないと出来ないことだと思います


コロナの流行を経て
人と人の関わり合い方が見直されていますが

人がなにかをオモイを込めて抱きしめる

子どもを、家族を、自分を
抱きしめる
そのことをこれからも追いかけていきたいと思います
引き続き応援いただけたら

張りすぎず
ゆるすぎず
描いていきたいと思います
千家族まで道のりはまだまだですが
これからもよろしくお願いします




  


2020年09月20日

『生きてゆく私たち』


『生きていく私たち』

生きていく私たち
追悼して欲しいのではなくて
すこしでも安心な世界に
変えていきたい
変わっていきたい
子どもたちを幸せにしたい

あきらめずに生きている姿を
どうやって生きてきたのかを
知って欲しい

それでも
生きていく私たち
  


2019年11月21日

小出裕章先生とダキシメルオモイ



今年の3月、金沢21世記美術館で開催された「もやい展」そこに来ていただいた小出裕章先生との1枚

「強いもの、強いリーダー、カリスマを求めることそのこと自体が誤りだと発言してきました。そうではなく、一人ひとりが自分の頭で考え、自分にできる仕事をすることが何より大切だと思いました。」

2011年原子力発電事故後、
小出先生の呼びかけがあって
自分に出来ることはなんだろうかと見つめなおし
絵を描くこと、絵の力を借りて伝えていくこと、
2012年にダキシメルオモイプロジェクトが
はじまりました

被災地で悩みながら子を守り育てる家族
被災地や関東から子どもとともに避難した家族
そうした家族のオモイを訪ね歩き
それぞれのオモイを
麻布に描いて記して伝えてゆく

同じ日本にこうしたオモイをしながら子育てしている家族がいる
それを被災地じゃない家族や友人、暮らす人々に
作品に触れて観て、感じてもらう
また同じくモデルになってもらうことで
ほかの家族のオモイに共感共有してもらえたらいいなと

そこから
こうした発電方法が果たしてこのまま必要なのか
すぐに答えは出ないかもしれませんが
数字では伝わらないたくさんの家族のオモイを 
頭の片隅に入れておいてもらえたら
これから私たちの未来を考える材料のひとつに
なってもらえたらいいなと続けてきました




いつかお会いして直接お礼が言いたい
その願いが金沢の地で叶いました

小出先生の投げかけてくれた言葉から
たくさんの家族のオモイを
訪ねる旅がはじまりました




184家族のダキシメルオモイ(2019年11月現在)

たとえすぐに叶わなくとも
願いを持ち続けること
自分ひとりで完結しなくとも
願いを持ち続けることで
それが周りに伝播してゆく
そうして私たちは暮らしてきたのかな
たとえ現在は辛くとも
あきらめず秘めながらでも
オモイを持ち続けて生きること
とても大切だと感じました
  


2019年10月01日

歯車家族

歯車家族



家族は歯車みたいなものである

ひとりひとり大きさも形も違う歯車が
ギシギシ、ガシガシといびつに噛み合わさり
回りながら
日々を暮らしていきます

綺麗に噛み合う部分もあれば
尖がって毎回毎回同じところが当たる
痛い部分もあります
何回もぶつかってどちらかがその部分を
当たらないように引っ込めたり
完全には一致しませんが
形を変えて合わせようとします
歯車は歳とともに少しずつ硬くなっていきますので
若い人の方が形を変えて合わせやすいようです

家の外で身体と心が疲れるから
なるべく家の中では疲れないよう
休められる場所にしたいと
無意識下、有意識下で
無用な衝突を避けるようになります

生き物としての本能がそうさせるようです

家を出て家族との歯車を外れる
一人で暮らしたりすると
本来の自分の歯車の形に戻ります
その形が両親と似ていたりして
驚いたりもします

歯車は家族だけでなく
働く場所や組織にも当てはまります

そしてふたたび歯車をまわして
日々を暮らしていきます

#家族は歯車
  


2019年09月30日

命に名前をつける命名

命に名前をつける命名

子どもの名前には
その名前をつけた
名付け親がいて
名付け親の名付けた段階での
名付け親の半生が名前の数文字に凝縮される
1番最初の贈り物であり
その子が死ぬまで背負ってゆく名前

名前の由来から
名付け親のオモイだったり願いだったり
輪郭が感じられます
また、名付け親自身の名前の由来からも
もうひとつ上の世代のオモイだったり
願いの輪郭が感じ取れます

そこから
その家に流れる
大きな大きなオモイと願いの河
その輪郭を感じて
これからもそのオモイと願いを感じて
描いていきたいなと思います
#ダキシメルオモイ
  


2019年03月14日

あの日、あのとき

新潟の実家の居間から福島県と新潟県を結ぶ磐越自動車道(ばんえつじどうしゃどう)が見えました。
あの日あの時、磐越道を使って新潟へ避難してくる車で片側1車線の磐越道は大渋滞が起こり一晩中ヘッドライトが動かなかった、とにかく磐越道が開通してからはじめてというくらいのおびただしい数の車が、福島を脱出する姿が見えたそうです。
ヒンデカッタテ(ひどい光景だった)

公共の体育館や公民館、温泉の休憩所などが福島県からの避難者の方々で埋め尽くされる姿が新潟県に溢れた。
セツネカッタテ(切ない光景だった)

ヒンデカッタシ
セツネカッタテ
ナニモシテヤレネテ

滅多に弱音を吐かないおふくろが電話口で
無力な自分に胸を痛めていました。
愛知県で暮らしていた自分に間接的に伝えられた原発事故直後に混乱する福島の人たちの姿

ナニカシテヤレネロッカ(何かしてやれないだろうか)

何か福島の人たちの
気持ちが楽になるような
気持ちが明るくなるような
そんなことは出来ないのか
力添えが出来ないのか

ダキシメルオモイ プロジェクトは
そうしてはじまりました

いままで
プロジェクトに参加してくれてありがとう
オモイを聞かさせてくれてありがとう
ともに集ってくれてありがとう
描かせてくれてありがとう
たくさんのありがとう

2度とこうした人たちを出してはいけない
オモイが無かったことにもさせない
そのために
これからも
ひと家族ひと家族、訪ね歩いて
描き続け、伝え続けます

ダキシメルオモイ プロジェクト
小林憲明

写真は福島県から東海や関西に避難された家族とそのダキシメルオモイ  


2018年06月30日

何が灯せるのか

2月から続いていた各地での展示
ようやくひと段落しました

本尊はかけ破れ
聖書(しょうぎょう)は読み破れ

石川県のあるお寺のご住職に教えていただいた
蓮如上人(れんにょしょうにん) の言葉

南無阿弥陀仏と書かれた掛け軸を
大切にかけ放しにするのではなく
さまざまな場所で破れるぐらいかけて
たくさんの人々と共にする
大切なのは掛け軸ではなく

それを見た人々の心に何が灯せるのか

ダキシメルオモイも最初のころの作品は
100ヶ所以上の場所で展示してきて
だいぶガタがきていたりします

大切なのは作品ではなく

それを観てくれた人々の心に何が灯せるのか

今まで無関心でいた人々の心に
どれだけ響かせることが出来るのか

北風と太陽だとしたら
北風ではなく
暖かさで包み込む太陽のような

ボディブローで急所を打つ
鈍くともひたすら打ち続ける
そんな活動でありたい

いろんなオモイを
描き続ける
伝え続ける

まだまだ描き尽くせない
たくさんの家族のオモイ
描き破るぐらい
この先も描き紡いで
いろいろな人と人の
橋渡しにもなれたら
そう願います

  


2017年10月28日

ようやくようやくホームページ出来ました。


もうずっとホームページは作らないとなぁと
思っていまして、、、
ブログとフェイスブックでやってきましたが、
今回、ようやくホームページ出来ました☆
予算はゼロなので、1から手作り、JIMDOという無料ホームページ作成サイトで、無料で作れますが、やれることも限られますから月々1000円コースに、えいやっと加入して作り出して数ヶ月、
おぶせの展覧会の告知に間に合わせたい、とむち打ち完成しました。
覗いていただけたら有り難いです。
よろしくお願いします。

https://dakisimeruomoi.jimdo.com/  


2017年09月27日

願い



この時代に生きた家族、
それぞれが守りたかったもの、
何が起きても守りたかったもの、
それらのオモイを描いて、
1000の家族のオモイの絵が並んだならば、
それはそれで、とても強いメッセージになる、
ひとつの歴史にもなると思います。

けっしてなかったことに出来ない、
消えそうな、消されそうな、
小さなオモイ、
そのすべてを訪ね、拾い描くことが
たとえ不可能だとしても、
この時代を確かに生きた、
なんとかしようとして、
生きた人々のオモイ、
1000の家族のオモイの絵が並んだならば、
その輪郭だけでも、
伝えることが出来るのではないでしょうか、

そのオモイをたずさえて、
この先も訪ねつづけ、
オモイを聞きつづけ、
麻布に描きつづけたい、
そう願います。